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京都市におけるベンチャー育成策について
 京都市総合企画局政策推進室政策企画課長 足立 裕一
1 京都の基本的構造
 (1)京都は、1994年(平成6年)に平安建都1200年を迎えた。学生時代に、平安建都の年号(794年)を「鳴くようぐいす平安京」と覚えられた方も多いであろう。京都は、長らく王城の地であり、当然のことながら、巨大な消費都市であるばかりでなく、産業都市としても、わが国の中心的都市であり続けた。工芸品の製造は、平安時代から盛んに行われてきた。京都の長い歴史の中では、応仁の乱による廃嘘化という悲劇もあったものの、その後、町衆の力を中心に復興を果たした。時代が下ると、豊臣秀吉による大規模な都市改造が行われ、新たな街区割が大規模に行われたほか、大阪からの水運に有利な伏見の地に新たな城下町が築かれた。江戸時代には、西陣織をはじめとして、現在京都の伝統産業と呼ばれる諸産業が隆盛を極めた。
 しかし、明治当初における東京遷都により、京都は、大いなる衰退の危機を迎えた。ところが、当時の京都人たちは、琵琶湖疏水の建設、わが国初の水力発電、市電の開通など、当時としては、画期的な大事業に取り組み、今でいう都市の再生、そしてわが国の近代化に大いに寄与した。京都がこのような幾度もの逆境に立ち向かってきた歴史を有することは、今でも京都人が誇りとしているところである。
 (2)明治22年の市制施行以来の度重なる合併により、市域は拡大を重ね、現在では、京都市の区域は、610平方キロメートルとかなり広大である(ちなみに大阪市は、221平方キロメートル)。しかし、森林が3分の2を占めており、市街地の面積は、市域の5分の1に当たる約120平方キロメートルに過ぎない。京都の市街地部は、東、北、西の三方を山に囲まれた京都盆地を中心としており、市街化区域の面積も、約150平方キロメートルに過ぎない。しかも、京都は、内陸都市であり、埋立てによる市域の拡大も望めない。つまり、都市としての物理的なキャパシティは、基本的にこれ以上拡大し得ないという点が京都の基本的な都市構造である。人口規模は、現在、約147万人であるが、ほぼ横ばい状態で推移している。京都企業は、大阪の企業と異なり、成長を遂げても東京に移転することはないと良く言われるが、それは、京都がマーケットとして十分に大きいからではなく、経営者が京都にとどまることに単なる事業規模の拡大とは異なる意味を見出しているものと考えられる。








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