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ブレイクタイム
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博多雑感
 船員労働委員会のG先生によると、どうも私は、いま勤務している「まち」をすぐ自慢したがるらしい。唐津の時も、大分の時もそうだった。その論法でいくと、今度は博多ということになる。若者で活気溢れる天神町界隈、ネオンまたたく夜の中洲、博多どんたくは、とりわけ自慢の種である。しかし、それらは、私が遠い昔に使用したものばかりで、何を今更の感がする。やはり、一番に自慢したいのは、能古島の素晴らしさであろう。
 博多勤務は今回が初めてだが、実は今から30数年前、4年間を博多で過ごした。その頃の博多は、人口が今の半分の70万人。市内を路面電車が走っており、博多駅から終点の姪の浜までの運賃が片道13円、往復を買えば25円の時代であった。それ以来博多を訪れたのは、出張の際、駅付近をうろついたくらいのものだ。だから、私にとって博多の印象は、当時のものしかない。
 今回、市内を散策して驚いた。見覚えのある風景は、ほとんど見当らない。とくに、百道、姪の浜あたりは、当時の面影を残すものは何もなかった。百道は白砂青松、夏は海水浴が出来た。今は、酒落たショッピングモールや高層マンションに、すっかり様変わりしている。また、私の住んでいた姪の浜は、町を少し外れると見渡す限りの田圃、付近には石切り場やボタ山があった。陽が沈むとあたりは真っ暗やみになり、下宿の者と100円を賭けて、よく石切り場への肝試しをしたものだ。今はそこら一帯も大都会に変身している。そんな中で、変わらないものが一つだけあった。それは、対岸から、変わりゆく博多の街を静かに見つめていた、あの能古島である。
 能古島は姪の浜前に浮かぶ周囲12キロ、人口900人足らずの小さな島であり、昭和の初期までは残島と訓まれていた。縄文・弥生の土器も出土しており、古事記や防人の時代の古い伝承でも数多く残っている。元寇の激戦地にもなったであろうこの島は、檀一雄が晩年を過ごした島でもある。今回、再度訪れて、ますますこの島が気に入った。船着場周辺は当時と様相が一変しているが、なつかしい田舎の風景も残っており、心が和む。四季折々に花が咲き乱れ、今はコスモスの季節。コスモスの花畑の前に志賀島と海の中道が横たわり、思わず「絶景かな」と叫びたくなる。また、島の中央の展望台からは、目の前に博多の街がパノラマのように広がり、ひとりでにシャッターに手がかかる。
 能古は博多のオアシス。「いっぺん、能古に、こらっしゃれんですな!!」
九州運輸局福岡海運支局
赤間 啓一
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能古のコスモス








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