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ブレイクタイム
翔ぶが如くの風景
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 この大崎ノ鼻に立つと、濃い群青の錦江湾に浮かぶ桜島の山容とその色彩が、どの名陶をも見すぼらしくさせてしまうほどの凄味をもって迫ってくる。
 それだけではなかった。
 太陽がちょうど桜島の右肩にあった。
 そのために桜島をとりまく錦江湾のブルーは濃淡を持って縞模様をなしている。
 太陽の真下にあたる右手の海は波がきらきらと跳ねあがって見えるばかりに鮮やかであり、中央の海は逆光のために黒く、海底に怪魚の蟠るのを想像させるほどに古代的な不気味さをたたえていた。
 しかしながら目を左へ転ずると、全く異なる青の世界がはるかにひらけていた。海は軽佻なほどにあかるく、「泣こよっか、ひっ翔べ」
 という上代以来の隼人どもの心を、この青が染め上げたかと思われるほどに陽気であった。
 この大崎ノ鼻からながめると、桜島が中央の主座にすわり、その右手のほうはるかな天に、薩摩半島先端に位置して薩摩富士といわれる開聞岳が浮かんでいる。
 左手には靉靉としたかすみのむこうに霧島山がそびえ、しかもそれだけではなかった。高千穂の峰が、衣のすそをひく神人のようにかさなっているのである。(後略)
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寺山公園から見た霧島方面
 これは司馬遼太郎の歴史小説「翔ぶが如く」の前文の一部である。
 約5年ほど前に鹿児島に赴任した際、土日の休みには極力鹿児島を知りたいとの気持ちもあり、鹿児島県歴史資料センター「黎明館」、甲突川のたもと鍛冶屋町にある「維新ふるさと館」、「南州墓地」等を巡るうちに、西郷隆盛、大久保利通、桐野利秋、川路利良、・・それに私学校の生徒等々薩摩隼人の群像が過去の記憶から浮かび上がり、一昔前に読んだ「翔ぶが如く」をもう一度鹿児島の地で読み返してみたくなり、読みはじめた。
 読後感は、全く別の小説のごとく新鮮であったのだが、冒頭に引用した文章を読みながら矢も盾もたまらず、たまたま日曜日であったこともあり車を運転し吉野台地の高台にある「大崎ノ鼻」をたずねることにした。
 「大崎ノ鼻」は地図で見ると今は寺山公園となっているようで、途中は道幅も狭く曲がりくねっており、道路案内板も少なく不案内のまま何とか寺山公園にたどり着いた。これが公園か、といった程度の小さな公園であったせいか、日曜日というのに車も人影もまばらであった。
 車を降りて、案内標識にしたがって林の中の小道をしばらく行くとあたかも海に突き出た感じの突端にある崖に展望台があり、急に大量のひかりが降り注いできた。
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寺山公園から見た桜島
 眼前に、青い空、雄大な桜島そして静かな錦江湾の藍い海が飛び込んできたのだ。
 なんと圧倒的な大自然の一大パノラマだ。
「うわーここで跳躍すれば鳥のごとく翔るのではないか。」この小さなわが身がまさに青色の明るい大自然の中に吸い込まれていく。「泣こよっか、ひっ翔べ」司馬遼太郎先生の描いたとおりの景色だ。小さなことにくよくよせず、大きな夢を持って思い切ってやれ、と鼓舞されているように想えてくる。
 まさに感激の対面である。単なる景色との対面ではなく、まさに歴史との対面である。
 勝手な想像ではあるが「翔ぶが如く」の主人公は西郷隆盛と大久保利通という鹿児島のしかも鍛冶屋町という小さな町で生まれ育った二人の巨人を中心に展開するが、真の主人公は近代日本の黎明期の青年群像ではないかと解釈している、当時の意のある若者の生き様がどうであったか、ということではないかと思う。
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寺山公園散策歩道
 特に、この寺山公園の展望台は錦江湾に面した吉野台地の一角にあるが、吉野台地はやせたシラス台地で未開の地であり、あと一人の主人公である桐野利秋はここ吉野郷に生まれ、官を辞して後もここで百姓をした地であり、吉野台地の開墾と農業に取り組みながら学業と軍事訓練に汗を流し天下・国家を論じ、結果として西南戦争へと駆り立てた薩摩の若者・私学校の生徒たちもこの絶景を眺め「泣こよっか、ひっ翔べ」と鼓舞され、日本に、世界に飛躍していこうという大きな夢を育んだに違いない。
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西郷と桐野の石碑
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九州運輸局鹿児島海運支部から見た桜島
 まさに、「翔ぶが如く」の原風景はここにあったのである。と私は考えている。
 読者のかたがたにおかれては、機会があれば是非一度眺めていただきたい。鹿児島の隠れた名所である。
九州運輸局船員部長
三宅  徹








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