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領海外の外国船舶内で発生する危険に対する沿岸国の介入について
海上保安大学校教授 廣瀬 肇
1.はじめに
 一般に海洋を航行する船舶は、各種の危険に晒されているものであるし、また危機的事態に陥ることも稀ではない。それは台風や海底火山の爆発といった自然現象の場合もあれば、海賊の襲撃であったり、あるいは当該船舶内で発生した船内暴動であったり、恐ろしい船舶火災であったりする。それがいわゆる海難の範疇に属するものであれば、人道的立場から、たとえ公海上であったとしても救助の手をさしのべることについて、非難がなされるとは思えない。というより、我が国内法である船員法(第14条)では、そのような場合救助することが義務でさえある。勿論海難の定義の問題もあるが、原因の如何を問わず海上で危難に瀕している船舶は海難に遭遇しているという解釈から、これらを救助することは海難救助になるから、そのことについて法的にはなんら問題はないと考えることも可能であるかも知れない(1)。しかし問題はそう単純ではないように思われる。それが公海上でのことである限り、国際法及び国内法両面の法的根拠が要求される。そこで、問題を、領海外の外国船舶内で発生する各種の「危険」について、急迫性の認められる事例について考えてみるときに、具体的には次に示すような事例(ペスカマ15号船内暴動殺人事件や、E・Bキャリアー号船内暴動事件等)を参考にしながら、そのような事例において、沿岸国は介入できるのか、介入できるとしてその介入の限度はといった問題について若干の考察を加えてみたい。
 諸外国には、その国の領海外ではあるが、なんらかの関係海域で発生した暴動事案等に介入するといった例はかなりあるであろうとは思われるが、外国における類似の適切な事例を見出すには至らなかった。問題の重心は外れるものの、サンタ・マリア号事件やアキレ・ラウロ号事件が参考になるように思われる。
 サンタ・マリア号事件(The Santa Maria Incident)は、1961年1月23日カリブ海航行中のポルトガル客船サンタ・マリア号(20,906トン、乗客約600名)が、乗客として乗船していたポルトガル反政府組織約70名により公海上で乗っ取られた事件である。その際当直中の士官1名が殺害され、数名の乗組員が負傷した。乗っ取り犯のガルヴァン元大尉は、この行動がポルトガルの当時のサラザール政権に対する反乱であるとの声明を発し、同船は死傷者等をセント・ルチア港に上陸させた後、アフリカヘの逃亡を企てた。ポルトガル政府は反乱者を海賊であるとして、英、米、オランダ海軍に捕捉するよう要請し、米、ポルトガル海軍が洋上で同船の航行を阻止した。交渉の結果、同船はブラジルに入港、反乱者はブラジルヘの亡命が認められ、船舶はポルトガルに返還された。海賊行為として他国がこれを公海上で拿捕できるかどうかが問われた事件で、事件発生は1958年公海に関する条約の発効前であるが、政治目的をもった船舶内の暴動であったことから、ポルトガルの国内法上の犯罪になりえても、国際法上の海賊とみることは困難とされた事例である(2)
 アキレ・ラウロ号事件は、1985年10月7日、アキレ・ラウロ号(Achille Lauro, イタリア国籍のクルーズ船、23,629トン、乗客乗組員520名)が、エジプトのアレキサンドリアからポートサイドに向けてエジプト沖を航行中、武装パレスチナゲリラ(PLFメンバー)によって乗っ取られた事件である。乗取犯は、同船の最初の出港地イタリアのジェノバから乗客として乗船していたもので、乗組員と乗客(その国籍は米、英、オーストリア、西ドイツなど)を人質とし、イスラエルに捕らえられている50名のパレスチナ人の釈放を要求した。その要求が容れられなかったことから、翌日にユダヤ系米国人1名を殺害した(この事実は後に判明)。9日夕刻、乗取犯は、罪に問われることなく国外に退去することを条件に、ポートサイド沖で、エジプト当局に投降し人質は解放された。10日夜半、乗取犯を乗せたエジプト機が、エジプトのカイロからチュニジア向け飛行中、アメリカ第六艦隊の戦闘機によりイタリアのジゴネラのNATO軍基地に強制着陸させられて、乗取犯4名及び同機に同乗していたPLFの幹部ムハメド・アッバス等2名はイタリア当局に拘束された。イタリア当局は、調査の結果、乗取犯4名については裁判に付することとし、アッバス等2名については逮捕する法的根拠がないと判断し、ユーゴスラビアヘの出国を認めた。本事件は、海上におけるテロリズムとして大きく取り上げられ、かつまた、イタリア沿岸警備隊(GUARDIA COSTIERA)のその後の性格を変える程の事件であったとされるが(3)、国際法的論点は、いずれの関係国に裁判管轄があるのか、そして本件は海賊に該当するのかということであり、この事件が後のシージャック防止条約(海上の航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約)を作成させるに至った動機になったという点でも有名である。この事件における、船内暴動について、村上暦造教授は次のように述べる。「公海条約の規定によれば、公海上での他船に対する攻撃が国際法上の海賊の要件とされている。ILCのコンメンタールも、「船舶の乗組員又は乗客が犯した行為であって、その船舶自体又はその船舶内の人若しくは財産に向けられたものは、海賊行為と見ることはできない。(中略)この見解は、大多数の学者の意見を集約したものである。反乱者の意図がその船舶を乗っ取ることにあるとしても、その行為は海賊行為を構成しない」と述べて、船舶内の反乱によって船舶を乗っ取ったとしても、同一船舶内の行為である限り、海賊ではないという見解である。その趣旨は、同一船舶内の事案は旗国の管轄に委ねるべきであり、海賊として普遍的管轄を認める必要性が乏しいことにある。この見解に従う限り、アキレ・ラウロ号の乗取りも「海賊」に該当しないことになろう。しかし、この点に関する国際法学者及び判例の考え方は、必ずしも確立されているとは言いがたい。反対説は次のように言う。同一船内の事件であるからといって、すべて海賊を構成しないと見ることには疑問がある。状況が旗国に責任を負わせることが適切か否かによって判断すべきものである。その船舶がその国家的徴表(national character)を保持し、旗国の権限の下にあるのであれば、それは海賊船舶ではなく、旗国が管轄権を有するにとまる。他方、船舶がいずれの国家の権限にも服さず、いずれの国家もその行為に責任を負うことができないならば、海賊としてすべての国の管轄権に服することになる。この見解では、公海条約の規定は、1958年のジュネーブ条約採択会議において合意に達した内容を条文化したものにすぎず、それ以外に船内反乱が海賊を構成するか否かについて、国際慣習法は依然としてこれを否定していないと主張する。この考え方に立てば、アキレ・ラウロ号の船舶内の乗取りも、「海賊」と見ることが可能となる(4)。」
 ここでは国際条約上あるいは国際慣習法上裁判管轄を行使できるかどうかが問題なのではあるが、公海上の外国船内での暴動に関与できるかどうかを考えるうえにおいて押さえておくべき問題であると思われるのでもう少しこの点について、一般論的に、確認の意味で見ておきたい。
 山本草二教授は、アキレ・ラウロ号事件について、「この事件でも結局、海賊概念の類推は認められず、被害船の旗国が、その犯罪の政治的性質を考慮して、米国の犯罪人引渡請求を拒否するとともに、一般の国際テロ行為犯罪の場合に準じて、みずから訴追にふみきったのである。海賊については、船舶の旗国以外の国にもひろく刑事裁判権の行使が「許容」されており、それだけ多くの国が航行安全を確保するための意欲と能力を競いあっていたことの証左である。これに対して、この種の海上犯罪の取締りについては、こうした国際的な連体性はまだ十分に成熟しておらず、旗国主義を踏襲することに終わったと言えよう(5)。」とされる。
 そして、海賊概念の類推の限界として、「海賊は、国際法では最も古く伝統的な海上犯罪であり、今日でも新しいタイプの海上犯罪を規制しようとするさいには、まず海賊概念をその原型・指標に用いる。しかしはたして、海賊の定義や要件が国際法上明確かつ一義的に確定した内容になっているかどうか、この点について各国の判断は対立し、このことが、他の海上犯罪に対する海賊概念の類推の可否とその程度を定めるさいの障害にもなっている。たとえば(a)海賊は、国際法が直接に犯罪の構成要件そのものを定めた「国際法違反の犯罪」なのか、それとも(b)ひろく国際社会の共通の利害関係を害する行為であるとはいえ、「諸国の共通利益を害する犯罪」にとどまり、国際法ではその定義を定め犯罪として処罰すべきものとするだけであって、犯罪の構成要件の決定とその訴追・処罰の要件はすべて内国刑法に委ねる、という立場が対立しているからである。ただ、後者(b)の立場に従っても、各国内法で海賊と定めた行為であっても、これを他国に有効に適用するためには、国際法上の海賊の定義の範囲に収まる行為であることが必要である。……今日では、政治的な目的または動機をもったテロリズム犯罪が船舶を介して行われる事犯が多く、その場合にもしばしば、海賊に準じた取締りの権限が主張される。たとえば、現政府の反対勢力に属する武装集団が乗客として乗りこみ、公海を航行中に客船の船長を監禁して奪取し乗組員を殺傷した場合に(1961年サンタ・マリア号事件)、これを海賊として扱えるかどうか、判断が対立した。被害船の旗国(ポルトガル)は、海賊行為と解し、英・米等の海軍に追跡を依頼したが、同船の入港国(ブラジル)は、船舶を旗国に引き渡したものの、実行行為者には政治亡命を認めた。武装集団による暴力行為が、特定国を対象とした政治的な目的のものであり、公海上の航行一般を害していないこと。同一船内で発生したことを理由に海賊の要件を充たしていない、と判断されたのである(6)。」とされる。
 そして、先程触れた1988年の「海上航行の安全を害する不法行為の防止に関する条約」では、従来の海賊行為の要件(公海条約第15条、国連海洋法条約第101条)に該当しない海上テロ行為を新たに「国際法上の犯罪」と定め、航空機の不法奪取の例にならって裁判権の設定を整えている。その対象となる犯罪は、海上航行の安全を害する行為であり、領海外の海域に向かいまたはそこを通航する船舶について、その運行の奪取・支配とか、乗員・乗客に対する暴力行為、船舶・航行設備の損壊と妨害を行うことと、船内の人の殺傷を列挙している(同条約第3条)。これについて、山本草二教授は、「したがって、従来の海賊概念を援用したり類推するまでもなく、これらの要件に該当する行為であれば、直接に同条約の対象とすることができる。さらにこれらの教唆・共犯も含まれるので、犯罪の準備・計画・実施について実行集団の編成と運営を指導した者も対象となるので、国際テロ行為の取締りに有効である。犯罪の訴追処罰について裁判権の設定に必要な措置をとる義務(義務的管轄)を負うのは、その犯罪が、自国船舶に対してかその船上で行われた場合(属地主義または旗国主義)、自国領域内で(属地主義)または自国民により(積極的属人主義)行われた場合と、自国の領域内に所在する容疑者について他国に引き渡さないため、自国で訴追の手続きをとる義務を負う場合(普遍主義)である(6条1項・4項)。これに対して、任意で裁判権を設定できる(任意管轄)のは、自国内に常住する無国籍者が犯罪を行ったり、自国民が犯罪の対象とされるか(消極的属人主義)、自国が対応するよう脅迫された場合(保護主義)である(6条2項)。海上テロ犯罪の特質を反映して、同条約ではこのようにほぼ網羅的に刑事裁判管轄をみとめた。そのほか、現実に容疑者の身柄を抑留している国は、旗国管轄の優位性をみとめて犯罪人引渡しの可否をきめることとして(11条5項)裁判管轄の競合を解決する指針にしている(7)。」とされる。それが海賊行為に該当するのか、いわゆるシージャックに該当するのかという要件については、相当程度明確に定められている。そうすると、沿岸国が積極的に介入しようとする場合には、このような国際法上の理論を念頭に置きつつ、次に参考とする事例について見ることにしたい。








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