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5.水産基本法の制定
 平成13年の水産法制改革の中でも、水産基本法の制定は、水産政策の基本理念を明確に示すものとして、重要な位置を占める。政府当局も、水産基本法のアピールに余念がなく、いち早く各種解説本・解説記事が公刊・公表されている[4]
 水産基本法は、従来の沿岸漁業等振興法に代わって、水産政策の基本的方向を示すものである。同法制定に向けたステップとして、平成11年12月に、水産政策大綱・水産基本政策改革プログラムがとりまとめられていたところである[5]。基本法という名称をもつ立法は、最近の日本の行政法令において特に数の増えているカテゴリーであるが、水産基本法も、日本の水産政策の総合的・計画的な推進を図るという趣旨の下に、水産に関する基本的施策の方向を示すものとして、注目されるところである。
 水産基本法1条は、いわゆる法目的として、「水産に関する施策について、基本理念及びその実現を図るのに基本となる事項を定め、並びに国及び地方公共団体の責務等を明らかにすることにより、水産に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ること」が規定されている。これは、旧来の沿岸漁業等振興法が、沿岸漁業等の発展と従事者の地位向上を目的として掲げていたものと比べて、水産政策全般を視野に入れたものに改革されたもの、と評価することができるが、水産業という産業振興立法という基本的枠組みは変わっていない。したがって、水産基本法の下での漁業資源管理についても、その基本的スタンスは、旧来と大きな変化はないものと評されよう。
 水産基本法は、その基本理念として、水産物の安定供給の確保(同2条)、水産業の健全な発展(同3条)という2つを掲げる[6]。漁業資源管理との関係では、水産基本法2条2項に、「水産物の供給に当たっては、水産資源が生態系の構成要素であり、限りあるものであることにかんがみ、その持続的な利用を確保するため、海洋法に関する国際連合条約の的確な実施を旨として水産資源の適切な保存及び管理が行われるとともに、環境との調和に配慮しつつ、水産動植物の増殖及び養殖が推進されなければならない。」と規定されていることが、何と言っても目を引くところである。なお、同法2条と3条は、ともに同法の基本理念を定めるものであるが、内容的にふたつの条文は並列するものではなく、2条がより究極的な目的であり、3条は2条の目的実現のための手段という解釈になろう。
 基本法という名称をもつ法律は、最近の日本で、特に目に付く立法形式である。水産基本法の中身を一瞥すると、目的・基本理念・関係者(国・地方公共団体・漁業者・消費者)の責務と並べられた後に、水産基本計画、基本理念に対応する基本的施策、といった条項が置かれ、最後に、水産政策審議会の設置規定が置かれている。条文の並びなど、たとえば環境基本法と比べれば類似は明らかであり、現在の政府の「立法作法」がなぞられていることが分かる。法2条2項の国連海洋法条約に関する言及は、この「立法作法」上、国の責務の規定の前に、国際協力云々の規定を立てることが多いようなので、霞ヶ関的な並べ方という見立てもできる。いずれにしても、水産基本法2条2項にいう「水産資源の適切な保存及び管理」という文言が、国連海洋法条約61条2項(の日本語訳)を受けていることは、立法技術的に一見して明らかである。
 水産基本法2条2項では、「水産資源の適切な保存及び管理」という、同法の基本理念のコアとなる法概念について、特段の定義規定を置いていない。同法の政府当局による解説本などを参照すると、「水産資源の適切な保存及び管理」という法概念が、「国連海洋法条約に基づく措置を念頭に置いて」いるという説明がなされている[7]。日本の法制実務上は、すでに日本が批准した条約中に定義がなされており、水産基本法は、それを受け止めた法体系として処理されているのであろう。しかしながら、国連海洋法条約の文言それ自体に解釈の幅があるとすれば、それを国内法令たる水産基本法の文言として引き写しただけでは、結局のところ、水産基本法の基本理念のコアたる法概念の内容につき必要な定義がなされていないのと同じことではないのか、という疑問が生じる。そして、このことは、水産基本法の骨格全体に関わる根本的な問題である、と評さざるを得ない。
 「水産資源の適切な保存及び管理」という法概念は、水産基本法13条1項に再び登場する。この条文は、同法2条が定める基本理念に対応する基本的施策を定めるものであり、「排他的経済水域等における水産資源の適切な保存及び管理を図るため、最大持続生産量を実現することができる水準に水産資源を維持し又は回復させることを旨として、漁獲量及び漁獲努力量の管理その他必要な施策を講ずるものとする。」旨規定されている。同法13条1項では、日本の主権が及ぶ水域と主権的権利が及ぶ水域とを一括した水域について、「水産資源の適切な保存及び管理」を行うことを定め、TAC管理・TAE管理等の措置を行うことを定める。この条項は、日本の漁業管理に関する法制度をトータルにまとめる重要な規定と見ることもできるが、個別の法制度を、戦略的に統合して総合的に動かすという役割を果たし得るのか、今後の具体的展開を注視しなければならない。また、これらの条項について、沿岸国の主権と主権的権利を区別していないことや、日本の主権的権利を具体化するといった形になっていないことの評価など、国連海洋法条約の受け止め方という問題について、国際法と国内立法との相互関係という観点から、多くの批判的検討が必要となるであろう。
 水産基本法13条2項は、同条1項による水産資源の保存管理施策が、漁業経営に与える「著しい影響」の緩和について規定する。条文の書きぶりからは、資源保護のための減船・休漁等について直接補助金を出すとか、市場価格の調整・補助を行うといったことまでは、通常読み込めないように思われるが、総合的な行政手法による減船・休漁対策が念頭に置かれているようである。
 なお、水産基本法では、2条2項に「水産資源が生態系の構成要素である」こと、増殖・養殖が「環境との調和に配慮」すべきことに触れられ、16条で「環境との調和に配慮」、17条で「水質の保全」、26条にも「環境との調和に配慮」が規定されるなど、環境という要素が散りばめられており、少なくとも立法技術的には注目される。しかし、これらは、特定の魚種の大量放流といった事柄を除けば、具体的にどのような政策変更に関わるのか、必ずしも明らかではない。
 水産基本法は、政府が水産基本計画を定めることを定めている。この水産基本計画には、「水産資源の適切な保存及び管理」の具体化や、条約等の尊重といったことが当然に盛り込まれるのであろう。しかし、この結果、たとえばTACについて、閣議決定される水産基本計画、政令により定められるTACの対象魚種、農林水産大臣が定める基本計画(TACの数量・都道府県への割り振り等)、さらには都道府県固有のTACなど、計画およびその策定主体の重層的な錯綜が見られる。このような現象は、日本の行政計画法制でしばしば見られる事柄なのであるが、少なくとも、TACの数値そのものについては、政府レベルで明確に定めることが望まれるのではないか、というのが管見である。
 水産基本法は、一方で、日本固有の分権的な法体系を基本とする漁業法制について、漁業資源全体の適正な管理という広域的視点を注入するもののようにも読めるが、実際にはミクロの法的仕組みの点で、日本の実定法上の漁業管理法制が根本的に変化しているわけではない。この意味で、水産基本法の趣旨がどのように具体化されるのか、今後に残された部分が大きいように思われる。成田頼明教授は、水産基本法を論じたエッセイの中で、同法の趣旨には賛成するものの、「基本法に示された施策が単なる作文に終わらないようにのぞみたいものである」とコメントされている[8]。日本独自の経緯の中で構築され、少なくとも関連行政法令を読み下す限りで、既得権益の複雑な調整という要素の色濃いわが国の漁業法制が、新しい水産基本法の下でどのような形に変化・変質を遂げ、現在の状況に適合的なものへと脱皮してゆくのか、いずれにしても今後の動向が大いに注目されることは疑いなかろう。








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