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二席入選論文
グリーン・ツーリズムの資源に関する歴史的考察
―「都名所図会」を史料として―
岩松文代
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I はじめに
1. 背景
 近年では、国内観光が伸び悩んでいるが、この現状にありながら人気を呼んでいるものに体験型レクリエーションがある。これに関連して、農山漁村地域を中心に自然、文化、人々との交流等を目的とした滞在型の余暇活動であるグリーン・ツーリズムヘの関心が高まっている*1
*1 国土交通省「第1章 第2節 伸び悩む国内観光」「観光白書」2001年版, p22
 一方、グリーン・ツーリズムの対象となる農山漁村においては、1991年に農林水産省により発表された「新しい食料・農業・農村政策の方向」のなかで、グリーン・ツーリズムの振興が政策として打ち出されたように、地域の活性化が期待されている。それ以来、グリーン・ツーリズムの施策や地域住民の取り組みは、「都市住民のゆとりある余暇活動、子どもの貴重な体験・学習機会」、「農山漁村の活性化」、「農村環境の保全」の目標*2に向けて模索されてきた。これは、グリーン・ツーリズムによって観光業の振興のみならず、都市住民を受け入れることによって農林漁業を振興または復興させ、地域経済・社会、自然環境を後世に継承しようということである。
*2 宮崎猛「農村地域政策としてのグリーン・ツーリズム」21ふるさと京都塾編「人と地域をいかすグリーン・ツーリズム」学芸出版社,1998年,p30
 日本のグリーン・ツーリズムは、イタリアのアグリ・ツーリズムやイギリス、ドイツなどのルーラル・ツーリズム(農村休暇)といった農家民宿での長期滞在とは異なり、一般的に滞在日数は短く、多くは日帰りの傾向である。したがって、日本では、都市近郊の農山漁村でのレクリエーションとグリーン・ツーリズムが重複するのである。本研究では、このような滞在型観光に限定しない広義のグリーン・ツーリズムを想定している。
 
2. 問題提起と目的
 都市住民の要求としてグリーン・ツーリズムが注目されるのは、近年顕著にみられる自然への回帰志向や故郷らしさを求める田舎志向、心身の健康志向などによるところが大きいであろう。しかし、これらは現代の社会背景に起因する流行なのか、それとも古くから人々が持ってきた欲求なのかは明確に知られていない。また、グリーン・ツーリズムの魅力とは基本的にどこにあるのかも検討されなければならない。都市住民を受け入れる農山村側にとっては、訪問者のニーズを探る目的においてこの問いは重要である。それは、農山村が受け入れ側として、より適切なサービスを提供するためである。
 これまでに、農山村の何が見どころと感じられてきたのかを探るためには、時代をさかのぼった検証が必要となる。本研究の意義は、グリーン・ツーリズムに関する資源について、歴史的な見地から再考することにある。研究目的は、近世京都の名所を描いた「都名所図会」の挿絵を史料に用いて、近世の人々が郊外に求めた名所とはどのような場面であったのかを調べることによって、グリーン・ツーリズムの資源とは何かを明らかにし、それらを現代的な視点でとらえなおした上で、今後の可能性を考察することである。
 
3. 研究方法と本文の構成
 本研究では、「都名所図会*3」(1780年発行、六巻六冊)と「都名所図会拾遺*4」(1787年発行、四巻五冊)を史料とする(以下からは両方をあわせて「都名所図会」と示す)。「都名所図会」は、秋里籬島による編纂、竹原春朝斎信繁による挿絵からなる名所を案内する書物である。出版は、京都の書林吉野屋為八による。内訳は、合計417枚の挿絵と1430項目余の和歌を含んだ文章で構成されている。本研究では、挿絵を対象として、主題による分類、画面の構成要素の類型化を行う。
*3 井手時秀編「秋里籬島編 竹原信繁画 都名所図会(1780)」「増補京都叢書第十一巻」増補京都叢書刊行会,1934年
*4 井手時秀編「秋里籬島編 竹原信繁画 都名所図会拾遺(1787)」「増補京都叢書第十二巻」増補京都叢書刊行会,1934年
 本文の構成は、まず次の第II章で、本研究における「都名所図会」の資料的価値を明確にする。続く第III章では、挿絵の主題を分類し、「都名所図会」における名所の全体内容を把握する。第IV章では、郊外を描いた挿絵を30枚選択し、各々の画面の構成要素を詳細に検証し、グリーン・ツーリズムの資源を明らかにする。第V章では、現代的視点から挿絵を整理したうえで、今後の可能性はどこにあるのかを考察する。
II 「都名所図会」の資料的価値
 庶民の旅が本格化し始めるのは江戸時代初期からである。その背景には、街道が整備され交通の便がよくなったこと、庶民生活の向上、封建制度からの開放感などがあった。そして、本山が京都に集中していたため、本山参りの宗教観光が増加したことが大きい。
 近世の京都は、観光地として全国的に注目されていた。「この古都のもつ「花」にひかれて、この時代、京都へは実に多くの人々が地方から上洛し、滞在し、あちこちの名所や旧跡をおとずれ、あるいは社参や仏参を行って、都の四季を楽しんだ。多くの日本人が夢みたいわば観光の都市、それが江戸中期というこの時代の京都の一つの性格であった。*5」とされるように、京都の名所は日本の名所であったといっても過言ではない。
*5 京都市 「京都の歴史 6 伝統の定着」學藝書院,1973年, p317
 名所案内記の類は、明暦4(1658)年に中川喜雲による「京童」が発行され、その後は次々に出版された。とりわけ、社寺が名所とされ、また各地の名産が紹介されていった。その中で、「都名所図会」は、「千年の古都を浮彫にしただけでなく、まさに全国に観光という新しい民衆の娯楽を扶植した、一つのモニュメント*6」だったのである。
*6 同上, p337
 その理由として、まず、「都名所図会」が画期的だったのは、初めて大画面の挿絵を用いたことである。また、その枚数は膨大であった。そして、写実的で縮尺把握が正確にでき、実態がよく理解できるものであった。挿絵は、遠近様々な鳥瞰図や、ほぼ人の目線から描かれた近景の詳細図などがある。そして、人物を描くことによって、名所をより実感させる意図があったことも窺える。「都名所図会」の序文の凡例のなかには、「一 図中の間に人物の大画あり。四時の佳観を賞して遊楽の地を知らせんためなり。洛東の花見、宇治蛍狩り等なり」とある。画面には、人物が必ず登場し、遠景では微小に、近景では人々の表情やしぐさが読みとれるほどに大きく描かれている。画面に描かれる人物は、観光する人々の実態として解釈できるのである。
 そして、内容の幅が広いことも特色である。とくに「都名所図会拾遺」では、それまで評価されてきた名所古跡にとどまらず*7、人々の様々な行為が取り上げられている。また、その冒頭では、「名所図会拾遺は、山城州の都邑、山川の美、神祠・仏楼の勝、毫末を短簡に分かち、千里を寸陰に籠め、いはゆるよく居然として八方を弁ふるものならんや。」と説明されているように、かつての平安京内の地域だけではなく山城州が広域的に取り上げられている。都と銘打った名所図会であるにもかかわらず、郊外が多く描かれたのである。
*7 「都名所図会拾遺」の凡例に、「あながち名所古跡にかかはらず、その辺の地勢によって風流の景気を画するものなり。」と説明されている。
 このような発想は、従来の名所や図会のわくぐみを越えたものである。「都名所図会」は、グリーン・ツーリズムについて考察するための資料として、もっとも適した内容で、初期の史料のひとつであるといえる。
 そして、このような特徴を持つ「都名所図会」は、当時、爆発的に売れた。江戸時代では、初版五百部くらいが常識*8であったが、発売の明年は四千部余り売れたことから、多くの人々に共感され、人々に与えた影響は大きかったと考えられる。
*8 京都市「京都の歴史 6 伝統の定着」學藝書院, 1973年, p337
 まとめると、本研究における「都名所図会」の資料的価値は、次の点にある。・江戸時代初期からの観光増加を背景に旅人の多かった京都を描いたものであること・大きな挿絵が大量に描かれた画期的な名所案内であったこと・写実的な描写で実態が正確に理解できること・必ずある人物描写から行為の意味を読みとることができること・幅広い内容の対象が描かれていること・都の郊外が広域に取り上げられていること・爆発的な売れ行きにより多くの人々に認知されていたこと
III 都名所図会の内容
 「都名所図会」には417枚の挿絵がある。これらの挿絵が示す主題を、表-1のように分類した。ただし、挿絵には、一枚に複数の名所が描かれたり、視点の定め方によって異なる主題に解釈できるものが多くみられる。そのため、挿絵につけられた題と挿入された解説文や、描かれた名所の画面中の大きさ、前面で強調されているものなどから判断した。
 分類項目は、「社寺・史跡」、「祭り・参詣」、「産業・店屋」、「行楽・風物」、「旅路・運搬」、「村里・町並」、「自然・眺望」、「その他」とした。以下で、それぞれをみていく。
 「社寺・史跡」の枚数は圧倒的に多い。京都には社寺の本山が集中しており、当時の本山参りの多さを反映している。これらは、社寺そのものを中心に、縮尺に配慮されながら写実的に描かれており、登場する人々の行為には重きがおかれない傾向がある。絵画的な近景によって人々の行為が強調されるのは、その他の分類項目においてである。
 「祭り・参詣」は、社寺や町の景色を舞台に、京都の中心部のものに集中している。
 「産業・店屋」、「行楽・風物」になると、都から離れた郊外の挿絵の割合が高くなる。「産業・店屋」では、京都中心部では料理屋・遊郭・機織などが、郊外では、茶屋・農林漁業などになるように、描かれる地域によって内容は異なっている。「行楽・風物」は、京都中心部では花見が主であるが、狂言や謡曲などもあり、それらの場所は社寺境内である。郊外では、花見とともに魚釣りや茸狩りなどが加わり、河川や山が舞台とされるため、郊外の方が、季節の自然を楽しむ様子はより強く表現されている。
 さらに郊外の挿絵が多いのは「旅路・運搬」、「村里・町並」、「自然・眺望」である。「都名所図会」の全体を通して、移動する人々が頻繁に描かれているように、旅人の道中が名所と深く関連し、また、道中の自然は、旅人の行為とともに名所とされたのである。「旅路・運搬」は、ほとんどが街道や峠を徒歩か籠や牛馬で通過するものであるが、船運の挿絵も多くみられる。目立つのは、徒歩による川渡り、峠越え、里の通過といった道中の出来事である。「村里・町並」の内容は、ほとんどが村里を描いたもので、遠景で里の地形全体を示したものと、里人の日常生活が描写されたものがある。「自然・眺望」は、多様である。山岳、河川、池、名石、奇石や、山からの眺望、月見の眺望点なども描かれた。
 「その他」とは、内裏、庭園、橋である。
表-1 「都名所図会」における挿絵の主題による分類
  「都名所図会」 「都名所図会拾遺」  
主題分類/地域区分





































小計





城 
























小計 合計
社寺・史跡 21 24 41 31 23 32 172 6 46 6 25 14 97 269
祭り・参詣 1 5 2 3 3 5 19 12 4       16 35
産業・店屋 3 1 4   3   11 3 3   4 2 12 23
行楽・風物   1 1 3 2 1 8 4 3 1 1 1 10 18
旅路・運搬   2 2 1 2 1 8   8 3 4   15 23
村里・町並     3 3 4 4 14   2 1 6 1 10 24
自然・眺望   1 1 5 1 3 11     2 3 2 7 18
その他 4 1         5       2   2 7
合計 29 35 54 46 38 46 248 25 66 13 45 20 169 417
単位:枚
注1:地域区分は「都名所図会」の巻の区分にならった。現在の地域は以下のとおりである。
平安城首(京都中心北部)、平安城尾(京都中心南部)…主に京都市上京区、中京区、下京区
後玄武(京都北部郊外)…京都市北区と、左京区・右京区の一部
左青龍(京都東部郊外)…京都市東山区と、左京区・山科区の一部
右白虎(京都西部郊外)…京都市南区・西京区と、京都西南部
前朱雀(京都南部郊外)…京都市伏見区・宇治市と、京都南東部
注2:「都名所図会拾遺」では、後玄武は、右白虎とともに巻之三に掲載されている。
注3:各地域の地形は、後玄武・左青龍は山間、右白虎は山辺が多くを占め、前朱雀は平地や河川が多い。








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