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(5)各地のムダマハギ型漁船 (図5および巻末付表・付図参照)
1)秋田県北部・青森県西海岸地方
 秋田県北部はオモキとムダマの境界にあたる地域である。能代市から日本海に流入する米代川流域にはオモキ構造の川船が分布しているが、能代市付近より北の海岸部ではムダマの漁船が分布している。これより南の地域ではムダマという名称は聞かれなくなる。
 現在、ムダマハギ漁船が多く残っているのは、青森県境に近い山本郡八森町である。この地域では、大型のムダマハギ型漁船が残っている。これは冬場のハタハタ漁に使用する漁船で、マルキと呼ばれている。舳先が幅広に作られているのが特徴で、丸木船のような外観である。丸くずんぐりとした船首が、波にうまく乗るので、荒れた海で行うハタハタ漁に適した船形であるといわれている。マルキにはハタハタ漁に使用する大型とは別に、磯漁に使用する小型のマルキもある。これとは別に、舳先が尖った形態のムダマハギ型の漁船もある、これは小型のマルキが変化したもので、ホッツという名称で呼ばれている。ホッツは現在シマイハギに移行しており、これをヒラタパギと称する。ハタハタ漁用のマルキは現在でも相当数が船小屋の中に保存されているが、小型のマルキとホッツはFRP船に変わっている。
 小型のムダマハギは2材を中心線で接合する方法が基本で、この方法をチョウアワセという。チョウアワセは、1本の丸太を中心で挽き割り、左右の部材を得る方法がとられる。この技法をセナカアワセという。大型のマルキのムダマはムダマの幅が広くなるので複数の材を接ぎ合わせて製作する。左右のムダマ材をハバキまたはガワチョウといい、曲がりの部分をコマキという。間に入る補助材をチョウといい、チョウが1枚の時には、特にナカチョウという。ムダマの接合には、木製(ヒバ)のタタラとリュウゴを使用し、接着剤としてウルシを用いる。
 ムダマの両側に接合する舷側板をカイグまたはタナイタといい、ガワイタと称する場合もある。船体の補強材としてアバラを入れる。アバラは、肋骨様の部材で、フナバリに代わるものである。ムダマをはじめ、これらにはいずれもスギ材を用いる。
 推進具は、ハタハタ漁用のマルキは、舳先でヘガイ、船頭がトモでトモガイを操って操船をおこない、漁師は両舷でサッカイを漕いだ。小型船の場合は、古くはクルマガイも使用したが、現在は櫓とネリガイを使用することが多い。磯漁までは帆や櫓を使い、漁場での作業はトモの左舷側で、ネリガイを用いて行った。
 青森県側では、早い時期にムダマハギからシマイハギの技法を取り入れたイソブネに変化した。船大工の記憶によると、ムダマハギは秋田県北部と同様であったと伝えられるが、写真や図は残されていない。シキとシタダナは平底に接合されており、これをヒラタハギとも称している。シキの部分にムダマハギの名残となる彫り込みを残し、これをムダマとも称していることから、シマイハギの構造船に移行する過渡的段階の船型といえる。シキとシタダナをはじめとする各部の接合はスリアワセの後、鉄釘(オトシクギ)を用い、接着剤としてウルシを用いる。アバラを装着している。船材はスギを用いる。
 推進具は、現在でもクルマガイが使用されるが、櫓、ネリガイも併用している。漁場での作業はトモの左舷側で行い、ガラス(箱メガネ)で海中を覗きながらネリガイで船を移動する。釣り漁で沖に出漁するときには舷側に差し板を装着し波よけとした。船体装飾は、トモに化粧板を取り付け千鳥の模様を描く。これは後に述べる下北半島東岸の漁船と類似している。
 
図5 ムダマハギ型漁船分布図
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2)津軽半島西北部地方
 岩木川の河口にある十三湖周辺から、津軽海峡に面した東津軽郡三廐村に至る地域である。現在、ムダマハギ型漁船の多く残る地域は、北津軽郡小泊村とそれに隣接する三廐村である。この地域のムダマハギ型漁船はイソブネという。外観上の特色は、途中で湾曲した太いミヨシである。断面構造の特色としては、ムダマとウワダナの間に必ずシタダナを付けるという点にある。タナイタはカイゴまたはカイグともいわれる。この名称は、この地域だけでなく、他の地域にもある名称で、一般的には構造名としてはタナ、部材名としてはカイゴを用いる。しかしこの地域は構造名としてもカイゴと表現する事が多く、シタカイゴ、ウワカイゴという言い方が多い。小泊村では、ムダマハギからシマイハギヘの移行が見られるが、こうした構造の船をカジキパギと称する。ここでは、カジキとはシキの別名と理解されている。
 ムダマの構成は、基本的にはチョウアワセで、木取り法はセナカアワセである。しかし、材の幅が足りないときには、ムダマの中心部に補助材を挿入する。この補助材をチョウといい、チョウを1枚入れ、都合3枚でムダマを構成する場合、これに使用するチョウをナカチョウと称する。三廐村のイソブネはチョウを多く入れる傾向にあり、多いものでは5,6枚の材を合わせて1枚のムダマを構成する例も少なくない。ムダマの接合はオトシクギで、接着剤としてウルシを用いる。アバラを装着している。
 この地域では、ムダマ材としてヒバが好まれ、カツラも使用される。カイグはスギが用いられるが、ヒバも使用される。推進具は、クルマガイと櫓、ネリガイを併用している。漁場での作業はトモの左舷で行い、ネリガイを使用する。三廐村では昆布漁のときには二人一組で作業する。漁場までは一人がトモ櫓を押し、一人ドノマでクルマガイを操作する。漁場では一人が櫓を押し(トモドリという)一人が昆布を採る。
3)津軽海峡沿岸地方
 津軽半島東北部から青森県下北半島、北海道渡島半島南部を含む地域である。この地域のムダマハギ型漁船には、バッテラ、イソブネ、カッコがある。バッテラは津軽半島東北部地域、イソブネは下北半島と渡島半島、カッコは下北半島東部地域に分布している。
 船体構造、ムダマの構成、推進具などで共通する点が多い。ムダマにウワダナを接合し、アバラを装着する、ムダマハギとしては最も基本的な構造で、ムダマの構成も、チョウアワセとセナカアワセ技法、ナカチョウ、ウルシの使用などの基本的技法が一般的に見られる。推進方法は、帆とクルマガイで、櫓やネリガイはほとんど使用しない。
 しかし、その中でも細部に注目すると船形名称のほかに船体装飾、船材、操船方法などに地域的特色が見られることから、これを4地域に区分することができる。
(1)津軽半島東北部地域
 東津軽郡今別町から平舘村にいたる地域で、津軽海峡から陸奥湾口の平舘海峡に面している。この地域に分布するバッテラは、ムダマハギからシマイハギヘの移行が進んでいる地域で、現在ムダマハギ型漁船はほとんど残っていない。バッテラとは不思議な名称であるが、洋式船に積載される小型船バッテーラとの関連が考えられる。ムダマハギは、かなり以前から造船されることはなく、当時のムダマは、ほとんどがチョウアワセで、木取り法はセナカアワセが多かった。ムダマの接合はオトシクギと漆である。ムダマ材としては隣接する津軽半島西北部地域同様、腐りにくいとしてヒバが用いられるが、タナイタはスギが一般的である。
 用途はイソマワリ主体で、推進具はクルマガイと帆である。通常は一人乗りで漁場までは帆を使用し、操業はオモテの右舷側から身を乗り出して行う。ガラス(箱メガネ)を口でくわえ、漁獲具を右手で持ち、左手でそれを支える。左足の膝と胸で体をささえ、左舷のクルマガイを右足で操作して船を微妙に移動して漁を行う。二人で行う場合は一人がドノマでクルマガイを操作し、一人がオモテの右舷で作業する。これをトモドリという。
 船体装飾は船首と船尾部分に黒色の波模様や短冊模様を描くのが特徴で、トモの装飾はケショウイタと呼ばれる。類似の装飾は北海道、下北半島東部地域にも見られる。
(2)下北半島西部地域
 津軽半島対岸の下北郡佐井村からむつ市北部にかけての地域である。この地域ではムダマハギ型漁船はイソブネと呼ばれている。イソブネの用途は磯漁が主体であるが、大間崎付近の漁船は、昆布漁や、海峡での釣り漁に多く使用されるため、大型で頑丈な造りで、波よけの差し板を船首に装着している。佐井村と大間町に分布するイソブネは装飾がなく、船形もずんぐりとした外観をもつ。これより東よりの漁船はこれより小型のものが多くなり、装飾を施したものも見られるようになる。この装飾は、先に述べた津軽半島東北部と北海道と同様のものである。佐井村から大間町にかけてはムダマハギ型のイソブネが多く残っているが、風間浦村より東ではムダマハギが少なくなり、シマイハギの割合が多くなる。
 この地域では、ムダマはチョウアワセとともに、ナカチョウを入れて3材で構成されることが多い。チョウアワセでは、セナカアワセの方法とともに、2本の原木から左右2本のムダマ材を得る方法も用いられる。ムダマの接合はオトシクギと漆で、ムダマの補強のため船底に鉄製のクサビを打ち込んでいるのが特徴である。また、大間崎付近では、チャッカという動力船をムダマハギで造船した。これに使用するムダマは分厚く、多くの材を接合して作られていた。
 ムダマにはカツラ、ブナ、スギ、ヒバなどが用いられた。この地域では、ムダマには軽く水切りの良いカツラが最も適していると考えられているが、実際には入手しやすいブナを使用することが多かった。ヒバは干割れしやすく、くるいやすいとしてあまり使われなかった。
 推進具はクルマガイと帆である。磯漁では、通常は一人乗りで使用し、漁場までは帆を使った。操業方法は、津軽半島東北部のバッテラと同様で、オモテの右舷側から身を乗り出して行う。二人で行う場合は一人がトモでクルマガイを操作し、一人がオモテの右舷で作業する。クルマガイを扱う係りをトモドリといい、二人で作業することをカイアワセという。
(3)下北半島東部地域
 東通村の津軽海峡側から尻屋崎をまわって、太平洋に面した下北半島東岸の、上北郡六ヶ所村泊にいたる地域である。この地域の漁船は、昆布漁と磯廻り漁用の漁船に分かれ、前者はシマイハギの大型船でシマイハギ(シメェパギ)とかモジップと呼ばれる。この船は派手な船体装飾に特徴があるが今回の指定には含まれていない。後者はムダマハギ型でイソブネと呼ばれる。ムダマハギ型の漁船の中では、一番小型である。六ヶ所村泊では一木造りのマルキブネがあり、それから変化したカッコと呼ばれる小型のムダマハギ型漁船がアワビ漁を中心とする磯漁に使用されている。カッコは、ミヨシが突き出た特徴それ以外は東通村のイソブネと同様である。現在ではマルキブネを、浜で見かけることはなくなったが、カッコとイソブネは比較的多く残っている。
 これらに使用するムダマは、単材で構成する場合もあるが、ムダマの両端にツケモノという補助材を装着した。ツケモノはツケギまたはコスギとよばれ、ムダマの材質にかかわらずスギを使用した。ムダマの材質はカツラ、ブナ、ハンノキ、セン、スギが主でヒバはあまり使われない。東通村小田野沢以南ではブナ、尻屋崎方面はスギが多かった。また、木取りの方法も小田野沢以南では、単材のムダマが多いのに対し、尻屋崎方面は小型のムダマにもかかわらずチョウアワセが多く、木取り法はセナカアワセが一般的であった。これは、単材で使用できる太さのスギ材を得ることが困難なためである。
 アバラは、他の地域のムダマハギ型漁船の場合は、二組から三組装着するが、ここのイソブネとカッコは一組が標準である。また、船底に敷くイタゴも、ドノマの部分だけに敷く。推進具はクルマガイで、帆は使用しなかった。漁場ではオモテの右舷から身を乗り出して作業し、クルマガイはガラス(箱メガネ)をのぞきながら手で操作する。船体装飾は、トモのケショウイタに、先に述べた西海岸地方同様の千鳥の模様を描いている。
(4)渡島半島南部地域
 津軽海峡西部の松前町から津軽海峡東部の恵山町にいたる地域である。この地域のムダマハギ型漁船はイソブネという。函館市から西のいわゆる上磯方面と、海峡東部の恵山方面にはムダマハギ型漁船が多く残っているが、函館市東部の銭亀沢から戸井町にかけてはシマイハギに変化している。函館から西では、福島町から白神崎、松前町にかけて船形が小さくなる傾向がある。イソブネは主に磯漁に使用するが、恵山方面では沖合に出て釣り漁にも使用するため差し板を装着し波除けとしている。これとは別に、コンブ漁に使用するやや大型の漁船がある。これはモジップとよばれるが、先に述べた下北半島のモジップとはやや形が異なっている。モジップは以前はムダマハギのものもあったというが、現在はすべてシマイハギである。
 イソブネのムダマはスギが多く用いられるが、カツラが最も良いとされている。函館市近辺では青森県の下北半島から入手する事が多かった。チョウアワセが主で、木取り法はセナカアワセである。接合にはオトシクギを用い接着剤としてウルシを使用する。昔はオトシクギとともにリュウゴ(チキリともいうがこの言い方は新しい)を入れ、補強したこともあった。ナカチョウをいれて3枚で構成する場合、ムダマ材はハタチョウといった。ムダマの曲がりの部分はコマキといった。装飾は先に述べた津軽半島東北部、下北半島東部地域のムダマハギ型漁船と同様である。
 推進具はクルマガイで、漁場までは帆を使用した。函館市付近では一人で磯漁を行うときは、トモ(船尾)の左舷から身を乗り出して行った。口でガラス(箱メガネ)をくわえ、右手で右舷のクルマガイ、右足の膝(足にツマゴを履いていた頃はツマゴにクルマガイを固定した)で左舷のクルマガイを操作しながら海中を覗き、とる時には右手のクルマガイをはなし、両手でホコを使うというものである。作業の位置は、函館市付近でも、地域や時代によってはオモテ(船首)の右舷で行うこともあり、一定していない。函館市以外の地域では、オモテの右舷が普通である。近年ではイソブネに二人乗りで漁をする事が多く、漁場までは二人でクルマガイを漕ぎ、漁場に着いてからは、一人がオモテのクルマガイを操作し、もう一人がトモの左舷で作業する。これをトマイト、またはトモドリという。二人乗りは昔からある方法で、オモテの右舷で作業するときには、トマイトはトモでクルマガイを操作する。二人乗りの場合は「トマイトがついた」という言い方をする。トマイトは、シオや風の強い日に限って乗せる場合もある。
4)青森県東南部・岩手県北部地方
 太平洋岸の、青森県三沢市から岩手県久慈市にいたる地域である。久慈市侍浜がムダマとクルマガイの南限である。この地域で使用されるムダマハギ型の漁船はカッコと呼ばれるが、先のカッコとは全く別のものである。カッコは現在三沢市付近にはほとんど残っていないが、岩手県境の三戸郡階上町から岩手県久慈市にかけて比較的多く残っている。
 カッコは、ムダマの両側にハラキと呼ぶ部材が接合されムダマと一体になって船底部分を構成している。ムダマとハラキの接合はスリアワセの後、鉄製のオトシクギでおこない、ウルシも使用する。ここではムダマのことをホッツまたはホッチともいう。
 ムダマには古くはカツラ、イタヤ、マツが用いられたが、1933年の三陸津波以後は、国有林からの払い下げによるブナが使われるようになった。その後もハラキには必ずマツを用いた。ウワダナはハラキに接合される。材質はスギである。また、構造上の特徴として、船体にアバラを入れず、それに代わるものとしてマズラとフナバリが用いられている。この構造は、先に述べた青森県西海岸地方のイソブネ同様、ムダマハギからシマイハギヘの過渡的な段階を示すものとして注目されるが、フナバリとマズラの使用は、よりタナ造りの構造船に近いといえる。
 また、先に述べた下北半島大間付近のチャッカと同様に、ムダマハギ技法を使用した動力船が近年まで使われていた。
 推進具はクルマガイと櫓を併用したが、ネリガイは使用しない。他のムダマハギ型漁船に比べると水切りのよい船首で、帆走性能に優れ、昔は冬場のタラ漁にも使用された。また、イワシの揚繰り網漁や地引き網漁に、手船や枠船として使用されるなど、さまざまな用途に使用され、イワシ漁の枠船に使用されたカッコは現在見られるものよりずっと大型であったという。
 磯漁は通常二人で行った。帆を使用しないときには、一人がドノマでクルマガイを漕ぎ、一人がトモ櫓を押した。漁場では、一人がオモテの右舷で作業し、一人がトモでクルマガイを操作した。これらはそれぞれトリデ、トモガイトと呼ばれた。風が強いときは船を安定させるため、トモガイトは櫓を使用した。








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