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2. 冷戦後における日本の安全保障
●森本 敏
 
 国際社会は依然として、冷戦後世界の新秩序を模索している。しかし、この冷戦終焉後、一〇年を経る間に、明確になったことがある。それは世界が米国による一極社会となり、その米国が支配的、覇権的傾向を強めてきたことである。
 他方、国際社会には冷戦後に多国間協調主義や地域主義が着実に進展しており、世界はこの米国のユニラテラリズムをマルチラテラリズム、リージョナリズムの中にどのように組み入れて調和を図るかという問題に直面してきた。
 主要国関係を見るとロシアや中国は米国の一極制に対して覇権を競って対抗しており、また、米欧関係は米国の新保守主義ともいえる国内産業重視の国益中心主義と、欧州諸国の国民個人の福祉・利益を重視した社会民主主義が競合してきた。国連は冷戦後にその役割が注目されたが、こうした主要国の思惑もあり、期待されたほど十分に機能せず、また、役割を果たしているとは言えず、また、今後も国連がそのような役割と機能を果たしうる見通しはない。
 このような状況下で今回のテロ事件が発生した。この事件そのものは冷戦後における安全保障に重大な問題を提起したが、同時に、このテロ事件とその対応は今後の国際関係や安全保障戦略に相当な変化要因をもたらしている。
 その要因とは、第一に、米国をはじめとする先進諸国にとってイスラム原理主義勢力のテロ集団によるテロ脅威と大量破壊兵器による脅威が極めて重大かつ、深刻な安全保障上の課題になったということである。米国はこれを「新しい戦争」と位置付けて米軍のすべてを投入して長期にわたる戦争を戦うという姿勢をとり続けている。この新しい戦争は従来の戦争概念を大幅に覆すものであり、戦争の主体、手段、様相、戦域とも全く変質してしまっている。そして、こうした新しい戦争の概念が米国の国防戦略や日本の安全保障に如何なる影響を与えるかについては、今回の米軍を中心とする軍事作戦の推移を見極めながら注意深く検討する必要がある。
 第二に、こうしたテロ対応措置が国際的な安全保障や国際秩序にいかなる意味合いをもつかという問題である。米国は今回の軍事作戦を遂行するに際して、同盟国やイスラム社会などに十分な配慮を行いつつ、慎重に準備して開始した。にもかかわらず、イスラム社会には大きな反発が起きている。他方、こうした米国の配慮もあって欧州同盟国の多くが米国の作戦に同調し協力を行っている。中国、ロシアとも米国の作戦に同調と理解を示している。特に、ロシアの協力は極めて顕著であり、冷戦期の米ソ関係を考えると想像をはるかに超えたものである。こうした各国の同調と協力は今回のテロという脅威が各国共通の懸念であるばかりではなく、最早、米国をおいてこうした重大な脅威に対応し得る総合的な国力と能力をいずれの国家も持ち合わせていないということを意味するのであろう。問題はこの作戦が成功すれば米国の一極制が強化され、米国の国際社会におけるリーダーシップが増大するのかどうかである。
 第三に、今回の軍事作戦を米国は宗教戦争ではなく、これは文明の衝突ではないと強調している。しかし、現象的にはイスラム対反イスラムという動きが随所に見られる。このことは、結局、一連の作戦が終息したあと、国際社会は米国をはじめとする先進民主主義国と価値観を共有できる人、国家と、こうした価値観が共有できない人、国家に緩やかに分かれて国際秩序が形成される可能性を示唆するものである。
 いずれにしても、このように国際社会は冷戦後にグローバルな諸問題、特にテロ、生物・化学兵器、ミサイルなどの大量破壊兵器拡散、エイズのような伝染性疾患の広がり、地域紛争、麻薬などの拡散問題に直面しているが、同時にイスラムの反米運動や反グローバル化運動も先鋭化しており、そのインパクトは深刻である。このような諸問題の解決には主要国が協力してあたらなければならないが、主要国の関係が複雑であり、また、民族・宗教的要素も入って問題解決が難しいという問題にも直面しているのである。
 
 今回、テロに対応する米国の対応措置に日本としては国際協力を進めつつ、一方において、同盟国として十分な貢献をするためテロ特別措置法、自衛隊法・海上保安庁法改正という国内法整備を行い、今までにない実質的な対米支援を行っている。このような貢献策は憲法の枠内として、できることの概ね限界にきているであろう。
 他方、日本の今後の安全保障戦略を検討するに際しては、今回のテロ作戦が米国の国家戦略、特に、同盟戦略、国防戦略にいかなる変化をもたらすかについて注意深く分析していく必要がある。米国の国益追求は現実的、効率的であり、米国の負担と犠牲をできる限り軽減して同盟国、友好国の活力を最大限に活用することにより補完しようとする傾向を有する。米国は孤立主義ではなく、また、国際協調主義でもないが、そのアプローチは効率的関与主義ともいうべき国益重視の覇権主義的性格を持っている。同盟関係も米国の重大な国益に合致する限り活用されるのであり、冷戦期の同盟とは性格が異なる。欧州同盟国は個々の政策を自国の国益に照らしてケースバイケースで米国との共同歩調をとっている。日本は冷戦期の習慣からぬけでることができずに依然として米国との共同歩調を隷属的に判断して進めているが、このような日本は国益観という尺度のない国家のように見えるのであろう。
 アジアを見ると欧州と異なり、パワーバランスを有利にしようと努めている中国や北朝鮮があり、また、インドやパキスタンを含む南アジアのように地域国家の覇権競争が激しくなる傾向にある。アジアではまた、弾道ミサイルや核兵器・生物・化学兵器の脅威も欧州より深刻である。朝鮮半島問題や中国・台湾関係のように冷戦期から未解決の問題もある。このような安全保障環境のなかで今後、米国の戦略が見直されれば同盟国としてもその選択を迫られるであろう。
 
 こうした状況下において日本が進めるべき安全保障戦略とはいかなる方針と要因を持つべきであろうか。その重点となる課題を指摘してみたい。
 第一に、日本の安全保障政策上の与件となっている法的枠組みを再構築することである。その究極的な目標は憲法を改正し集団的自衛権を行使できるようにすることであることは言うまでもないが、そのためには自衛権を憲法上明記して、防衛力の保持と自衛権行使および危機管理を含む国家緊急時における首相の権限を明記すべきである。しかし、そのような措置をとるまでには時間もかかり国家緊急事態はいつ、起こるか予断を許さない。それまでの間、やるべきことは憲法下において危機管理を含む安全保障上の包括的な法体系を確立して対応することが賢明である。例えば、安全保障基本法を制定して憲法下で首相の権限と国民の権利・義務を明確にする必要があるであろう。
 第二に、このような法的な枠組みを再構築してから日米同盟の再々定義を行うことである。従来の価値判断基準によって国家のあり方を説明するやり方は説得力をもたなくなりつつあり、同盟関係より経済利益や企業利益を重視する考え方が社会を動かそうとしている。日本は米欧関係だけでなく、米国とアジア諸国の中間に位置しているが、日本の立場が不可解で、不透明であることにより国益を損なっている。従来、二国間同盟によって国家の安全保障を確保していた日本の政策アプローチがいつまで続くのかについて再考しなければならない。その存在理由を説明すべき新しい論理を模索すべき時になっているのであろう。その上に立って、同盟を再検討し、さらに日米両国が果たすべき役割と任務を分担し、協力する枠組みを再構築する必要が出てきている。その際、日米安保条約と日米地位協定を改定する必要が生じてくるであろう。
 第三に、日本の安全保障戦略を国家価値、国益、国家戦略という概念を明確にして総合的な戦略を構築することである。従来、日本には政策方針はあったが戦略はなかった。戦略は冷厳な国益追求の手段である。国益が明確に定義されず、認識されず、憲法上できることから何を選択するかという政策議論に終始したきらいがある。したがって、重大な国際問題や安全保障問題が起こるたびに国内法の整備ができておらず、法体系を整備するという国内作業を通じて安全保障論議を行ってきたに過ぎない。日本として国益追求の観点から何をすべきかという政策論議がなかったのはそのためである。安全保障は本来、総合的な機能を有しており、したがって、その政策たる安全保障政策も総合政策でなければならない。エネルギー、食糧、資源、経済、国防、外交、危機管理などの要素を十分に包括した戦略的思考に立った戦略と政策方針を構築すべきであろう。
 第四に、アジアの平和と安定のために安全保障面で積極的な貢献を行うための戦略を構築すべきである。ARF(アセアン地域フォーラム)ではアジアの紛争は解決できない。したがって、現在では同盟関係しか域内の深刻な安全保障問題を解決できる手段はない。しかし、すべての問題に日米同盟が適用され、活用できるわけではない。アジアでは多国間の安全保障協力が進展しつつある。特に、多国間演習、海洋安定のための安全保障協力、紛争解決・紛争予防のための協力については日本として積極的な協力を行う必要があろう。それを、将来、日米同盟を基軸にして多国間の安全保障枠組みに発展させることができれば望ましく、そのためには、日本として地域的な安定のために重要な貢献の実績を作っておく必要がある。
 第五に、国際社会の安定と平和のための協力を促進することである。特に、PKO法を改正してPKFに参加し、従来のPKO原則を柔軟に運用し、また、ODA予算をも活用できるようにしてPKO活動を拡大することである。東チモールやアフガニスタン、パキスタンの国連活動には積極的に参加できるようにすることが日本の国際貢献を広げ、安全保障面での資産が構築されるであろう。
 第六に、日本の防衛力のあり方について抜本的な再検討を行うことである。防衛力は冷戦期に米国の抑止力を補完する形で発展してきた。冷戦後には独自の機能を果たして日米同盟に貢献することができるようになりつつある。しかし、米国の国防戦略の方向と重点を見極めつつ、日本の防衛力のあり方を考えると独自の機能と役割を拡大する必要が出てきており、この点で防衛力の独立完結性を拡大するよう防衛大綱を再検討する時期にきている。
 








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