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9. 対テロ戦争と新国防戦略
 ――米国防総省「四年毎国防計画見直し」報告序文
●ドナルド・H・ラムズフェルド
 
 二〇〇一年九月一一日、米国は凶暴で残虐な攻撃にさらされた。米国人が職場で死亡したのだ。彼らは米国の土地で死亡した。彼らは戦闘員として死んだのではなく、罪のない犠牲者として亡くなった。彼らは、伝統的な軍事行動を行う伝統的な軍隊によって殺されたのではなく、残忍で、顔のないテロという手段によって殺害された。彼らは、戦争―多くの人が恐れてはいたが、現実のものとなってそのあまりの恐ろしさに米国民は驚愕した―の犠牲者として亡くなった。
 国家が今日戦っている戦争は、米国が選んだ戦争ではない。それは、邪悪なテロ勢力によって、暴力的かつ残忍な形で米国の地にもたらされたものだ。それは米国と、米国の生活様式に対する戦争である。それは、米国が大事に思っているすべてに対する戦争である。それは、自由そのものに対する戦争である。
 米国に対するこの攻撃と、われわれに課されたこの戦争は、われわれの置かれた環境の基本的状況を浮き彫りにした。すなわち、米国の国益がいつ、どこで脅威にさらされるか、いつ米国が攻撃を受けるのか、あるいは攻撃を受けた結果いつ米国人が死ぬか、現在も将来も知ることは不可能だということだ。われわれは傾向をはっきり知ることはできるが、何が起きるかについては、はっきりと分からない。脅威を特定することはできても、いつ、どこで米国やその友人が攻撃されるか知ることはできない。われわれは何としても不意打ちを食うのを避ける努力をすべきだが、同時に不意打ちを予期しなければいけない。絶えずより良い情報を入手するよう努めなければならないが、同時に情報には常に食い違いがあるということも忘れてはならない。したがって、奇襲に対応すること、迅速かつ断固として対応することが、計画立案の前提条件でなければならない。
 この「四年ごとの国防計画見直し」は、新しい時代への移行期という非常に重要な時期に着手された。二〇〇一年九月一一日の攻撃の前においても、国防総省の幹部たちは、不確実性を受け入れて奇襲に対処できるような米国防衛のための戦略、海外において有効で、米国本土が安全でなければならないという考え方を前提とした戦略の構築に着手していた。その戦略は、米国の影響力を拡大し、米国の安全保障を維持するための条件を打ち出すことを目指した。その結果生まれた戦略は、米国の軍と能力の発展およびその配備と使用の指針として四つのカギとなる目標を見据えて構築されている。すなわち、
▼同盟国と友邦に、米国の決意と安全保障コミットメントを履行する能力が不変であることを保証すること。
▼敵に、米国の利益や米国の同盟国・友邦の利益を脅かすような計画・作戦を企てることを思いとどまらせること。
▼迅速に敵の攻撃を打破するとともに、侵略行為に対する厳しい制裁を、敵の軍事力とそれを支えるインフラに加えるための能力を前方展開することによって、侵略と抑圧を抑止すること。
▼もし抑止に失敗したら、いかなる敵をも断固として打ち破ること。
 
 この見直し作業の中心的目的は、国防計画の基礎を、これまでの考え方を支配してきた「脅威を基にした」モデルから、将来のための「能力を基にした」モデルヘとシフトさせることにあった。この「能力を基にした」モデルは、具体的にだれが敵となるか、どこで戦争が起きそうか、といったことよりも、敵がいかに戦うかということに、より一層焦点を当てるものだ。それは、遠く離れた戦域における大規模通常戦争に備えた計画を立てるだけでは十分でないことを認めたものだ。それに代えて米国は、自らの目的を達成するために奇襲や欺瞞、非対称的戦争に頼る敵を抑止し、打破するために必要な能力が何であるのかを明らかにしなければならない。
 この「能力を基にした」アプローチを計画立案に採用するためには、国家が自らの軍隊の主要な分野における優位を維持しつつ、軍事的に優位な新分野を開発し、敵に非対称的優位を確保させないことが求められる。それには、既存の軍事力を新しい環境に適応させる一方で、新しい軍事能力の開発を実験することが必要となる。要するに、米国の非対称的優位を将来にわたって維持するために、米国の力、能力、組織を改造することが求められる。
 二一世紀に通用するように米国の防衛体制を改造するには、わが国とその指導者たちの長年にわたるコミットメントが求められる。改造は明日のための目標ではなく、今日真剣に取り組まなければならない試みである。国が直面する挑戦は、遠い将来におぼろげに見えているのではなく、今まさに眼前にあるのだ。その挑戦には、われわれの決定的に重要な作戦基地―最も決定的に重要な作戦基地である米本土を含む―を守り、遠く離れていてアクセスしにくい環境に米軍を投入し、維持することが含まれる。それには、米国の情報システムを確実なものとし、敵の兵力・能力を絶えず監視、追跡し、迅速に把握する必要がある。そのためには米国の宇宙システムの能力と持続性を強化し、IT(情報技術)と新しい概念をテコとして、より効率的な統合作戦に備える必要がある。
 当然ながら、われわれの努力は比較的小さなところから始まるが、その歩調と強度は著しく高まるだろう。そしてやがて、われわれが軍の遺産を捨てて舞台からいったん降りて、米国の制服軍人男女の戦闘効率性と戦闘潜在力を最大化する新しい概念、能力、組織に資源を投入することによって、軍改造公約が完全に実現することになる。これは簡単な仕事ではないだろう。それには、揺るぎない目標と、効率的・効果的に事を進める自由が必要となる。そのためには、国防総省を運営する新しい手段と、既存のやり方の全面的総点検が必要になるだろう。
 米軍の改造を支援し、国防総省の全活動をより良く運営するため、「四年ごとの国防計画見直し」は危機の評価・管理のための新しいアプローチを示した。この新アプローチによって、国防総省は国家の将来の安全を守るのに必要な能力に投資しながら、近い将来の脅威によりうまく対応できるようになるだろう。
 この「四年ごとの国防計画見直し」は、国防総省の高位にある文民・軍人指導部が作成したものである。米大統領とも広範に協議した。戦略、戦力、能力、危機に関する決定が、国防総省の大半の高級指導者間での何カ月もの検討・協議の結果まとめられたものであるという点で、この「国防計画見直し」はまさに「トップダウン」式だった。この報告は、今後の米国の安全と安全保障を維持するために必要な、カギとなる変化を概略している。
 この「四年ごとの国防計画見直し」とこれに付随する報告書は、二〇〇一年九月一一日の米国に対するテロ攻撃以前に大部分完成していた。重要なのは、一連の攻撃によって、今回の見直し報告が結論として打ち出した戦略の方向や計画原則の正しさが確認されたことである。とりわけ本報告書は、米本土防衛、奇襲、非対称的脅威への備え、新たな抑止概念の創設の必要性、能力に基づく戦略の必要性、異なる次元の危機に関して慎重にバランスを取ることの必要性等々を強調しているのだ。二〇〇一年九月一一日の米国への攻撃を受けわれわれは、テロリズムとの戦争に携わっているさなかであっても、そうした方向を目指してより迅速に前進する必要があるだろう。
 広範で複雑な政策や、米国民を守るためにわれわれがいかに団結し備えるかに関する作戦上あるいは時に憲法上の諸問題に、かつてなかったほど米政府全体が注意を払っている。大事なことは、本土安全保障の責任範囲は連邦、州、地方組織にまたがっているため、米国を攻撃から守るには、関係各機関合同の作業や能力が必要となるということだ。決定的に重要なそのための努力は、「国土安全保障局」がこのほど設置されたことで一気に勢いづくだろう。
 このように、本報告が示しているのは、物事の終わりではなく始まりである。本報告は結末を迎えたが、国防総省は同省の軍事計画から資源配分過程に至るまで、本報告で打ち出された方向を検討し、実行に移す作業に入っている。こうした努力によって今度は国防総省指導部に、本見直し報告の結果下される決断を積み重ね、それを洗練されたものとする機会が与えられる。
 最後に、二〇〇一年九月一一日の攻撃による人命の損失と経済への打撃を受け、われわれは、自らの防衛のためにこの国はどこまでできるのかという問題について、新たな見方をすべきである。見せかけの経済で図に乗ったり、われわれの子供たちの未来を賭けたりするのは無謀なことだ。この国は、明日の敵を抑止するのに必要なことにカネをかけ、われわれの繁栄を補強するだけのゆとりがある。そのためのコストは、もしわれわれがそうしなかった場合の人命・資源のコストとは比較にならない。
 テロリズムとの戦争という困難に挑戦するのと同時に、われわれは米国の防衛改造という道を進んでいかなければならない。国家に対するわれわれのコミットメントは揺らぐことはなく、われわれの目標も明確だ。それはすなわち、すべての米国人に安全と安寧を提供し、世界全域で米国のコミットメントを守ることである。何世代も前と同様に、われわれの軍隊の技量、彼らの任務に対する献身、そして彼らの犠牲心は、わが国の力の核心である。われわれは、われわれの世代のためだけでなく将来の世代のためにも、平和と安全を守るために彼らが必要としている資源と支援を提供しなければならない。








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