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5. 戦争における情報の役割
●アンドルー・マーシャル
 
 戦争における情報の役割がいかに変化しているかを検証するこの取り組みは、情報・伝達技術の分野で進む目覚ましい発展と、これらが戦争に与え得る効果を理解しようとする試みだ。この分野は非常に予測が困難であり、ザルメイ・ハリルザードとジョン・ホワイト、および彼らの共同研究者によるこの取り組みは称賛に価する。彼らは、現時点ではその重要性と同じほど複雑で、意見の一致がみられていない問題に取り組もうとしている。このような取り組みは、われわれの考えをまとめ、意見が一致している分野と、していない分野の整理を手助けするところに主要な価値がある。実際、この論文は、文中で紹介されている多種多様な観点から探り得る幾つかの重要な教訓を明らかにしている。それは、次のような点だ。
・ 情報の進歩が影響を与えるのは、単に戦争の戦い方だけではない。戦争の性質や目的自体も変化するかもしれない。国家や地域の相対的な力の変化に伴い、戦争の始まり方や終わり方、その期間、参加国の性質は変わり得る。
・ 新しい技術は、国家安全保障への効果の面で、両刃の剣である。この論文は、進歩が新たな弱さをつくりだすことと同時に、新たな脅威が新たな機会を生むことを明確にしている。われわれは、ここに記録されている変化を全面的に悪いこと、あるいは全面的に素晴らしいこととみる誘惑と戦わねばならない。われわれはむしろ、技術の大きな変化が二面性を持つのは避けられないという事実を理解する必要がある。
・ 米国防総省は、情報革命の進む速度と方向をほとんど管理していない。同省は従来、新たな情報技術の開発、精製、実行に重要な役割を果たしていたが、今日では技術の分野は主に民間が推進している。国防総省は、難しいことではあるが、情報分野の開拓者の立場から、主要な利用者になる必要が出てきた。この立場の変化により、新たな技術の開発に遅れないようにするだけでなく、技術はもはや、軍の設計書に厳密に合わせて開発されるものではないことを受け入れなければならなくなるだろう。
・ 情報を生産、伝達、活用する能力の向上は、国家安全保障のあらゆる分野に重要な効果をもたらすだろう。情報はどこにでもある。その結果、われわれは、これらの新たな技術がいかに他人の仕事を変化させているかを理解しない限り、いかにわれわれ自身の仕事に変化を与えているかを理解できないだろう。情報化時代の到来により、かつては決してなかったことだが、われわれはより幅広い視点を持ち、われわれ自身に直接の責任がある分野の外側で起きている変化を見えなくするような一面的な見方を避けなければならなくなるだろう。
 米国の防衛体制が今日、いかに機能しているかを考える時、これらの教訓は重要であるだけでなく、当初思われていたほど、自明のことでもない。残念ながら、これらの教訓はわれわれが直面している一連の変化への適応の仕方に関し、非常に大まかな指針を教えてくれているにすぎない。この論文が指摘している通り、現時点ではわれわれにはより詳細な指針についての何らの合意もできていない。その理由の一つは、情報や情報システムの変化は、将来を理解する上で難問の象徴となっているからだ。ロバート・アクセルロッドとマイケル・コーエンは最近の著作の中で、われわれが直面しているこの複雑な不確実性について、適切な洞察を示している。アクセルロッドとコーエンは、システムが「複雑」なのは、多くの要因が同時に発生しているからだけでなく、これらの要因の相互作用の在り方にも原因があるとして、次のように論じている。
 
 動き回る要素を多く持ちながら、極めて容易に予測できるシステムはたくさんある。理想気体の中で衝突する無数の分子を考えてほしい。「複雑さ」について、われわれは別のことも示しておきたい。それは、このシステムは、多くの要素やプロセスを含んでおり、これらはそれぞれ激しく相互作用しているだけでなく、恐らく他のシステムの一部要素やプロセスと非線形に作用しているということだ。生態学と頭脳はこのより社会化された意味において、複雑なシステムと表現するにふさわしいだろう。
 こういった環境において、予測を特に困難にしているのは、将来を形づくる力が付加的に作用するのではなく、むしろシステムを構成する要素の非線形の相互作用を通じ、機能していることにある。このような世界では、事象は他の事象の起きる可能性を、時には劇的に変えてしまう。
 
 戦争はアクセルロッドとコーエンが論じている意味で、常に非線形で複雑だった。ちょっとした出来事がしばしば、誤って解釈された機械や、極度に緊張に満ちた環境下で予測不能となった人間の行動の組み合わさった状況に、不釣り合いなほどの効果を与えてきた。このような状態が繰り返されているにもかかわらず、複雑さに関する深遠で新しいメッセージがこの論文には展開されている。センサーやネットワーク、伝達システムにより、戦場や軍事行動の周辺の状況に関するさらに多くの情報が得られるようになった上、個々の部隊の活動が調整できるようになったことで、軍組織は混乱の一歩手前で極めてバランスの取れた状態になった。
 こうしたネットワークや総合体系の要素の機能が混乱したり、場合によっては破壊されたりする時に、これらの体系の機能に何が起きるかを理解するのは実に困難だ。現時点では、われわれはそのような問題を理解する分析の枠組みを持ち合わせていないし、もちろん十分な基準もない。このため、情報の水準や非対称性の変化がもたらす効果、情報戦争が軍組織の行動に及ぼす効果は、全く予測が困難な問題だ。
 アクセルロッドとコーエンはもう一つ、的を射た論点を示している。今日の情報革命がいかに国際政治に影響を与え得るかを予見することの難しさを説明するに当たり、二人は過去の情報革命、すなわち印刷革命を参考にしているのだ。
 
 印刷革命は欧州で、直接的な効果とはしばしば全く異なる間接的な効果を生んだ。古代の権力者は、古代の教科書の改善された版が入手できるようになったにもかかわらず、徐々に衰えていったし、科学の進歩は偽の科学が広まったにもかかわらず、促進されたし、情報をより広く共有できるようになったにもかかわらず、宗教は分離したし、情報の届く範囲が広がったにもかかわらず、国語や国家は発展した。今日の情報革命の効果を予測するに当たり、このことすべてがわれわれを失望させる。われわれは直接的な効果の一部を見始めることはできるが、間接的な効果は全く異なり、はるかに強力であることを認識する必要がある。
 
 このような背景の下で、ほとんどすべての章で触れられている二つの中心的な問題について、少しコメントしたい。第一に、この論文の中で多く論じられているように、米国のコンピュータネットワークや情報基盤、米軍の情報システム、また疑いのないことに他の国々の軍の体制は非常にもろい。一部のアナリストは、このようなもろさから、国家の経済やインフラストラクチャー、軍備が世界のほぼどこからでも、戦略的攻撃を受ける新たな可能性が生じているとみる。
 しかし、歴史はわれわれに、直接的な効果はしばしば、間接的な効果とは全く異なり、一般的に間接的な効果ほど重要ではないことを教えている。すべての行動は反応を呼ぶ。つまり、すべての新型兵器は、新型の防衛設備の開発に拍車を掛けるのだ。このため、重要なのは今から一〇年、二〇年後にどのような状況になっているかということである。このようなもろさは残っているだろうか。攻撃する側は、防衛設備の開発に引き続き先んじたままだろうか。
 これまでの経験は、今日のぜい弱さが続かないことを示している。今日まで、防衛体制の構築にはあまり焦点が当てられてこなかった。技術は急速に変化しており、情報システムはこの変化への対応に伴い、進化を続けている。二、三年ごとに新システムを導入するとなると、多大のエネルギーと配慮が必要となる。一部地域、特に利益が大きくリスクがよりはっきりしている商業圏では、外部からの侵入の脅威に対する反応はとりわけ大きかった。もちろん、企業の自衛行為を支援するビジネスに対する需要は急速に伸びている。わたしは、こういった保護措置が最高の状態で適用された場合の効果を判断する立場にはないが、現在のもろい状態から将来を判断するのは間違いだと信じている。
 同様に、新しいメディアや安価な通信手段により、小規模組織の権利が拡大されるのに伴い、国家が弱体化するとの見解も多々ある。これはその通りかもしれないが、より重要なのはその規模と速度だ。ダートマス大学の政治哲学者ロジャー・D・マスターズは、マキャベリが一六世紀初めに国民国家が出現することは避けられないと予見していたと指摘した。にもかかわらず、現在のような形の国民国家が登場するまで、二〇〇年かかった。国家は現在は優位な立場にあるものの、恐らく弱体化が進んでおり、今後は間違いなく、衰退に向かっていくとみられる。本当に問題なのは、衰退までどれだけ時間がかかるかだ。繁栄していった時のぺースよりも速く、衰退していくのだろうか。
 戦争をより狭く、戦域として見た場合でも、複雑なシステムにおける変化の予測が困難であることを伝えるに当たり、同じような観測を示すことができる。このレベルの戦争では、新しい情報技術は訓練から後方支援、広報活動に至るほとんどすべての部門に影響を及ぼす。新しいセンサーや通信手段、情報処理能力の開発により、広範な地域に分散している部隊間の調整が新たな段階に達するだけでなく、ほとんどすべての兵器システムは、内部に埋め込まれたマイクロプロセッサーから引き出される新たな能力を得ることができる。兵器や爆撃機などは洗練されつつあり、より多くの決定がこれらにゆだねられるようになっている。
 そのような変化の結果、この領域における予測もまた、困難になっている。にもかかわらず、この論文と、二〇二〇年の戦争について、私の事務所が行ってきた机上作戦演習から、二つの観測が浮上している。第一に、センサー装置や指揮・管理システムと連結する長距離精密攻撃兵器がほんの間もなく、戦争の多くを支配するようになるという観測だ。この重要な作戦任務は、敵の戦力や支援システムを遠くから破壊または無力化するようになるだろう。敗北は、消耗や全滅より、むしろ指揮・管理能力の分裂が原因となるだろう。
 第二に、情報の"大きさ"がますます戦闘結果を左右するようになるという観測である。このため、作戦を練る上で、自らの情報システムの効果的かつ継続的な機能を維持し、敵の情報システムの機能を低下、破壊、混乱させることに、重点が置かれるようになるだろう。将来の戦争で成功を収められるかどうかは、情報の領域で早めに優位に立てるかどうかにかかるようになる。このことは、これまでも常に重要なことではあったが、間もなくすると、このことこそがカギとなるのだ。
 しかし、本質的には、これらの予測は軍事行動の内容についてであって、その結果についてではない。情報とその関連技術は、戦場の中心となることを運命づけられている。このことは、攻撃側あるいは守備側のいずれかが優位に立つことを意味しているのだろうか。この状況は、国家やテロリストにとって好都合だろうか。戦争は情報操作の実践の場になるのだろうか。将来のことが明確でなく、今日も意見の不一致がある中で、わたしが言えるのは将来を予測するに当たり、慎重かつ謙虚であれということだけだ。
 








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