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大国間関係
 米国に課せられたもう一つの重要な課題は、他の大国との関係に焦点を当てることだ。幸いにも大国の多くが米国の友好国だが、それを当然と考えず、関係の堅固な基盤を築くべきである。そうすれば、いざというときに他の大国を安心して信頼できる。中国と北朝鮮の脅威に対処するには、日本や韓国との協力および三国間の調整が必要である。米国の真のパートナーにどのようなシグナルを示すかはきわめて重要である。今後米国大統領は、九日間も北京に滞在しながら東京にもソウルにも立ち寄ることを拒否するようなことを、絶対にしてはならない。
 ヨーロッパ諸国との間でも進めなければならない仕事がある。ソビエトの脅威がなくなった現在、(NATOを中核とする)大西洋同盟を維持する意味がどこにあるかを明確にすることだ。NATOはコソボ紛争を経験し、二〇〇二年以降の同盟の拡大という懸案も抱えており、米国はNATOに大きな関心を払わなければならない。中・東欧の多くの国はNATO加盟に必要な規準を満たそうと積極的に努力しており、門戸を開いておくべきだろう。しかし、NATOそのものの発展と並行して進められるべき任務の再定義という課題、新規加盟国を受け入れて戦力を再編し、拡大した地域の防衛にあたるという課題は、これまで無視されてきた。さらに、米国が欧州の防衛アイデンティティーの形成に加わるのはわれわれの利益である。それがNATOの枠組みを逸脱しない限り、米国は、ヨーロッパの軍事力増強を歓迎するだろう。NATOは数多くの課題を抱えている。もしNATOの軍事的能力が低下し、その任務が何であるかについての明快さが失われれば、同盟に新規に加盟することの意味そのものがなくなってしまう。
 米国とその同盟国にとって最大の課題は、ロシアと中国に対する政策のバランスをいかにうまくとるかだ。両国とも世界平和の将来にとって同じくらい重要だが、両国が突きつける課題の性質は大きく異なる。中国は現在台頭しつつあるパワーである。経済的にはこれはいいニュースだ。中国は経済的ダイナミズムを維持しようと、世界経済へのいっそうの統合を目指すことになるからだ。このプロセスをつうじて中国経済は開放度と透明度を増し、民間経済も発展するだろう。北京の権力闘争の焦点は、共産党が権力独占をいかに維持していくかという点にある。したがって、経済改革路線がとられ、経済成長をつうじて中国人民の生活レベルが向上するかどうかが今後のカギを握ると考える人もいる。一方で、経済統制の緩和と共産党の政治的支配の維持とは本来矛盾するとみる人もいる。成長率の鈍化、銀行の倒産、非効率な国有企業、失業の増加によって中国の経済問題が深刻化していくにつれて、北京における権力闘争も激化していくだろう。
 世界経済への統合を模索する政治勢力を支援することは米国の利益である。政治的自由化を求める組織化された集団による中国国内での圧力をつくりだすと考えられるからだ。もちろんそうなる保証はないが、チリ、スペイン、台湾など数多くの例からもわかるように、長期的に見れば民主主義と経済自由化との相関関係は強い。実際、貿易や経済上の交流は、米国の経済成長だけではなく、政治的目標の実現にも貢献する。
 一方、中国の人権問題への対応も棚上げすべきではなく、米国大統領は中国政府にこの問題の改善を要求していくべきだろう。しかし、道義的な議論やコミットメントをつうじた米国の影響力も、北京政府が広範囲におよぶ政治管理体制を敷いていることを考えれば、限定的なものにならざるを得ない。だが、中国でも情報が拡散し、交換留学や研修などをつうじて若者が米国の価値に接する機会も増えているし、政府に生計を依存しない起業家層も拡大している。こうした大潮流が、長期的には中国人の生活により大きな影響を与えるようになるだろう。
 人権擁護の運動を擁護するには、対中貿易を閉ざすべきだと考える人々もいる。だが、そのような手段をとれば、中国の体制を変革する可能性が最も高い(新興経済)勢力に打撃を与えることになる。端的に言って、李鵬と中国の保守派は経済の国家統制を継続したいと考えている。もちろん米国は中国への軍事技術移転に関しては厳格に規制すべきだが、通常の貿易をつうじて中国経済を開放化へと導けるし、最終的には政治的開放も促すことができる。この見解は、市場と経済的自由が政治的変化を促すという前提に基づいている。そしてこの前提が正しいことは、世界各地での最近の歴史が実証している。
 北京との経済交流を支持する議論が存在するのは事実だが、一方で、この国が今もアジア太平洋地域の安定を脅かす潜在的脅威であることも事実だ。現在のところ、中国の軍事力は米国とは比べものにはならないが、このような状態が永遠に続くとは限らない。明らかなのは、中国はとくに台湾と南シナ海方面で未解決の死活的な国益を有する大国だということだ。中国はアジア太平洋地域における米国の役割を嫌っている。要するに中国は、「現状維持」に甘んじることなく、中国に有利になるようにアジアの勢力均衡を変更しようと狙っているパワーなのだ。この点だけを見ても、中国はクリントン政権がかつて呼んだような「戦略的パートナー」ではなく、戦略的ライバルだということがわかる。さらに、中国は弾道ミサイル技術をめぐってイランやパキスタンに協力したことがあり、この点でも、安全保障上の問題をつくりだしている。中国は核機密を盗みだしたり台湾を威嚇したりと、自国の地位を高めるためにあらゆる手段に訴えるだろう。
 中国が(現状変革に走らず)うまく勢力均衡を管理するかどうかは、米国の出方しだいだ。米国は日本および韓国との連携を深め、この地域での確固たる軍事プレゼンスを維持しなければならない。さらに、米国はアジアの地域バランスをめぐるインドの役割にも注目すべきである。とかくわれわれはインドとパキスタンを結びつけて考え、両国間のカシミール問題や核開発競争にばかり関心を寄せがちである。しかし、中国は勢力均衡を考える際にインドをファクターと見なしており、米国も同様にインドというプレーヤーを勢力均衡の計算に入れるべきである。インドはまだ大国ではないが、大国として台頭してくる可能性はある。
 米国は台湾の安全保障にも大きな利害関係を有している。台湾は民主主義と市場経済をつうじた発展のモデルであり、中国経済にも多くの投資を行っている。米国が長期的に行っている「一つの中国」政策、つまり台湾と北京の関係の解決を将来に委ねる選択は賢明な政策である。しかしこの政策を継続するには、双方とも現状変革を試みることなく、より強大なアクターである北京政府が武力行使を放棄しなければならない。米国の不退転の決意がこの政策の基盤である。クリントン政権は北京寄りに傾いていた。例えば、中国を訪問した際、クリントン大統領は中国側の「三つのノー」を受け入れる発言をした。以来、台湾は自らの立場への配慮を求め、安心できるような国際環境を模索している。米国が固い決意を示せば、政治解決が民主的に図られるまで、台湾海峡の平和を維持できるだろう。
 なかには解決に時間がかかる問題もある。米国の対中政策には繊細さとバランス感覚が必要である。経済的交流をつうじて中国国内の変化を促進する一方で、中国のパワーと安全保障上の野心を封じ込めることが重要である。米国は中国と協調を試みるべきだが、国益がぶつかり合ったときには、北京と対立することも辞さない態度が必要である。
 
ロシアにどう対応するか
 ロシアが突きつける課題は性質が異なる。ロシアは、大きな人口、広大な領土、軍事的潜在能力など多くの点で今も大国の特徴を備えている。しかし、ロシアの経済的な弱さと国家アイデンティティー上の問題は、大国としての特質を脇へと追いやりかねない。モスクワは世界にその存在感を誇示しようと決意しており、米国の国益を脅かすような、危険に満ちた行動を起こすことが多い。システムの移行期にあるだけにロシアの状況は複雑化しているが、米国はこのシステム移行が成功することを期待している。旧ソビエトは崩壊し、今では民主的発展に必要な基本要素が育まれつつある。例えば、ロシア人には言論の自由、為政者を選ぶ自由、そして(ほとんどの地域で)信教の自由が認められている。しかし、共産党を例外とすれば、ロシアの政党は弱体で、こうした民主的要素もいまだ制度化されていない。国内の政治バランスも著しく大統領に傾斜しており、単なる大統領令によって統治が行われることも多い。もちろんボリス・エリツィンの大統領令に注意を払う人はほとんどおらず、ロシア政府は少なくともここ三年間は不作為と沈滞によって苦境に陥っている。最近では、ロシアの経済問題と高官レベルの腐敗や汚職が広く議論されている。ロシア経済は市場経済に近づいているのではなく、別の方向へと変化しているようだ。実際、ロシア経済は中世のような色合いを帯びてきている。バーター経済が蔓延し、銀行は機能せず、数十億のルーブルが海外の銀行に預けられたり国内のタンス預金になったりしている。さらに、奇妙な民営化計画の恩恵を手にしているのは、いわゆる改革主義者だけである。
 ワシントンの政策上の問題は、クリントン政権がエリツィンと彼を取り巻く改革者とおぼしき側近たちに大きな期待をかけ、それが失敗に終わっていることだ。エリツィンはロシアの大統領なわけだし、米国が彼とつきあっていく必要があったのは事実である。しかし、本来、民主主義と経済改革を支援すべき政策がエリツィンヘの支援策となり、結局はエリツィンのアジェンダが米国のアジェンダになってしまった。実際は改革が進展していないのに、改革が進行中であるとのお墨つきをワシントンは与えた。こうして、変化の兆しがまったく見られないのに、国際通貨基金(IMF)はロシアに融資を続けた。奇妙な民営化計画を経済開放策として称賛した米国は、権力者たちがロシア資産を不正に略奪することに気づかないか、あるいは見て見ぬ振りをした。ロシアの実情は、クリントン政権が思い描いた経済改革とはかけ離れていた。もちろん、ロシア支援の試み自体を批判すべきではない。ロシアの改革者であるグレゴリー・ヤブリンスキーが主張したように、米国はロシアで何が起きているか、その「真実を語る」べきだったのだ。
 われわれは、ロシア市民、米国市民双方のワシントンヘの信頼を回復しなければならない。幸いロシア経済には再生の兆しが見られる。一九九八年八月に金融危機に見舞われたロシアは輸入代替策を実施せざるを得なくなったが、これによって精力的なロシア人が能力を発揮できるようになり、国内生産は増加傾向にある。石油価格の上昇も(外貨獲得の)助けになった。しかしこれらは短期的な改善にすぎない。欧米諸国にも、ロシアに今後どのように対処していくかについてのコンセンサスはない。クリントン政権が「能天気なロシア観」に終始した結果、期待は裏切られ「ロシア疲れ」の現象が見られる。
 ロシア経済の将来は今やロシア人の努力にかかっている。ロシアは、天然資源と教育レベルの高い人材という資産を持っている。とくに法の支配と税制の改革面など、構造改革を実施できるかどうかはロシアしだいだが、これに成功すれば内外の投資家も経済成長に必要な資本を投入するようになるだろう。一九九九年一二月のロシア下院選挙と二〇〇〇年の大統領選挙を経て、モスクワに新政権が誕生すれば、改革を実施する機会も生まれる。しかし、市民社会や市場経済を定着させていくには、最終的には文化的変化が必要である。これには一世代という長い歳月が必要かもしれない。ロシア人、とくにロシアの若者に、交換プログラム、民間部門での研修、留学などをつうじて欧米が門戸を開けば、改革プロセスを促進できるだろう。また、モスクワから独立した経済・社会政策を実施しつつあるロシア連邦各地域の指導者との接触を図ることも重要である。
 当分の間、米国の政策は、ロシアとの間に抱える重要な安全保障アジェンダに関心を集中させるべきだ。第一に、米国の安全保障を脅かすのは、ロシアの強さというよりはむしろ弱さと一貫性の欠如であることを認識する必要がある。したがって、モスクワの核兵器とその貯蔵の安全確保に関心を向けなければならない。ナン=ルガー・プログラムに十分な資金を投入し、その計画の実行に向けて積極的に努力すべきである(この核管理支援プログラムは、米国の受注企業が大半の作業を行うので、資金が流用される危険性も低い)。第二に、核兵器の脅威が変化していることを受け、ワシントンはモスクワと包括的な対話を始めなくてはならない。ロシア軍の指導者たちは、通常戦力が衰退しているため、核兵器に依存せざるを得ないと口にしている。たしかに、米国の核戦力に対するロシアの抑止力は十分過ぎるほどだし、一方ロシアの核戦力への米国の抑止力も十分である。しかし、だからといって、三〇年近く前に締結され、米ソ間の根本的な敵対関係の名残をとどめる弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を神聖なものとして大切に祭り上げる必要はない。ABM制限条約は、冷戦期の安全保障環境のなかで双方が国土ミサイル防衛システムを開発するのを阻止するために結ばれた条約である。だが、今日における主要な懸念は、イラクや北朝鮮のような国が突きつける核の脅威と、その拡散によって核兵器が偶発的に発射される危険があることだ。
 実際、ワシントンよりもモスクワのほうがこのような脅威を身近に控えている。したがって、変化した安全保障環境と、その対応策、そして攻撃的・戦略的兵器の削減と防衛システムの展開の関係についての議論にロシアを関与させることは可能なはずだ。米国は、攻撃と防衛のバランスをともに考えていくほうが好ましいと考えているが、たとえ協力が得られない場合でも、単独で計画を進展させるつもりであることを、明確に伝える必要がある。これらの分野におけるテクノロジーと情報をロシアと共有できるかどうかは、弾道弾および大量破壊兵器その他のテクノロジー拡散をめぐるロシアの姿勢に左右されることを認識させなければならない(今日までロシアはこれらの拡散に手を貸してきた疑いが強い)。米国に脅威を与えている国に、ロシアから兵器製造技術が流出したり、あるいは技術が故意に移転されているとすれば、モスクワと防衛システムを共有するなどまったくばかげている。
 最後に米国は、ロシアが大国であり、両国の間にはつねに対立する利害もあれば一致する利害もあるということを認識する必要がある。石油資源の豊富なカフカス山脈にあるチェチェン紛争はとくに危険である。ウラジーミル・プーチン首相は国内のナショナリズムを扇動するだけでなく、自分の政治的立場を有利にするためにこの戦いを利用している。ロシア軍もロシアの統合を守るという自らの義務を不似合いなほど強硬に主張しており、軍民関係から見ればこの状況は好ましくない。状況がロシアの政治文化に与える長期的影響を過小評価すべきではないだろう。さらにクレムリンが、サウジアラビア、グルジア、アゼルバイジャンといったさまざまな国を、チェチェン人のテロリストをかくまったりそそのかしたりしていると名指しで非難したため、この紛争はロシアと近隣諸国の関係にも悪影響を与えている。チェチェン紛争はロシア周辺で新しく独立した小国の立場が非常に弱いことだけでなく、こうした諸国の独立維持が米国の利益であることもわれわれに再確認させた。これらの小国がより強固な国になれば、ロシアが野望を抱く度合いも少なくなるだろう。こうした国の将来は経済・政治体制を改革する彼らの能力しだいだが、現在までのところ、甘めに見ても改革が成功しているとは言えない。
 
無頼国家への抑止策
 市場経済と民主主義という一大潮流が世界を席巻していく一方、流れから取り残されている国もある。イラクがその典型である。サダム・フセイン政権は孤立し、その通常兵力も大きく損なわれ、民衆は貧困と恐怖の中で生活している。サダムが国際政治における有意義な役割を担っているわけでもない。だからこそ、彼は大量破壊兵器の開発に躍起になっているのだ。サダムが政権にいる限り、何も変わらない。したがってわれわれは、彼を政権の座から排除するために、反体制勢カヘの支援も含め、ありとあらゆる手段を用いるべきだ。
 一方、北朝鮮の金正日体制は非常にわかりにくい体制で、悪意に満ちていること以外、その動機に関しても不明な点が多い。イラク同様、北朝鮮も国際システムの外側にある。北朝鮮は、かつての東ドイツ同様、国境を接して発展している国と双子の関係にありながらも、まったく正反対の特質を持っている。北朝鮮は、韓国の強大な力と吸引力によって、やがて滅亡してしまうことを心配すべきなのだ。国際経済に組み込まれてもこの国が得るものは何もなく、むしろあらゆるものを失ってしまう。だからこそ金正日は大量破壊兵器の開発に破滅的な脱出路を見いだしたのである。
 韓国の金大中大統領はエンゲージメント政策によって、北朝鮮との関係を平和的に解決しようと試みている。今後米国の対北朝鮮政策はすべて、ソウルや東京と緊密な調整をとりながら進めていかなければならない。こう考えると、核開発の凍結を条件に北朝鮮にアメを与えた九四年の枠組み合意は捨てがたいかもしれない。しかし、このアプローチには落とし穴がある。いずれピョンヤンはミサイル発射実験を行うと繰り返し脅しをかけるようになり、米国がそのたびにアメを与えることもできなくなる。そのような状況に直面したとき、金正日はどのような行動に出るだろうか。相手の意図をめぐる誤算が起きる危険は非常に大きい。
 一つだけ確実なことがある。米国は北朝鮮のような体制には断固たる決意をもって対処しなければならないということだ。この点にかんしてクリントン政権は、イラクヘの対応でしばしば見せたように、軍事力を使用すると脅しをかけたかと思えば後退するという過ちを犯した。北朝鮮やイラクのような体制は崩壊までの時間稼ぎをしているにすぎず、パニックに陥る必要はない。最初になすべき防衛措置は、明確な声明という古典的な方法で抑止状況を形成することだ。たとえ大量破壊兵器を獲得しても、それを使おうと試みれば国そのものが消し去られる運命にあると北朝鮮やイラクが自覚すれば、そうした兵器は使用できないと考えるようになるはずだ。
 次に、われわれはこれら大量破壊兵器に対する防衛能力を向上させるべきである。できるだけ早く米本土ミサイル防衛システムおよび戦域ミサイル防衛システムを配備すべきだと主張する根拠はここにある。米国本土を生物・化学兵器の攻撃から防衛できるように努力し、あらゆる種類のテロリズムに対抗できるように情報収集能力を拡大しなければならない。
 最後に、イランも問題である。イランは市場と民主主義に基づく国際システムを混乱させようとしているだけではなく、国際システムそのものをイスラム原理主義に置き換えたいと考えている。幸いイランには、世界を社会主義に置き換えようとしたかつてのソビエトのような影響力やパワーはない。しかし、イランの戦術は米国の安全保障にとって大きな問題である。最近でこそイランはサウジアラビアと関係を修復しているが、これまではサウジのようなアラブ穏健諸国の政情不安定化を画策してきた。さらにイランは、米国と欧州諸国を標的とするテロリズムを支援し、高度な軍事テクノロジー開発を手がけ、その拡散も試みてきた。イランは、米国、そしてわれわれの重要な同盟国であるイスラエルが大きな利益を持つ中東地域での特殊な問題をつくりだしている。例えば、イランが所有する兵器はイスラエルを直接脅かす能力を持ちつつある。中東の将来にとって、隣接するアラブ諸国とイスラエルが和平を結ぶことは非常に重要なことだが、それだけでこの地域の安定が保障されるわけではない。
 イスラエルには差し迫った安全保障上の問題があり、米国との防衛協力、とくに弾道ミサイル防衛の分野に関する協力は非常に大切だ。この防衛システムがあれば、イスラエルは和平合意と防衛力の両方で国を守れるようになる。しかし、イラン国内では注目に値する動きが起きていることも認識すべきだ。モハンマド・ハタミが大統領に当選したことによって、かつて偉大な文明が繁栄した地にあるこの国が、新しい道を歩むかもしれないという希望も持たれている。もちろん新大統領がどの程度の権力を行使できるか疑問は残る。さらに、国内政策では穏健な見解を示しているハタミ大統領が、対外政策においても歓迎できるような政策を示すかどうかもわからない。とにかく米国の対イラン政策が変化するには、まずイランが態度を変える必要がある。
 
国益に基づく国際主義を
 米国は大いなる機会を手にしている。米国は一世紀近くまったく領土的野心を持たず、その国益はむしろ自由、繁栄、平和を世界的に育みたいという願いによって規定されてきた。市民の意思と経済の必要性の双方が今後のビジョンを形づくるだろう。しかし米国が現在有利な立場にあるからといって、成功が保証されているわけではない。成功するかどうかは、今後の可能性と目の前の現実との間にあるギャップを埋め合わせる大統領のリーダーシップと政策にかかっている。
 大統領は政策の優先順位とその意図を米国国民に説明し、国益に沿って外交政策を展開できるように議会と協調していかなければならない。議会に超党派の意識が欠如しているわけでも、米国市民が外交に無関心なわけでもない。今日の本当の問題はそこに空白が存在することだ。力強いビジョンが示されていないために、視野の狭い利害がその空白を埋めつつある。
 共和党政権の外交政策は間違いなく国際主義的なものになる。共和党の有力な大統領侯補者たちの国際主義者としての実績は申し分ない。だがわれわれの国際主義は、幻想に過ぎない国際社会の利益ではなく、米国の国益という確固たる基盤から導きだされるものでなければならない。米国は横柄になることなく権力を行使し、他国を犠牲にしたり乱暴な態度に訴えることなく、国益を模索するだろう。米国の中核的な価値を共有する国々と協調しつつ、権力を行使し国益を模索すれば、世界はより繁栄し、平和で民主的になる。これこそ過去において米国に課せられた特別な役割だったわけだし、二一世紀に向けて、再びわれわれはその責務を担わなければならない。
 








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