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A. ブッシュ氏の外交政策
 
 ジョージ・W・ブッシュ氏の就任以来、米外交は数多くの大ニュースを提供してきたが、主な二つの理由により、大統領がこれから取る可能性がある外交政策については、知られていることより知られていないことの方が大きい。第一に、大統領選にまつわる論争のため、ブッシュ氏は政権人事に取りかかるのが非常に遅れた。晩春の間、重要な国家安全保障機関の次官に指名された者さえ、その多くは承認されていなかった。その結果として第二に、公式の国防計画立案プロセス、とりわけ新たな「四年ごとの国防計画見直し」(QDR)を作成するドナルド・ラムズフェルド国防長官による戦略見直しが大幅に遅れた。ブッシュ政権の反テロキャンペーンの正確な姿も、もう一つの未知なるものだ。
 ブッシュ氏による国家安全保障政策担当のトップ人事もまた、将来の米国の意図に関して至極明確なシグナルは発していない。実際、これらトップの大半は、先に言及した冷戦型の国際主義的外交アプローチと共和党特有の外交傾向の間にある緊張を体現している。例えば、チェイニー副大統領からリチャード・アーミテージ国務副長官まで大統領の最高顧問は皆、基本的な冷戦後の戦略と米外交の体系を一貫して強く支持してきた。この戦略・体系とは、日本や欧州先進国との安全保障上の同盟を維持し(ラムズフェルドはかつて米国のNATO大使だった)、世界の貿易と投資の自由化を推進し、選択的かつ慎重に国際機関の強化を求め、紛争の起こりやすい地での外交と、控えめな水準の開発支援と、必要なら軍事的関与との組み合わせを通じて、国際的安定を促進することである。
 しかし冷戦後、彼らの多くはこの戦略からのある重要な逸脱を是認した。多くが、クリントン政権はさまざまな国際問題の多国間による解決の追求に関心を寄せすぎたとか、米国の権益をグローバルなコンセンサスづくりという大義に完全に従属させようとしたとして、批判してきた。もちろん、ブッシュ氏の顧問の多くは八○年代、ロナルド・レーガン氏の戦略防衛構想(SDI)を強く支持し、九〇年代にも主要なミサイル防衛計画を支持し続けた。ブッシュ氏の顧問たちはあらゆるケースで、これらの構想に対する同盟諸国からの異議について、必要なら払いのける用意があることを示した。
 興味深いことに、ブッシュ氏の顧問の中で、米国と同盟諸国との関係に関し、冷戦型の現状を維持することへの決意をその発言の中で最も強く示しているのは、アーミテージ氏、ポール・ウルフォウィッツ国防副長官、東アジア・太平洋問題担当のジェームズ・ケリー国務次官補、安全保障会議スタッフのトーケル・パターソン氏といった代表的なアジア専門家たちである。
 重要な中国問題に携わる人事で、ブッシュ氏は共和党タカ派からはほとんどスタッフを選ばなかった。実際のところ、大統領の父親は円滑な米中関係を一貫して支持していたし、ブッシュ氏の非公式の顧問には、そのアプローチとぴったり一致する父親の政権時代の高官が多数含まれている。注目されるのはブレント・スコウクロフト元国家安全保障担当大統領補佐官、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官だ。しかしそれでも、ブッシュ氏の対中政策は共和党の対中タカ派の影響から脱してはいない。ブッシュ氏が大統領選挙期間中、中国との戦略的パートナーシップを追求するクリントン氏の政策を批判し、代わりに中国を「戦略的競争相手」と呼んだのは何も偶然ではない。
 九月十一日の同時テロ以前、ブッシュ氏の外交政策は、クリントン政権の政策からの大幅な逸脱と見える幾つかの物議を醸す目立った決定や、その結果としての幾つかの方向転換、ないし部分的方向転換が特徴だった、こうした政策が生んだのは、京都での地球温暖化に関する合意への強い反対、北朝鮮とのミサイル外交に対する緩慢なアプローチ、国連平和活動や国づくり一般に対する懐疑論の公然たる表明、納税者の金を使った債務国救済へのあからさまな疑念などである。
 ブッシュ政権はこれまでに、後三者については全面的あるいは部分的に撤回した。それでも、多くのオブザーバーが示唆するように、こうした決定の結果として、クリントン政権に比べて一方的な政策を取るという実績が生まれ、米国が直面するどんな重大脅威の根底にもあるとされるグローバルな問題解決のための包括的イニシアチブにのめり込むより、米軍の強化、本土防衛の強化、経済の強化によって国家安全保障と繁栄を達成することにもっと焦点を当てるという実績ができあがった。
 テロ攻撃以前に、ブッシュ氏が外交政策の大きな変更を支持していた別の証拠となるのがQDRである。QDRは、米外交が過去五十年間追求してきた広範でグローバルな目標といったものにうわべでは同意している。しかし、国防政策というものが外交政策とは対照的に、少なくとも作戦面ではこうした目標と本来かかわりがないことも明確にしている。それどころか、QDRは主な論点として、国際環境がいかに予測不能になったかを強調し、グローバルな問題の包括的解決策を当てにすることに暗に疑問を呈している。
 軍事計画立案に対する「能力を基礎とした」アプローチヘの移行を正当化する国防総省の終始一貫した根拠は、「いつどこで米国の権益が脅威にさらされるかを正確に知ることはできないし、知ることはないというのが、われわれを取り巻く環境の基本状況だ」というラムズフェルド氏の指摘を反映している。ラムズフェルド氏の説明では、能力を基礎とした戦略は、「敵がだれで、どこで戦争が起きるかという点より、敵がいかに戦うかという点に焦点を当てる」ため、この問題に取り組めるのだという。
 QDRは、欧州やアジアのような重要な戦略地域で「好ましい軍事バランスを保つ」ためとして、前方展開兵力を擁護。また、財源が縮小していったこの数十年間、米国の計画立案者たちが維持しようと腐心してきた二正面戦略を手直しするものの、放棄はしていない。しかしQDRは、もちろん時間をかけてだが、現在の前方展開をずっと希薄にするための基礎固めもしている。QDRは「米国は、特定地域における特定の敵と対決するためだけの戦力や計画を構築できないだろう」と指摘。また、ブッシュ政権が共通の安全保障上の目的に関し、日本や他の同盟諸国からのずっと大きな貢献を期待していることについて、明らかに言外に指摘している。
 
ブッシュ氏のアジア政策
 QDRは、次第に明らかになりつつある「違いを伴う継続性」とでも呼べるかもしれないブッシュ氏のアジア政策の輪郭とよく調和している。ブッシュ政権は日本、韓国、オーストラリアとの同盟関係だけでなく、タイなどより小さい諸国との軍事関係も維持・強化する方針だ。ブッシュ政権はまた、貿易、投資、技術開発への長期間にわたる広範囲な政府介入の牙城だったこれらの国々で、自由市場経済が普及することを明確に支持している。
 それでも、前述したように、新政権は幾つか重要な変化を実行に移した。中国に関してみると、戦略的パートナーシップに関する協議が終わりを告げただけでなく、QDRは同国について、米国に対して一国家から生じつつある最大の脅威と位置付けている。QDRによれば、東アジアには「恐るべき資源基盤を持つ軍事的競争相手が現れる可能性が存在する」という。中国がこの表現に当てはまる可能性のある唯一の国家であるというばかりではない。QDRはロシアについて、「NATOに対する大規模な軍事的脅威ではない」と明言してもいるのだ。
 また、米国が台湾防衛に関して「必要なことは何でも」やるとした二〇〇一年春のブッシュ大統領の発言は、波紋を心配した側近によって直ちにトーンが和らげられたが、大統領は台湾防衛への米国のコミットメントを強めたようにみえる。ブッシュ政権はさらに、イラク上空に飛行禁止空域を強制する米英軍戦闘機を標的にしたイラク指導者サダム・フセインの防空システムを中国が支援している証拠があるとして、中国政府に不満を表明している。
 にもかかわらず、ブッシュ政権の対中政策は矛盾に満ちているようにみえる。特に、中国を将来の脅威として扱うという大統領の決断は、中国との一層の貿易自由化や、中国の世界貿易機関(WTO)加盟への強い支持と矛盾するようにみえる。なぜなら、米国の慢性的な対中貿易赤字によって、中国は年間約八百五十億ドルもの貴重なハードカレンシーを稼ぐことが可能となり、これは結局、中国の軍事支出を助成することになるからだ。中国のWTO加盟によってこの赤字は増加する公算が大きい。というのも、一般的に中国政府が関与しているといわれる略奪的な貿易慣行と戦うための米国の法律は、中国に適用されなくなるからである。さらに、中国に対する米国の直接投資によって米国の先端技術が中国に移転したが、そのうちかなりの部分が軍事転用可能だ。このように米国の経済政策は、国防政策上では最も恐れている国家を富ませ、強くしている。
 朝鮮半島問題は、ブッシュ政権で最も喧伝された論争の一つを引き起こした。就任直後にブッシュ大統領は米国の対朝鮮半島外交、特に、北朝鮮からの新たなミサイルの脅威を大幅に低下させる合意に近づいたとクリントン政権および一部アナリストが考えた交渉を見直す決定を下した。米国内外の多くの人が、新大統領は朝鮮半島外交の進展を妨げ、北朝鮮への関与を拡大する金大中韓国大統領の「太陽政策」を妨げようとしていると非難した。にもかかわらず、ブッシュ氏とパウエル国務長官はすぐに、クリントン政権のアプローチを継続していると改めて強調した。
 アジア外交の現状からのより実質的な米国の逸脱は、インドに関して起きているかもしれない。何十年もの間、米印関係はいくらよくみても冷たいものだった。しかし、クリントン政権の末期に、何人かの米戦略家(主として政府外の人々)は民主的な政治体制など両国の共通点、特に中国の野心に関する共通の懸念に焦点を当て始めた。ブッシュ政権の最高顧問たちはこうした見方に同意し、大統領は九八年のインドの核実験後に科した制裁の解除をはじめ、関係改善や協力拡大に向けた幾つかの重要措置を取っている。
 
ブッシュ氏の対日政策
 ブッシュ大統領とその有力側近たちは、大統領の就任以来、日本や米日関係について注目すべきことはほとんど言っていない。にもかかわらず、非公式な証拠となる二つの主要な出来事が、新政権の対日政策に関する意図について重要な手掛かりを与えてくれる。その第一は、ローレンス・リンゼー経済担当大統領補佐官がブッシュ大統領就任前の二〇〇〇年十二月一日に行った演説だ。
 リンゼー氏は、クリントン政権の日本に関する実績について、「過去八年にわたる虐待に近い無視の時代」だったとして強く責めた。彼は、政治的動機から「日本たたき」を行ったと同政権をあからさまに非難し、「日本の財政・金融政策に対する米政府の論評」を特に批判した。リンゼー氏によると、米国が継続的に批判を浴びせかければ、「民族主義、孤立主義の傾向を強める日本」を生み出す可能性があるという。
 リンゼー氏は、経済に関する協議について、「静かに行われるべきであり、国内政治への利用ではなく、一貫した経済原則の適用に基づくべきだ」と言う。リンゼー氏は、日本は景気刺激のため財政赤字拡大を受け入れるべきだと強調したクリントン氏とは対照的に、ブッシュ政権が日本に対し、無駄な公共事業を減らすよう穏やかに忠告し、それによって資本配分の効率化を奨励することを示唆した。
 リンゼー氏は、この改革の処方箋は日本の成長を短期的に減速させる可能性があるため、米国は自国市場に対する日本の大幅な輸出増加を容認すべきだと主張している。リンゼー氏によれば、このような輸出急増は、米国を「少しばかり愛憎相半ばする状態」に置くだけだという。つまり、(輸出急増の)結果として起きる日本の資本流出の増加をありがたく思う一方で、「輸入品と競合するわが国の一部産業が調整の矢面に立つため、苦しみを覚える」というのだ。
 クリントン政権の対日アプローチを否定したいというリンゼー氏の思いは理解できる。日米経済関係に精力を集中するというクリントン大統領の当初の公約はすぐに、管理貿易と報復制裁を履行するよう声高に脅し、日本が拒絶するとおとなしく引き下がるというパターンに堕してしまった。まずかったのは、日本の銀行をめぐる問題は深刻なリセッション(景気後退)につながりかねないとのロバート・ルービン前財務長官の懸念によって、米政府が円の大幅な下落を受け入れてしまったことだ。この外為レートの変化は、(九四年と九六年に通貨の価値を切り下げた中国を除く)他のアジア輸出国の価格競争力を弱めることによって、アジア金融危機を引き起こす一因となった。
 しかし、弱体化しつつある米経済に対して日本の一段の輸出増加を実質的に奨励すれば、二国間関係の改善ではなく、貿易戦争の再燃という結果に終わる恐れがある。さらに、日本からの新たな輸出急増は、特に先進的な製品の分野で米経済の生産力を制限し、米国労働者の賃金を押し下げるだけに終わる可能性がある。結局、この政策は、日本が経済的難局から脱出するための輸出努力を容認することによって、構造改革のための最大のインセンティブを損なわせることになる。
 ブッシュ大統領の意図を示す二番目の証拠は、二〇〇〇年一〇月に国防総省傘下の国防大学から発表されたいわゆるアーミテージ報告書だ。「米国と日本―成熟したパートナーシップに向けて」と題するこの報告は、ブッシュ氏の選挙運動の公式文書ではなかったが、執筆者の多くが新政権で極めて高い地位を占めることになった。その中には、研究班座長のアーミテージ氏や、ウルフォウィッツ氏、パターソン氏、ケリー氏らが含まれていた。
 報告は、東アジアは米外交のもう一つの主要な焦点である欧州よりもずっと紛争が起きやすい状態になったとして、「米日二国間関係はかつてないほど重要」であり、米日関係は「日本で進行中の変革の結果を予期させるような方法で」再構築される必要があると主張している。報告は、冷戦終結以来、米日両政府ともこの二国間同盟が持つ真の、実際上の差し迫った必要性を無視し、「同盟を当然のものとしてきた」ことに懸念を表明。九六年の日米安保共同宣言や新しい「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)でさえ、「いさかいと貧弱な政策協調」への回帰を避けられなかったとしている。
 報告はガイドラインについて、「太平洋同盟における拡大した日本の役割の上限ではなく、下限とみなされるべきだ」と訴え、米国と英国の特別な関係が新たな日米関係の「手本」であると強調した。その結果として報告は、米日防衛協力の強化のための重要な施策を幾つか提案した。
 恐らく報告の最も重要な仮定は、英国を見習うようにとの日本への呼び掛けの背後に潜んでいる。報告の著者が述べるように、「日本の政治的変化は、日米関係を再活性化させるかつてない機会となる可能性があると同時に、日米関係をさらに試す可能性もある。日本の政治における二極的なイデオロギー対立の終焉と、選挙で選ばれた人々のうち若い世代に安全保障問題に関する現実的な考え方が出現したことは、リーダーシップヘの独創的で新たなアプローチを生み出す肥沃な土壌となる」のだ。
 実際に小泉首相は、真に異なった種類の日本指導者となる多くの兆しを見せている。彼はまた、日本の防衛に直接関係しない国際的な集団安全保障努力に参加することへの憲法上の障害について、再検討を支持するような発言を何度か公の場で行った。さらに小泉氏は、日本が世界の中でより積極的な役割を果たすことへの支持を強く唱える自民党派閥の出身である。また彼は、中曽根康弘元首相や石原慎太郎東京都知事などこうした変化を提唱する著名人と提携するための手を打っている。こんな調子で、小泉氏はより強力な日本の軍隊と政策を求める声によって引き起こされた憲法問題を特に重視しているようであり、そのため、彼は政策措置としてこれらの声に賛同しているとの印象を与えている。実際、九月末に首相は、米海軍への後方支援を行うため日本の艦艇を(インド洋に)派遣する計画を発表した。また小泉氏は、京都議定書の拒否とミサイル防衛の推進というブッシュ政権の二つの国際政策に公然と反対を唱える誘惑に抗している。
 こうしたことにもかかわらず、日本の安全保障政策が大きく変化することを期待しているアーミテージ報告書は、どうみても余りに未熟であり、悪くみればナイーブと思える。第一に、小泉氏が自らこの路線に専心しているか疑問の余地がある。彼はまた、日本の政策の再検討を支持しているにもかかわらず、「われわれは英国と同程度には軍事行動に関与できない」とあからさまに指摘しているが、これは報告の中心的な勧告への明確な拒絶だ。さらに、憲法問題を重視するとしているにもかかわらず、小泉氏は米提案(実現)への根本的障害が存在していることを示唆してもいる。首相として初の外遊に出発する直前の記者会見で小泉氏は、「米国は自己防衛だけでなく、他国の防衛も真剣に考える国だ。しかし、日本は専守防衛国家だ。これは米国と日本の安全保障思考の違いだ」と述べた。小泉氏は明らかに、現在の日本は安全保障問題で自らの狭い利益のみを考えているとの認識を示したのだ。
 さらに、小泉氏の反対論の大部分が憲法上の考慮を反映しているとしても、日本国憲法の改正は、国家安全保障上の重大事でもない限り、極めて困難だろう。自民党とともに与党の一角を占める公明党は、(憲法改正に)強く反対している。日本国民がすぐにでも賛成するような兆候はほとんどない。経済的障害も克服しなければならない。日本は持続的な経済衰退に、国際問題でより積極的になるようにとの呼び掛けへの抵抗で対応していく公算が大きい。特定の具体的な日本の権益が危うくなっておらず、軍事支出が国内景気を刺激するための支出に匹敵する場合は特にそうだ。
 最後に、アーミテージ報告書のもう一つの仮定はもっと吟味が必要だ。著者たちは、「国際問題における日本独自のアイデンティティーの模索は、米国の外交活動と矛盾しない。実際、米国と日本は同じ総合的な外交目標を共有している。両国は多くの共通利益を抱えている」と自信をもって主張している。報告はまた、「米国の政府当局者と議員は、日本の政策がどんな場合でも米国の政策とぴたり一致するということはないと認識しなければならないだろう」と付け加えている。
 独自性を強めた日本は米国のイニシアチブに必ずしも同意しないと認識することは、米側の政策立案者たちにとって歓迎すべき変化だ。しかし、この言葉を額面通りに受け取ることはできるのだろうか。第二次大戦後の米国の対日政策は明らかに、日本の軍事力を封じ込め、独自の外交政策を遂行できる強力な日本の出現を阻止することを狙いとしてきた。さらに、アーミテージ報告書は日米両国が完全に一致している外交政策について、幾つかの点を挙げているが、それは完全に説得力があるものではない。中には多くの陳腐な言葉が含まれている(例えば、「中華人民共和国が肯定的な勢力になるよう奨励すること…」)。共通の目標を持つ国々も、その達成方法については大いに意見が異なることがあり得るのだ。
 より重要なことは、日本と米国が劇的に異なる歴史体験、文化、価値を反映させながら、著しく異なる経済、政治、社会システムを発展させてきたことだ。両国は世界の全く違う場所に位置している。さらに、米国はほとんど自給自足できる大陸国家で、広大な大洋という障壁で他の大国と隔てられているが、日本は非常に危険な地域の真ん中に位置する比較的小さい、資源の乏しい島である。ひとたび日本が独り立ちしたら、米国の見方とは大きく異なった方法で世界や、世界から必要とするものを見るだろうことは当然考えられる。
 さらに、著者たちの経歴の大半は、日本の独自外交を阻止することに捧げられてきた。アーミテージ氏やその共著者のような人々は何十年も、米日関係を対等なものに変えたり、日本が自ら運命を決するよう奨励したりすることに反対してきた。特に、日本が安保関係への貢献の増大に積極的でないことや、多くの米大統領がより大きい防衛分担を求めることに気乗り薄だったのに対して、彼らは芸術的なまでの言い訳を編み出した。これらの人々は明らかに、日本の歴史的な外交実績に対して米国が持つ一般的な懸念を共有している。その懸念が正当化されようとされまいと、この懸念は報告が指摘するように突然消えたなどということはあり得ない。
 実際面からみると、アーミテージ氏の将来展望に対して予見できる最大の障害は、米日両政府間に大規模な政策亀裂が公然と生じる可能性ではない。むしろ、戦術上の不確実性が日米安保関係を満たし続けるだろう。確実性というものは、考え得るいかなる同盟の軍事計画立案でも基本的に欠くことのできないものである。ある偶発的な事態が持ち上がった時、米国人が特定タイプの日本の支援、行動を当てにできるとの絶対の確信を持てなければ、彼らの計画は役立たずとなり、簡単に軍事的破滅という結果に終わる恐れがある。それに、米国の軍事計画立案者たちは、成功を確実なものにできるような信頼できる日本の保証を得ることはなさそうだ。不穏で紛争が起きやすいとアーミテージ報告書やQDRが自信を持って描写したアジアで、これより危険なことはあろうか?
 








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