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B. アジアを取り巻く環境
 
 アジアと日本の状況も二〇〇一年と一九九三年では、米国の政策立案者にとって、全く違う姿を見せている。戦略的に最も重大な動きは中国の興隆だ。一九九七年に始まったアジアの金融危機、日本経済の悪化がそれに続く。
 
中国の興隆
 中国の興隆は三つの主要な分野で特徴づけられる。だが皮肉なことに、これまでのところ、軍事力はその中で最も重要性が低い。肝心なのは経済力だ。経済力は超大国にふさわしい軍をつくり上げるのに不可欠と言える。中国当局の公式経済統計はどこまで正確か疑わしいが、中国が二〇年近くにわたって目覚ましい経済成長を遂げてきたことは疑問の余地がない。恐らく二〇%にも及ぶような失業率など、手に負えない問題が残っているものの、中国はまた、国民一人当たりの所得の大幅上昇を実現し、貧困層の急激な減少も成し遂げた。
 中国の経済的成功と国際競争力の向上はおおむね、衣料、玩具、鉄鋼等々の労働集約型製造業の驚くほどの拡大からきている。だが、最近数十年の外国からの膨大な直接投資のおかげで、中国は今や、IT(情報技術)製品を含むずっと高価値な製品を生産するようになりつつある。
 中国は三十五年前から核兵器を保有しているが、それだけでなく今や、米国防総省の戦略家アンドルー・マーシャル氏が述べているように「軍事における革命」(Revolution in Military Affairs=RMA)に加わるのに必要な産業をつくり上げつつある。この革命は高度な情報処理、通信技術の利用を伴い、そうした技術を使えば、軍司令官に「戦場に関するリアルタイム情報」、つまり、味方と敵の部隊およびその配置について、即時に詳細な、しかも常にアップデートされたデータを提供することができるようになる。中国の戦略家はさらに、自国の技術面での遅れにもかかわらず、この分野で米国と競おうと集中的な計画を立てていると伝えられる。中国としては、技術的に遅れた機器でも、高度な通信ネットワークを混乱させるのはそれほど難しくないという点に望みをかけているように見える。
 中国軍は戦争遂行能力という面ではまだ不十分だ。大陸に近い台湾を成功裏に侵略するための戦力投入能力をつくり上げることさえ、まだ程遠いというのがほとんどの専門家の見方だ。だが、中国の総合的な力は劇的に増強されており、新たなQDRが明確にしているように、米国の国家安全保障にとって、中国は今や、外国の国家としては最大の脅威となっている。
 中国の現状に対するこうした新たな見方は、クリントン政権発足以来の中国の対米政治姿勢の大きな変化をも反映している。一九九二年の大統領選挙戦において、挑戦者のクリントン知事は現職のジョージ・ブッシュ大統領に対し、中国の独裁政権を「甘やかしている」と非難を浴びせた。だが、クリントン氏は大統領になるや、中国の人権問題をめぐってそれまでの立場を変えたのみならず、中国側との「戦略的パートナーシップ」を積極的に追求し始めた。にもかかわらず、米中の戦略関係は悪化した。台湾は最も深刻な争いのタネだった。一九九六年には、中国が台湾を軍事的に威嚇しようとし、クリントン大統領は台湾周辺に米海軍を派遣することでこれに対抗した。
 もっと一般的に言えば、クリントン大統領は中国との戦略的パートナーシップを追求し続けるとともに、対中貿易と投資の拡大を先頭に立って強力に押し進め、その貿易・投資拡大によって中国は大いに力を増し、豊かになった。にもかかわらず、中国側は大国にならんとする自分たちの大望を米国はくじこうとしているのではないか、との疑念を強めていったのである。米国は一九九〇年代、ペルシャ湾岸やコソボをはじめさまざまな場で自らの軍事的な力を示して見せた。また中国の目からは、台湾沖のみならずソマリアやバルカン半島、あるいはその他の地域で、米国は軍事力を行使しようとしているように見えた。こうしたことが中国をひどく心配させた。中国側はまた、一九九〇年代半ば以降の日米関係の歩みに懸念を深めており、一九九七年の新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)について、中国を封じ込めようという米側の意図を裏付けるものだと批判している。
 だが、米中関係の緊張の高まりに関しては、明らかに中国側にも大きな責任がある。その反台湾キャンペーンは敵対的な雰囲気を高めた。南シナ海では、より活発に海軍力を使い、何世紀も前からの領土要求を強めた。中国の指導部はさらに、東アジアの覇権国として米国に取って代わる決意を、従来に増して公然かつ断固として口にするようになった。中国側は極東での米軍の展開をずっと以前から批判してきたが、米軍の展開は日本の軍事力と軍事的野心の復活を防ぐことになり、中国としては内心では、米国の役割を評価しているというのが専門家のほぼ一致した見方だった。しかし、中国の批判は本心からのものとなりつつあり、中国は自分たちの力で日本は押さえ込めるとの自信を深めているのではないか、と懸念する見方がワシントンで徐々に強まってきている。
 
朝鮮半島の混乱
 一九九三年から二〇〇一年の間に朝鮮半島がどう変わったかも重要だ。最も大きいのは、遠い先の話とはいえ、南北朝鮮の統一が視野に入ってきたことだ。北朝鮮の経済的衰退が加速し、その結果として指導部が対外開放に踏み出す決定を下し、ソウルとの直接交渉を行う気になったことが、そうした変化をもたらした。統一は、短期的には疑いなく東アジアの安定に寄与するだろうが、長期的には深刻な問題を引き起こすかもしれない。とりわけ、統一国家が北朝鮮の核兵器能力をそのまま引き継ぐとすれば、その恐れは否定できない。
 まず第一に、統一が実現すれば、東アジアヘの米軍の前方展開を正当化する根拠が薄弱になる。東アジアにおいて、米国および同盟諸国の安全保障にとって、法的ないし公式に脅威といえるようなものは残らなくなるだろう。だが、米軍が撤退するか、あるいは大幅に削減されれば、北東アジアにおける歴史的な、しばしば流血をもたらした敵対関係が再現されるかもしれない。しかし、その一方、統一実現後も米軍が朝鮮半島にとどまるとすれば(北朝鮮指導者の金正日氏はそれを求めていると伝えられるが)、日本が感情を害する恐れがある。結局のところ、朝鮮半島にとどまる米軍の真の任務は明らかに、朝鮮を日本(および中国)から守ることにあり、もっと広くいえば、日本を封じ込めることにある。米国がこれほど露骨に対日不信を示した場合、日米安保関係は生き残れる可能性があるだろうか。
 それに加えて一九九三年と二〇〇一年の間に、南北朝鮮の経済状況は劇的に悪化した。一九五〇年代から一九九〇年代半ばまでの韓国経済の目覚ましい進歩を目にすれば、米国が将来の統一に伴うコストの多く、あるいは大半でさえ韓国は負担できると考えたとしても無理はなかった。だが、一九九〇年代半ばから、韓国経済の奇跡は金融面で深刻な圧力にさらされ、一九九七年末には、大規模な国際支援策がなければ破綻は避けられない状況にまで至った。その後、一時的には持ち直したものの、韓国経済の長期的な見通しは再び悪化した。こうした経済的苦境により、統一朝鮮が東アジアにおける独立した、また不安定化をもたらしかねない主要外交プレーヤーとなる可能性は、少なくとも予見し得る将来においては、明らかに減った。同時に、米国にとって真に助けとなるような同盟国となる可能性も減ったと言える。
 
より広範な金融危機
 他のアジア途上国も同様の経済的問題に見舞われ、それもまた、大きな戦略的影響をもたらした。クリントン大統領が就任した時、世界はアジアの世紀を迎えつつあるという考え方は、当たり前すぎて珍しくなくなり始めたところだった。政治的、軍事的な力もアジアに集まるのが当然であるかのように思われていた。米国としては、そうした変化から、二つのいずれかの結果がもたらされる可能性があり、いずれも米国にとっては望ましいものと見ていた。第一は、(中国を除く)アジア途上国が地域の安定と安全の確保に自ら当たれるだけ軍事的に強力になり、中国のような潜在的な脅威に対し、少なくともある程度、対抗勢力の役割を果たすようになることである。第二は、米国にとってはもっと望ましい道だが、これらの国々が米国のジュニアパートナーとして、そうした役割を果たすようになることである。
 だが、金融危機はそのような期待をすっかり打ち砕いてしまった。とりわけインドネシアは、東南アジア諸国連合(ASEAN)で指導的役割を担ってきたものの、今や東アジアに不安定化をもたらす真に恐るべき源泉となっている。それでも、金融危機に見舞われた国々はいずれも、自衛のために必要なレベルの軍事支出は苦労して何とか維持しているが、いかなるものであれ、もっと広い役割を果たすような余裕は全くない。
 アジアの金融危機はまた、米国製品の輸出市場としての重要性という東アジアヘの米軍のプレゼンス継続を正当化する主要な論拠を大きく弱めることになった。米国の戦略家は冷戦終了後も依然として、拡大するアジア経済に米国が引き続きアクセスできるかどうかに米国人の貴重な雇用がかかっていると主張することで、冷戦時代のようなアジアでの軍事展開を擁護することができた。米国のアジア貿易は慢性的に赤字であることから、米国にとってアジアとの貿易が経済的に利益があるのかどうかについては、以前から疑問の声があったが、一九九七年の危機の後、アジアの経済活動は大幅に収縮し、経済面から軍事プレゼンスを正当化する論拠をさらに弱めることになった。実際、米国はタイの金融危機に介入しようとせず、大半のアジアの国々にショックを与えた。
 
貧しくなった日本
 最後にもちろん、ブッシュ大統領は一九九〇年代初めにクリントン大統領が向き合ったのとは全く別の日本を相手にしている。最大の違いはむろん、経済だ。一九九〇年初め、日本経済は重大な問題の兆候が見え始めていた。だが、日本のファンダメンタルズは強いと一般には考えられていた。したがって、日本が地域の安全保障上の責任をもっと担うことに尻込みし、さらにはもっと大きな自衛の責任を担うことにさえ消極的なのは、財源不足のためではなく、政治的な意思が欠けているからだとの見方が普通だった。日本はいかなる尺度でみても、依然として非常に豊かな国である。だが明らかに、一〇年前に比べ、より多くの経済的制約に直面している。その結果として、軍事支出の増大に対し、国民の反対が高まるかもしれない。
 同様に重要な点として、ほとんどの外国人が、日本の政治指導者には外交政策の転換に必要な重大な決定を下し、実行する能力はないと考えるようになったことが挙げられる。日本の政治に対する外国の理解は依然としてひどく限られている。だが、少なくとも米国の政策立案者は、選挙で選ばれた日本の政治家はしばしば全くのお飾りであり、本当に独立独歩の性向を持つ政治家でさえ、決して官僚機構には太刀打ちできなかったということがようやく分かったようだ。実際、一九九〇年代初頭とは違って、国際関係を真面目に研究している米国の学者は、日本の政治あるいは経済システムが独特のものである点に、もはや疑いを抱いていない。
 重要度はそれより落ちるかもしれないが、米国の政治家は今や、外部からの断固たる圧力あるいは後押しがあれば、日本国内の改革勢力を目覚めさせ、下からの政治革命に火をつけることができるという考え方を放棄したように見える。市場の力とグローバリゼーションの拡大は不可避な動きだと考えている米国の政治家は今、事実上絶望的な状況にある日本経済に対し、そうした動きが襲いかかるのを何よりもあてにしている。
 政治的には、今日の日本は米国の指導者にとって、八年前よりもっと謎に満ちた国かもしれない。ワシントンで日本の政治の問題がほとんど関心を呼ばないでいる間、日本のシステムは従来通りのやり方で動いていた。経済や国家安全保障の重要な問題については、日本の指導者は現状維持の必要性という点で固く結束していたように見える。そうした中、小泉純一郎首相の選出は日本の政治の分水嶺になるかもしれない。
 だが、小泉首相は今のところ、真の改革を実行するという公約にもかかわらず、それが言葉以上のものであることを示すようなことはほとんどやっていない。また、そうした公約を実行するだけの十分な力と巧みさが小泉首相にあることを示す証拠もない。さらに言えば、日米関係を大きく変えるのは明らかに、小泉首相にとっての優先課題ではない。要するに、どのような日本を相手にしようとしているのか、日本占領が終わって以来、米国にとって今ほど不透明な時代はないのである。
 にもかかわらず、小泉首相の登場によって、日本が一九九三年以来、外交・軍事政策の面で、少なくとももっと「普通の国」らしく見えるよう動いてきたことをどう解釈すべきか、なぞは深まったと言える。米日関係をこれまで育て上げてきた安全保障担当の米国の官僚や、日本の安全保障問題を専門とする学者らを筆頭に楽観主義者は、いかにもいとおしそうに、日本が小規模ながらも国連平和維持活動に参加するようになったことや、東アジアの危機・紛争に際しての米軍支援拡大をうたった合意が一九九六年と九七年に結ばれたこと、北朝鮮のエネルギー支援計画に日本が財政面で貢献していることを指摘する。さらに、恐らく最も重要な点だが、日本のエリート層および国民世論が大きく変わったことを挙げる。一九九六年には中国が台湾を軍事的に威嚇し、九八年には北朝鮮がミサイル実験を行い中距離ミサイルが日本の上空を飛び越していった。これが世論の変化につながったようだ。
 この二つの出来事は、自らのぜい弱性に対する日本の危機感を高めたように見える。と同時に、米国の核の傘はいかなる国家安全保障上の脅威に対しても、本当に盤石の防衛を提供してくれるのかどうか、日本の国民のみならず当局がひそかに抱いていた疑問を明るみに出した。こうした疑問はある程度、冷戦終結の一つの結果である。世界規模の軍事上、イデオロギー上の脅威という背景がなくなったことで、さまざまな地域において不都合な動きがあったとしても、もはやそれが自動的に米国の国益を損なうとは限らなくなったのである。多くの場合、地域的な混乱が起きても、さらには紛争が勃発した場合でさえ、米国の目には極めて局地的な問題にみえるだろうと容易に想像できる。それゆえ、論理的にいえば、日本のように明らかに重要ではあっても、地理的に遠く離れた国の場合、その防衛のため、米国が進んで、自らを核の報復攻撃にさらすようなことはしそうになくなると考えられる。その結果として、口にすることさえはばかられた日本の核兵器開発という強固なタブーが弱まる兆候が現れ始めた。
 しかしながら、大きな流れで見れば、日本の外交的な動きはそれほど印象的なものではない。第二次世界大戦の終結から五五年がたち、半世紀におよぶ軍事協力の後、最も驚くべきことに思えるのは、米国と日本のような二つの大国が軍事問題では、それぞれ相手に対し、かくも臆病な態度に終始している点だ。米国は日本が二〇世紀半ばの悲劇的な歴史を繰り返さないよう、世界政治のなかで十分な軍事カを持った独立した力とならないよう力を注いできた。
 朝鮮戦争勃発から五〇年がたつのに、日本は驚くことに依然として、新たな朝鮮戦争が起きた場合、米国を軍事的に支援することが法的に可能かどうか、あるいは実際にそうすべきかどうかを議論しているのである。米政府が日本側に具体的なコミットメントを強く求めようとしない点にも驚きを禁じ得ない。米側の当局者は最近、情報の共有や統合訓練の拡大といった措置について、ついに日本側と協議を始めることになったと大げさに吹聴している。だが、米国はもっと重要性の低い小さな国々とも軍事的関係を持っており、それに比べれば、こうした措置はごくごくささやかな歩みでしかない。とりわけ失望させられるのは、米国が日本国内での防衛論議を促すような努力を全くしていないことだ。そうした論議が行われれば、日本を取り巻く現実と直面している選択肢について、国民を啓蒙することができるだろう。
 








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