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はじめに
 ニューヨークと首都ワシントンに対する九月一一日のテロ攻撃は、米国の本土防衛を改善するという、ブッシュ政権の既に強かった決意をさらに強めさせるとともに、米国がテロに対する戦争で同盟諸国からの支援拡大を期待していることを改めて確認した。英国のような強力な軍事力を持つ同盟諸国はブッシュ大統領からの支援要請に速やかに、そして断固として応えた。
 一〇月三〇日に、日本はテロとの戦争における自衛隊の機能を顕著に拡大する外交・安全保障上の措置に着手した。これらの動きはワシントンから歓迎された。しかし、これらは依然として、日本の対米安全保障関係の文脈の枠内で行われたもので、日本の独自の軍事的能力の保有に対する制約を根本的に変えるものではなかった。
 九月一一日と一〇月三〇日は米日安全保障関係の力学を根本的に変更するものでなかったし、もともとブッシュ政権が日本に対して採用を望んでいたような種類の軍事態勢に関する事柄を解決するものではなかった。
 本書は日本の戦略的進化の次のステップについて論じたものであり、日本が軍事的、政治的、そして経済的に正常な外交政策を創造する必要を論じた本である。ブッシュ政権は、本書に収録した諸文書が明確にしているように、日本の軍事的能力の強化を依然として支持しており、日本はそれを実現するために何をするのかを決定する必要が依然としてある。
 本書の記述はこれらの点を明快かつ直接的に論じており、日本を取り巻く現実の世界についての議論を奨励することを目的としている。そうした議論はあまりに長い間、欠如していた。日本国民のみが最終的に国の将来を決定できるのだから、日本国民はそのような議論に必要な事実を頭に入れておくのが不可欠である。我々は本書がその助けになることを望む。
 
 本書は日本が第二次大戦後、「ヒモ付きの成功」とも呼べるような成功、すなわち、自国の国際的役割に課した厳しい制約(それも大半は自ら課した制約)にもかかわらず、経済超大国の地位を達成した特異な道程について書いた本でもある。本書はまた、日本が軍事的敗北の後に、国益の命じるままに世界問題に存分に関与する権利を回復しようとする長い旅路の中で、どんな、そして、なぜ、最終的かつ恐らくは革命的な措置を取る必要があるか、を書いた本である。本書は、日本が軍事的、政治的、経済的に正常な外交政策を創造する必要を論じた本である。
 「ヒモなしの成功」ができるかどうかは、日本の別の戦後の成功にかかっている。つまり経済、政治とは別の成功である。日本は最近の困難にもかかわらずグローバルな経済大国として復活した。日本はまた、一九四五年以来の民主主義的政治体制を守っていく決意を示した。これらの成功は、本書の眼目とする日本の最終的成功に向けた自信と基盤を提供した。
 日本は世界平和への信念により、ある程度、世界の信頼も得たが、現有の、実際に存在する軍事力を前向きの目的に使う能力があることを世界にまだ示していない。これは「無条件の成功」に向けた日本の探求の最後の課題である。日本が現有の軍事力を、日本の平和への誓約と調和する形にしたあかつきには、日本は、第二次大戦後の世界に通常の世界大国として復帰するための一連の作業を完了することになる。
 我々は本書に、ジョージ・W・ブッシュ政権が日本に対して、一人前の軍事強国として、また、テロに対する戦争のパートナーとして行動するよう期待を表明した文書を載せた。日本のグローバルな軍事的役割を拡大することは既に国連によって是認されている。そして、日本のアジアにおけるライバルたち、すなわち中国を筆頭とする国々でさえも、日本を責任ある軍事強国として認知する兆侯を見せている。
 同時に、本書が明確にしているように、今日、日本のヒモなしの成功を抑止しようとする主要な要因は皮肉にも日本自身である。米国と肩を並べて問題に対処するよう求められた時、日本だけが自制心を働かせる。日本のみが、自由と民主主義の大義のために自国兵士が死ぬのを依然として容認しようとしない。日本だけが、自国の憲法上の制約と実際の強力な軍事力の間の曖昧なギャップを閉じることができない。
 日本はしばしば、戦後の成功にヒモが付いているのを受け入れる主要な理由として米国を挙げる。そして米国の一九四五年以来の対日政策は一方では、まさに曖昧性に満ち、日本に対し頻繁に、軍隊を格上げし、自由世界の安全保障上の負担増大を求めるかと思えば、他方では、強くなった日本がもっと自立的になり、それゆえ、危険な日本になるのではないかとの心配を明確にしてきた。
 ブッシュ政権は、軍事的に強力な日本は決して米日安全保障関係を脅かしたり否定するものでないとの認識を強く示していたが、実際は全く逆である。日本が将来、大規模で強力な陸軍と海軍を持つと予想された場合、依然としてワシントンの多くの人たちに不安を抱かせるのは明白である。
 本書は同時に、予見可能な将来の米国の外交政策を形成する深層要因のおかげで、日本の外交には抜本的変化以外の選択が残されないことも明確にしている。米国自身も自らの外交政策を、パールハーバー以前の米国の歴史の大半を特徴付けていた外交政策パターンに近づけるような転換を完了しつつある。米国が世界の他の地域を放棄することはほとんどあり得ないとしても、全地球的な関与や東アジア問題への関与は以前よりはるかに選択的になるだろう。日本はもはや、冷戦時代のようにワシントンからの手厚い保護をあてにできない。
 こうした状況からすれば、日本国民が、湾岸戦争の際の貢献を評価されなかった時の困惑にもかかわらず、そして国内のテロリストが地下鉄の通勤客に毒ガスをまいた後ですらも、自国を決然と守ることを可能にするような法律あるいは憲法の改正に背を向けたのは懸念すべきことである。
 今日では、日本が決定的な軍事力を保有すべきだとのグローバルなコンセンサスが出来つつある。日本人だけがそれを拒否している。すべての人が、日本は責任あるグローバルな軍事強国になるべきだと主張する方向にあるが、例外は日本国民だけだ。すべての人が、日本に対し、世界の平和を確保する行動に積極的に参加するよう求めているが、日本人は一貫して、その任務への寄与増大を拒否している。
 本書は、日本が純粋に人道的な国際主義を超えた動きを開始して、本土を防衛し、国際問題でもっと広い役割を果たす時が到来したと論じている。単に国際機関に参加し、米国の万全の保護に期待するのは、もはや、日本の利益にとり適切な形で役立つことにはならないだろう。日本の将来は、国民を保護するとともに、地域の安定のための力となる単独行動力(ユニラテラル・アビリティー)を持つかどうかにかかっている。日本憲法の理想主義は、日本人が住む現実の世界の必要に即するよう変えなければならない。それができるのは日本人だけである。
ロナルド・A・モース   








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