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2 浅羽町の地域特性
(1) 位置・面積
 浅羽町は、北緯34度、東経137度、日本列島のほぼ中央部、東京と大阪の中間点に位置している。県内では、磐田郡の最南端部に位置し、東海道新幹線浜松駅からは東約20km、 掛川駅からは南西約10km、東名高速道路袋井インターで南4kmの距離にある。町域の東は大須賀町、西は磐田市、福田町、北及び東の一部は袋井市に接し、南は遠州灘に面している。
 町域は東西5.35km、南北7.23km、面積28.46km2となっており、北部の小笠山丘陵地を除いてほぼ平坦な地形を有している。
図表1-2-1 浅羽町の位置
(2) 歴史的沿革
 本町が位置する遠州灘沿岸地域は、約5,000年前は海中であったが、沖積期にあたる数万年前から土砂の沈積や土地の隆起が起こり、地先が次第に南方に退いて平野部を形成した。平野部の多くが湖沼、低湿地帯であったが、その後農耕地に発達した。
 遠州灘沿岸地域には、約3,000年前からの人跡がみられ、石斧・石鍬・石錘などの石器時代の遺跡・出土品がみられる。浅羽町内でも、弥生式土器が出土しており、太古からの人の営みがあったことが確認されている。
 その後、奈良・平安の荘園時代を経て、鎌倉・江戸時代は、遠州南部地域の拠点として発達し、明治となってからは、明治24(1891)年の町制発布により、33か村が上浅羽、幸浦村、豊浜村に統合され、中遠地域の穀倉浅羽5か村と呼称される大穀倉地帯に発展した。
 昭和30(1955)年のいわゆる昭和の大合併期に、上浅羽村、西浅羽村、東浅羽村、幸浦村の4か村が合併し浅羽村が誕生し、昭和31年に町制施行により浅羽町となった。
 昭和61(1971)年に町制施行30周年を迎え、現在は農業と製造業を基軸とし、「メローなまち・あさば」(すべてに調和のとれたメローな状態であることを願い一丸となって創意と工夫に満ちたまちづくり)目標としたまちづくりを進めている。
図表1-2-2 浅羽町の歴史
〜弥生時代 ・ 5000年以前は海であったが、やがて土地の隆起により陸地となる。
・ 諸井、浅羽、浅名、梅山、松原などで弥生式土器が出土しており、生活があったことが伺える。
古墳時代 ・ 諸井・浅羽に古墳がたくさん作れられた。
・ この頃はクヌ(久努)と呼ばれる国に支配されていたものと思われる。
奈良時代
〜平安時代
・ 仏教伝来により、浅羽町篠ヶ谷の岩松寺など、各地で寺院の建立が行われた。
・ 各地で荘園造りが始まり、本町も荘園の一つとなる。
鎌倉時代



江戸時代
・ 平家を攻め、源頼朝の鎌倉幕府設立の貢献者の一人に、本町の浅羽庄司宗信があった。浅羽庄司は、本町一帯を治め、頼朝の信頼も厚く、相当な権力があったものと伝えられる。
・ 16世紀の始め、浅名岡山に馬伏塚城と呼ばれる城が築かれ、遠州南部の拠点となっていたが、大須賀町の横須賀城の築城により廃城となる。
・ 本町は、徳川家康ゆかりの地であり、松秀寺や明の宮神社などが現在でも残されている。
・ 弁財天川と前川を利用し、本町でとれた米は水路を利用して運んだ。
・ この頃の本町は、低湿地の水田地帯で、松原や梅田などは中州のような場所であった。
明治時代 ・ 明治24年(1891)町制の発布により、33ヶ村が上浅羽、幸浦村、豊浜村に統合、中遠の穀倉浅羽5ヶ村と云れ、大穀倉地帯が発展した。
大正時代 ・ 大正3年(1914)中遠鉄道の新袋井-横須賀間が開通、大量輸送の幕開けとなった。
・ 大正11年(1922)中泉(磐田市)〜上浅羽間に定期バスが運行される。
昭和



現在
・ 昭和30年(1955)上浅羽村、西浅羽村、東浅羽村、幸浦村が合併し、浅羽村となる。翌31年町制施行により浅羽間町が誕生。
・ 昭和41年(1966)国道150号線開通、マイカー増加傾向となる。
・ 翌42年には、開業以来53年間町民に足として親しまれた中遠鉄道(静鉄駿遠線)が廃線となる。
・ 昭和46年(1971)農村工業導入法誘導地域に指定される。同年、都市計画区域の指定を受ける。
・ 昭和61(1971)町制施行30周年を迎える。
・平成2年の国勢調査結果において県下で最も高い人口増率を示す。
[昭和60年(13,225人)〜平成2年(15,786人)人口増加率19.4%)]
資料:浅羽町 「第二次浅羽町国土利用計画」 (平成12年12月)
(3) 自然・土地条件
 本町の自然・土地条件は図1-2-3のとおりとなっている。
図表1-2-3 浅羽町の自然・土地条件
区分 摘要  数値
標高 北部丘陵地を除き、町域の9割が低地。南部地域は、松林 (保安林) を除き10m未満。 10m未満88.7%、10〜30m5.8%、30〜50m4.2%、50m以上1.3%
傾斜 町域の8割以上が3%未満の平坦な地形、南部地域は松林(保安林)が8〜15°の微高地。 3°未満85.5%、3〜8°13.3%、8〜15°1.7%、15°以上
地形 平野部は扇状地及び三角州の低地。南部地域は、海岸部は砂丘が形成され微高地、また、大部分が扇状地、一部が砂丘及び浜。 丘陵地 (砂礫台地) 8.4%、扇状地 (谷底平野) 22.1%、三角州 (海岸平野) 55.7%、砂丘河原浜4.5%、崖5.5%、旧河道 (湿性地) 4.3%
地質 平野部は肥沃な沖積平野。南部地域は、大部分が中粒砂、一部が細粒砂。 道路端・黒泥8.4%、泥 (粘土) 22.1%、泥 (粘土及び砂) 55.7%、シルト4.5%、細粒砂・中粒砂5.5%、砂礫・瓦礫4.3%
土壌 小笠山丘陵地は山地及び丘陵地土壌・台地、平野部は灰色土壌、グライ土壌。南部地域は、黄褐色土壌が大半を占める。
植生 小笠山丘陵地はアカマツ植林地、茶畑、樹園地、平野部は水田、畑。南部地域は、クロマツ防風林が帯状に分布。
気象 平均気温は16℃、年間降水量は1,600mm。 平成11年の平均値は、気温16.7℃、最高気温25.5℃、最低気温8.0℃、降水量140.8mm
資料:浅羽町「第二次浅羽町国土利用計画」 (平成12年12月) を基に作成
図表1-2-4 浅羽町の標高及び地形
(拡大画面: 186 KB)
資料:浅羽町「第二次浅羽町国土利用計画」 (平成12年12月)を基に作成








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