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2 市街地開発の歩み
(1) 埋立て事業による市域の拡大
 横須賀市における埋立て事業の変遷についてまとめると、次のような特徴が見られる。
 
ア 横須賀製鉄所(造船所)の建設にはじまる横須賀中央地域の埋立て事業
 慶応元年(1865年)、江戸幕府により軍艦の建造・修理の施設として、横須賀村(現在の本町一帯)に「横須賀製鉄所(後の「横須賀造船所」)」が建設され、これに伴い、現在の横須賀本港一帯の、三賀保、白仙、内浦の3湾の埋立工事が行われた。
 その後の埋め立ては、現在の横須賀新港側に移り、大滝町から東へ向けて徐々に埋立てが行われ、大滝町(慶応3年)、汐留町(明治2年)、港町(明治4年)、小川町(明治11年)、若松町(明治12年)、米が浜(明治22年)、安浦町(大正11年)、三春町(昭和5年)が埋め立てにより誕生した。また、この時代の埋立地のほとんどは、現在の国道16号よりも山側であり、現在市の中心部となっている地域である。(括弧内は竣工年)
 さらに昭和4年(1929年)には、若松町、米が浜、安浦町のさらに海側の埋め立てが開始され、昭和6年(1931年)に、広大な日の出町(約18ha)が誕生した。
 
イ 火力発電所建設に伴う久里浜湾の埋立て
 火力発電所(東京電力)の建設に伴い、昭和32年(1957年)、久里浜湾の千駄ヶ崎沖に埋立てが開始され、昭和48年(1973年)に埋立工事が竣工した。また、発電所に隣接する久里浜港の埋立ても併せて行われた(昭和40年埋立完成)。
 
ウ 昭和40年代にはじまる大規模埋立て事業
 
(ア) 大津、馬掘海岸の埋立て
 昭和44年(1969年)年に大津・馬掘地先の埋立工事が竣工し(約68.3ha)、かつては海水浴客で賑わった海岸が、分譲住宅地となった。
写真1-2 馬掘海岸の埋立て
資料:横須賀市教育委員会「よこすか」(平成13年4月)
 
(イ) 追浜工業団地臨海部の埋立て
 昭和44年(1969年)には、追浜工業団地臨海部(夏島地先)の埋立てが開始され、昭和60年(1985年)までに、造船所用地(昭和47年完成)、日産自動車の輸送・保管施設用地(昭和57年完成)等の埋立て事業が行われた。
写真1-3 追浜工業団地臨海部の埋立て
資料:横須賀市教育委員会「よこすか」(平成13年4月)
 
(ウ) 横須賀新港の建設
 昭和和40年(1965年)、国の第二次港湾整備5ヶ年計画と関連して横須賀新港の建設がはじまり、これに伴う埋立て工事が開始された。
 新港は、長浦・久里浜両港を上まわる貨物船基地として計画されたものであり、小川港の埋立て、新埠頭の建設が行われた。昭和50年(1975年)に完成した新港の港湾施設は、5つのバース、物揚場、野積場等である。
 市の単独事業として行われた小川港の埋立て地(昭和46年竣工)では、市による街区の整備が行われ、主に昭和47〜56年にかけて、10階建前後の高層マンションや企業の事務所などが、相次いで建設された。
図表1-12 埋立てによって地域が拡大した横須賀中央地域
資料:横須賀市「横須賀中央地域 町の発展I」(平成13年3月)
 
エ 安浦地区の埋立て事業 -「よこすか海辺ニュータウン」の建設-
 昭和55年(1980年)から平成4年(1992年)にかけて安浦地区埋立事業が行われ、約61haの土地が造成された。
 埋立地は、平成町と名付けられ、「よこすか海辺ニュータウン」の整備が進められている。このニュータウンは、中央部に中・高層住宅を配置し、それらを取り囲むように商業施設、文化・スポーツ施設、業務施設が立地するように計画されている。
 整備にあたっては、海辺ニュータウン全体における基本的デザイン事項(マスターデザイン)と、地区ごとの開発に際して景観形成の方向を示すデザイン指針(デザインガイドライン案)からなる「街づくりデザイン計画」、及び「色彩ガイドライン」が策定されており、これら計画に基づいた、まちづくりが行われている。
 上記計画のもと、平成6年(1994年)からはニュータウンの土地分譲が行われ、現在も中高層マンションの建設をはじめとするまちづくりが進んでいる。またその他、基盤施設としては、「海辺つり公園」「うみかぜ公園」をはじめとするシンボル緑地や、「よこすか海岸通り」等の臨海道路の整備が行われている。
写真1-4 平成町の埋立て(横須賀海辺ニュータウン)
資料:横須賀市教育委員会「よこすか」(平成13年4月)
 
オ ポートフロンティア計画(将来計画)
 横須賀港の港湾計画における将来計画としては、新港地区から走水にかけて、埠頭、海洋レクリエーション基地、緑地を整備し、港湾空間の高度利用を図ろうとする「ポートフロンティア計画」がある。
 
カ 埋立て事業による市域の拡大のまとめ
 横須賀市における、埋立て事業の変遷とその概要は、以下のようにまとめることができる。
 
・ 横須賀市海岸部における埋立ての歴史は古く、幕末には既に、横須賀製鉄所の建設に伴う、現在の横須賀本港一帯の埋立工事が行われている。その後、横須賀製鉄所から南へと徐々に埋立地の拡大が進み、昭和初期までに現在の三春町付近まで埋立てが行われた。
・ 戦後においては、横須賀本町地区以外の海岸部でも、大規模な埋立てが行われ、その代表的なものが、久里浜の火力発電所の建設に伴う埋立て(昭和32〜40年)である。また、昭和40年代に入ると、大津・馬掘海岸の埋立てや、現在の追浜工業団地一帯の埋立てなどが開始され、大規模な埋立てが本格化する。図表1-13に、この時期において横須賀港港湾区域内で行われた、公有水面の埋立てを示す。
・ 近年において特徴的なのは、平成町の埋立てであり、臨海部の公園、住宅施設、文化・商業施設が立地する複合的なまちづくりともいえる「よこすか海辺ニュータウン」の建設が現在も進められている。
 








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