第2回
「日本のマンガ・アニメーション、漫画家からの視点」
座長: |
浜野 保樹氏 |
(東京大学大学院助教授) |
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ゲスト: |
里中 満智子氏 |
(漫画家) |
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委員: |
鷺巣 政安氏 |
(日本動画協会事務局運営委員) |
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西村 繁男氏 |
(「週刊少年ジャンプ」元編集長) |
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原田 洋一氏 |
(東京都杉並区経済勤労課) |
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岸本 周平氏 |
(経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課長) |
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酒井 正幸氏 |
(東京都産業労働局商工部観光産業課) |
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日下 公人氏 |
(東京財団会長) |
2001年9月10日(木)
国家予算の1%を文化に
浜野 私から幾つか報告があります。2001年8月末にアメリカで、「アニメーション・セレブレーション・アウォード」という、アニメ雑誌を中心に評論家が投票するイベントがありました。日本でいうとキネマ旬報のアニメーション版みたいな賞なんですが、日本の「ブラッド」という作品が、ここ1年でつくられた劇場用アニメーションで世界最高のグランプリに輝きました。「ロバになった王様」「アトランティス」「シュレック」という大作が目白押しなのに、たった50分の日本のアニメーションが最高作品に選ばれた。それなのに、どのマスコミも報道しないことが信じられない。北久保君という押井守監督の弟子が劇場用に撮った第2作目です。経済産業省がIPAでお金をつけた作品です。今、いろいろな雑誌や新聞に働きかけて、その結果だけでも報道してほしいと働きかけています。これだけ日本のアニメーションが世界で活躍しているのに、認知度が低いことはすごく残念だと思います。
日本でも「もののけ姫」が1年かかって売上げた記録を、「千と千尋の神隠し」が56日くらいで塗りかえたわけです。現在200億円を超えて、「タイタニック」の260億円に迫っていますが、日本興業史上最高の映画になる可能性があります。しかし、アメリカでも今年夏に封切られた「シュレック」という、スピルバーグの会社の3Dアニメーションが、スピルバーグの「A.I.」とか「ジュラシックパークIII」などを抜いて300億円くらいの売上げを達成しました。多分、今年のアメリカ映画では、売上げ最高の映画になります。アメリカの100年の映画史の中で、アニメーションの興行成績が一番になるのは、これが初めてだということです。
「シュレック」は、ディズニーをやめたカッツェンバーグが制作しました。ディズニーの白雪姫やピノキオなどのキャラクターを揶揄する映画です。当たるとは思っていなかったのに、大ヒットしました。東京国際映画祭のオープニングでも上映されて、カッツェンバーグも来日します。カッツェンバーグは日本のアニメーションの大ファンで、「シュレック」では、日本が米国で築いた大人用アニメーションのマーケットを取り返すんだと公言して、本当に1位になった映画です。
東京国際映画祭では、10月27日(2001年)のオープニングで「シュレック」が上映され、11月4日のクロージングも「アトランティス」というディズニーのアニメーションが上映されます。オープニングもクロージングもアニメーションというとんでもないことになったわけです。オープニングには、カッツェンバーグが、クロージングにはロイ・ディズニーが立ち会うということです。「アトランティス」はキャラクターもストーリーも、日本のアニメーションの「ふしぎの海のナディア」という作品のパクリだといわれています。
アニメーション界で大きな動きは、7月にディズニーが劇場用アニメーションのアニメーター数100人をレイオフしました。これまでディズニーはどんなことがあっても、劇場用アニメーションのアニメーターだけは宝として守ってきたのですが、レイオフしました。それはなぜか。自社では2Dのセル画タッチのアニメーションはつくらないということです。これまでディズニーはピクサーなどの外部の会社で、3Dアニメーションを制作していたのですが、3Dアニメーションを自社内で制作し、2Dは日本や韓国に発注することで、数百人をレイオフしたのです。アメリカで最も有名なアニメーターのエリック・ゴールドバーグも怒ってやめ、ユニバーサルでモーリス・センダックのアニメーションをつくることになりました。
今、ディズニーは調子が悪くて、2Dのアニメーションは全部こけています。3Dだけ当たっています。なおかつディズニーをやめたカッツェンバーグが、「ドリームワークス」で「シュレック」をつくって大ヒットしたということで、余計ショックを受けています。もう3D以外はつくらないということですから、多分、ディズニーが自社制作した2Dアニメーションは「アトランティス」が最後です。東京国際映画祭がディズニーの2Dアニメーションのフィナーレになりそうです。
こうした大きな動きの中で、参考になることがあります。韓国の文化の日・10月20日(2000年)に、文化について講演した金大中大統領が、「文化産業を興さなければいけない」と延々と話し、国家予算の1%を文化につぎ込むことを明言しました。韓国は「デジタルコンテンツ・アクションプラン2005」を現実化しました。これは、2005年までに日本円にして610億円をデジタルコンテンツの振興のために使うということです。しかし、最近発表になったデータでは、3年間で約8,500億ウォン(日本円で約850億円)をアニメーションとゲームにつぎ込むということです。1年間に200億円余をつぎ込むのです。政府が制作費まで全部出すのです。そんなことあっていいのかと思うが、おもしろいものに関しては、韓国政府は制作費まで丸々出してもいいということです。韓国はアニメーションの下請けで、日本の地位を奪ったわけですが、今度は日本の宮崎、押井、大友といったような有名作家を育成し、アニメーションと言ったら韓国だと言われるようなイメージの作品を、次から次に出そうということで、このプロジェクトを始めました。ゲームもオンラインゲームに関しては、今は、韓国が世界一になっていますが、アニメーションにも資金をつぎ込もうということです。
今年は、ワーナーと韓国が共同製作した3Dのテレビアニメーションがアメリカで視聴率最高になりました。韓国が下請け制作したアメリカ作品が視聴率1位になったことはありますが、韓国自体の作品が視聴率1位になったのは、初めてらしい。韓国の3Dの作品が1番になったということで、日本の現場ではショックを受けているということです。
今回は、マンガの話にウェートをおいて討論したいと思います。すぐれたキャラクターは、残念ながら、アニメーションのオリジナルからは生まれたことがない。マンガを原作としたアニメーションがほとんどで、マンガあってこそのアニメーションだと思います。里中先生は海外の漫画家との交流などに積極的に取り組んでいます。日本のマンガの海外での評価とか、戦略を今後、どうしたらいいかなどについてお話してください。
海外で読んでもらえる嬉しさ
里中 私は、私の立場で知り得た、つまり漫画家として知り得たことで、何かの参考にしていただければと思えるようなことを、思いつくままにお話したいと思います。
韓国の金大中大統領が、「文化は金」と言っていることを聞きますと、つくづくマンガやアニメーションに対しての日本政府の姿勢の違いを思い知らされます。アジア各国の漫画家たちと付き合い始めたのは、かれこれ10年位前になるでしょうか。どうして付き合い始めたか。日本のマンガは、大変閉ざされた市場で発展してきた。その発展が特殊であったのは、ジャンルやテーマが多様であることに尽きると思います。つまりマンガは子供に分かりやすいもの、あるいは字を読むのが面倒くさい人が読むものというサブカルチャーとしてしかとらえていない世界が多かった。特にアメリカなどはそうでした。
ところが、日本では手塚治虫の存在が大きいと思うのです。画面表現、テーマやジャンルの多様性をマンガで表現するのは、映画で表現できることだったら、マンガでも表現できるだろうということでやったのではないかと思います。その辺は、国民周知の事実と言いながら、意外と、流行に押されて、日本の文化の歴史におけるマンガの地位は、とかく忘れられがちなのです。これがあと200年くらい経ったら、あの時代、日本のマンガ界に何が起きたのかは、みんな研究し出すと思うので、そういうデータもちゃんと今から残しておかないといけないと思っています。
とにかく、手塚治虫が画面表現、ジャンル、テーマで、垣根を取り払ってしまった。その上で作品を描いた。それに刺激された若者たちが、マンガとはこういうものだと思って、どんどん描いた。有名なトキワ荘時代、それに続く戦後の団塊の世代、その後の若い人たちは、マンガとはこういうもの、つまり、これまで表現が舞台劇だったものが、映画になった。ドラマ表現が、それまでみんな舞台を見るように見ていた。ところが、画面構成の面で、映画を見るように、マンガを見るようになった。
戦後ずっと、「週刊少年ジャンプ」を筆頭にマンガ雑誌は発行部数を伸ばした。昭和30年代ぐらいまでは、マンガの読者は小学生が主だったんですが、そのまま小学生が中学生や高校生になっても読む。大人になっても、そのニーズにあったマンガ雑誌がどんどん発行されることで、中年になってもマンガを読み続ける。
当然、ジャンルの多様性がないと成立しない。一時期、電車の中で大学生やいい大人がマンガを見ている、日本人は分からないと言ってアメリカ人が笑った。それが恥ずかしいと言う日本人がたくさんいました。アメリカ人にとってのコミック、日本人にとってのマンガは、テーマ、ジャンルの多様性で基本が全然違うんです。アメリカ人から見ると、例えば、アメリカでは、教育程度が低くて、あまり字が読めない人が一時の楽しみのためにマンガを読むのが、常識とされてきた。それが、日本のいい年をした、大学を出たような人が読むということで、おかしいと言っていたわけです。私はマンガを通じて、アメリカ人のものの受け止め方は、やはりアメリカを基準に考えていることを、嫌というほど知りました。
とにかく日本では発展したわけですが、日本では戦後のいろいろなトラウマがあるのでしょうか、日本でうけたものはアメリカに売り込みたがるのです。アメリカの出版社関係者等に、日本ではこういうマンガがはやっているが、どうでしょうかなどと聞く人がでてきた。これが、昭和40年代初めぐらいだと思います。
ところが、アメリカ人から見るとこんなのはコミックじゃない。アメリカの漫画家の意見を随分聞きましたが、何でこんなのがコミックなのかと、見た瞬間にはねつけてしまう。なぜ?と聞くと、大体、主人公が悩んだり苦しんだりしたあげく、報われないというのは何事だというわけです。主人公が不細工だったり能力が劣っていたり、要するにだめな子です。だめにされながら自嘲するような子はヒーローではない。アメリカ人の言うヒーローは肉体的にもマッチョで、能力もあって、必ず美女がそばについているという、何かそんな感じなのです。
アメリカには、またアメリカのマンガ制作の事情があり、制作の仕方が日本と全然違う。アメリカ人が日本のマンガを見て、第一に長すぎると言います。一つのストーリーが、単行本になっても分厚い。日本人は一体これを何人で描いているのだと言う。一人で描いている場合が多いわけです。毎週毎週20〜30ページ描いて、あっという間に単行本1冊分になり、何10巻と続く。こういうのは、アメリカ人の頭の中にはないものですから、こんな長いものだれが読むんだ、コミックではないと言われたのです。その頃、私が知っている出版社では、やはりアメリカには売れない、日本のマンガは日本独自のもので日本人にしか理解できないんだと、あきらめてしまった人たちが多かった。
ところが、東アジア各地から聞こえてきたのが、海賊版で日本のマンガが読まれているということです。作者の知らないところで、現地語に訳されて読まれているわけです。国によってはぺージのめくり方が違うんです。日本のマンガは基本的に向かって右から左にその画面が流れるようになっている。ところが、韓国などでは、左から右に開くわけです。マンガのせりふが横書きのところは、欧米式の開き方をするわけです。ですから、海賊版も乱暴に、左右反転でコピーしてある。だからみんな左利きだったりする。着物の襟合わせがおかしかったりする。日本人と思われるような着物は、自国の服装にかえて海賊版として出すわけです。
そのことをアメリカ人に話しても理解されなかった。ということは、日本独自の感性だと思っていたものを、外国人が、子供たちが読んでいるからです。でも、私は一時のブームではないかと思いました。それにしてはたくさん読まれているというので、読んでもらっているというだけでうれしかったのです。著作権については、私たち日本人もよく知らなくて、戦後、特に、ディズニーによってこっぴどく教え込まれたわけです。でも著作権については、いずれアジア各国の人たちも、そのうち分かってくるだろう、今はとにかく読んでもらえるだけでうれしいと思いました。
そのうちに私が個人的に好奇心というか興味を持ったのは、日本人読者の反応と違うところがあるのだろうか〜が第1点です。もう1点は、日本人が描いたことを知っているのか知らないのか、知っているとしたらそのことについてどう思うか〜の2点です。
当然ですが、日本の作品と知らない子供たちが多かった。自国の誰かが描いたと思っていた。それと、日本人の読者と同じような感想を持つかどうかにつきましては、全く同じでした。例えば、このキャラクターが可愛いとか、格好いいとか、このシーンがすてきだとか、そういう感想はほとんど同じだったのです。そこがうれしかった。つまり、日本人独自の感性というと、日本人好みのシーンとかキャラクターがあるはずですが、日本人の読者が見て、これが可愛いと思うと、同じように可愛いと言ってくれる。
東アジア各地、特に日本と近いアジア地域とは、過去にいろいろないきさつがあって、日本の文化あるいは日本人のものの考え方について誤解もある。当然日本の責任もあるわけですが、話しても話しても噛み合わなくて、疲れを感じていた時期なのです。そういう時に、同じ感想を持たれることは、同じ感性を持っていると分かって、うれしかったわけです。同じもの、同じキャラクターを可愛いと思う、格好いいと思う、そして同じストーリーに感動する。これはまだ目に見えては分かりませんが、やがては共通の感動体験、同じ感性を共有したことで、未来の東アジア全体が、お互いに分かり合い、手を取り合って、何かをなし遂げていくときに、非常に支えになると思っています。
今、世界のかなりの地域で見られている日本のアニメーションには、例えば「ドラえもん」というキャラクターがあります。世界中のかなり多くの子供たちが、幼少時にドラえもんに触れて育つわけです。それで育った子供たちが、大人になって、その国のトップになったころに、果たしてその世界の外交はどうなっているか。お互いが分かり合う、話し合うときのべースになる感性を共有したことは、かなり大きな影響があるんではないかと期待しております。
私も日本人として、近隣のアジア諸国の人に対して、話すときにどこか緊張を感じてるわけです。どうせ何を言っても悪いほうにとられるんではないかと、常にある種のおびえと緊張の下に話し合ってきたことがあります。それが、このマンガを通して、やはり分かり合えるのではないかと確信を持てたことは、大変、個人的にもうれしいことでした。
例えば、「鉄腕アトム」については、かなりの能力を持っていて、ロボットとして強いのが通り相場ですが、日本の読者は彼を可愛いと思う。特に女の子などは、可愛いと思うわけです。世界中どこへ行っても可愛い、キュートと言われるわけです。ああいう可愛いキャラクターだから、可愛いと言われて当たり前だろうと、これは分かりやすい。
ところが、大変不細工な主人公もいるわけです。せりふが一言もない怪獣マンガで「ゴン」がある。主人公はティラノザウルスの子供です。せりふが一言もないから海賊版もつくりやすくて、日本で発売された3日後ぐらいには本ができてしまうという感じです。このゴンを、私たちは可愛いと思うんです。顔立ちは不細工です。でも、そのしぐさとかドジなことをするのを、大変、可愛いと思う。これもやはり、キュートと言われたんです。強そうだとか、そういうことではない。やはりうれしかった。また、少女キャラクターの「セーラームーン」にしても、そのセーラームーンのどこが好きかというと、やはり日本の少女読者が感じることと同じで、女だという前提を無視した強さとか戦う姿勢です。それを好きだと、みんな言ってくれるわけです。
日本のマンガが、好かれ過ぎますと、日本と同様に現地の子供たちのお母さんからは教育に悪いだの何だのと、声があがります。どこの国でも親は、子供に遊びよりも勉強してもらいたいと思うものなので、仕方がない。お母さんたちの反応も、日本と同じというのはおもしろかった。細かいことを言いますと、宗教的なこととかで、多少、日本人は平気でも、海外ではちょっと受け入れがたいというような表現もあります。これは宗教性ということで、仕方がない部分もあると思います。その共通の感性を、分かち合って育つという、これが一つのキーワードと思っています。
もう一つ、日本人が描いた作品だと知っているかどうかの点です。知っていたとしたら、どう思ったかということです。これに関しては、すべての国の子供たち、漫画家と話し合ったわけではありません。しかし、特に近い地域、韓国の漫画家が小さいころに、海賊版も見て育ったであろうことは、想像に難くないわけです。付き合い始めて最初のころは、彼らは口をそろえて、私達は日本の海賊版などは見ていない、韓国のマンガだけを見て育ったと言うわけです。しかし、1週間くらい経つとすぐに、「本当は見て育った」と言ってくれるのです。
今、韓国の出版社と日本の出版社が契約をして、正規のルートを通して、日本のマンガが翻訳されて、売られていることに表向きはなっています。実際は、正規契約したものとほぼ同時発売で、正規契約していない雑誌、単行本が本屋に、マンガ専門店に並ぶということになっています。正規契約したので、海賊版は出ないと思うでしょうが、実は、正規に契約した会社が、横流ししているのかも知れないのです。
いろいろな漫画家と話したところ、実は、自分も日本の海賊版のリメイクと言いますか、描き直しで腕を磨いたという人も、結構いました。日本で本が発売されます。それをコピーして、日本の着物や看板などを全部描き直す。単行本一冊、大体200ぺージ強あります。それを1週間で描き直すのが常識らしい。これは能力として高いと思う、アシスタントにほしいぐらいだと、みんなで笑っていました。そして露出オーバーのところは、全部何か着せるわけです。日本のマンガで割と派手に裸が出ていると、不自然に布が巻きついたりしている。例えば、風呂屋に爆弾が落ちて、みんなが裸で逃げる。その裸のシーンが、日本の男の子の読者にとっては、胸を躍らせるところですが、韓国ではみんなが手ぬぐいを、不自然にちゃんとポイントだけに巻きつけて、走って逃げている面白いシーンになっています。描き直すアルバイトもあるそうです。
韓国の漫画家たちと仲良くなっていったきっかけについて話します。韓国は、マンガが持つ力、すばらしいキャラクターは国民の力になるということを国が認めています。分かりやすい表現形式で同じ感動を分かち合うことは、国民の精神的な力になるということで、かなり国がマンガ業界を応援している。日本だと文化庁みたいなところですが、映画、マンガ、音楽を大体、一括して扱っている窓口があります。韓国は、日本文化を表向きは輸入しないことできました。でも、現実には、マンガだと海賊版、音楽ですとコピーのテープなどで、日本文化はあふれかえっています。韓国の漫画家と本当に仲よくなったきっかけは、韓国の漫画家たちの間から、いつまでも海賊版を野放しにするのは、自分たちにとっても恥である、正規にきちんと日本文化を開放して海賊版を追放することが自分たちの誇りにつながるということで、韓国に来てくれないかという話があったからです。やはり外圧がほしいと言うのです。
東アジア漫画サミットの立上げ
おかしなもので日本も何かあると、すぐアメリカに頼ってしまうことがありますが、韓国人漫画家は、「我々韓国人漫画家が、出版行政とか文化庁に何か言ってもなかなか聞いてもらえない」と言います。「日本の漫画家に来ていただいて、こういうことでは困る、韓国も今後はしっかりとまともな形で、日本文化を輸入してほしいという圧力をかけてほしい」と言います。それで行きますと、文化庁長官との会見がセッティングされてしまったりしている。すごく気が早いんです。1泊2日で、ちばてつやさんと一緒に行きました。へとへとに疲れましたが、それがきっかけで、特に仲よくなったわけです。
そのときに、私は、もう一つの興味、日本人が描いたことを知っていたかどうかということを、いろいろな人にリサーチを始めました。8年くらい前の事です。最初は、「日本のマンガなんて見たことない」という言うわけです。そのうち、「実は見ました」。「何が好きだった?」と聞くと、「あしたのジョー」とか、「あれは、格好よかった」とか言うわけです。さらに仲良くなり、聞きにくいことも聞けるようになって、「日本人の作品と知ったとき、どう思った?」と聞くわけです。これは、大変、複雑な答えが返ってきましたが、なかなか言いたがらない。何で言いたがらないか。「実はショックだった」と言う人が多かったのです。つまり、自分たちが受けた学校教育の中では、日本人はひどい民族で、冷酷無比、非情な人間であり、日本のやった悪いことを教えられて育ってきた。だから、日本人と聞くと、何をされるかと構えてしまう。ところが、小さい時に、感動して涙して、僕もこんなの描きたいと思ったものが、日本人が描いたとわかった時に一番ショックだったのは、「あの冷酷無比、非情な人間が描いたものに、自分は感動した。自分も、あの冷たい非情な日本人と同じ感性を持っていたのかと思った。それがショックだった」と言うのです。すごいショックを受けました。でも、「そうですか」と言わざるを得なかった。
ところが、彼らが言うには、「とにかくショックだった。しかし、1週間くらい落ち込んだが、そこで、はたと気がついた。こんなに感動する作品をたくさん描く日本人って、一体何なんだろう。もしかしたら、僕が学校で習った日本人像が間違っているかもしれない。日本人は、実は、これだけ感動を生み出す心を持っているんだ。そのときに、目から鱗が落ちたような気がした。その後、そういう気持ちで日本人を見たり、付き合ってみると、いろんなことが分かってきた」。そう言われたとき、すごくうれしかったのです。ただ悲しいことに、「僕がこう言ったなんて言わないでほしい。名前も出さないでほしい」と念を押すのです。まだ、何かあるみたいで、立場としては分かります。
日本人が描いた作品かどうかは分からないまま読んでくれて、やがて、これが日本人の作品と分かったときに、何か感じてくれれば、私はそれでうれしい。マンガの持つ力は、子供には分かりやすく、大人は大人の読み方ができる。そして、非常に感情移入しやすい形式になっていますので、理屈抜きに感情で入っていける。感動した時は、日本という国に対する見方も変わってくるのではないかと期待しています。
日本文化を公式に輸入しようなどという声もない頃に文化大臣と会い、いずれそういう日がくるようにとお願いしてきました。そのときの返事は、「音楽も映画もマンガも全部同じだと、我が国は考えているので、開放するときは一緒です。それは近いでしょう」と言われましたが、いろんな政治的駆け引きもあってなかなかうまくいかない状況です。
韓国にも漫画家協会があり、そこに行きますと、壁一面、日本で発行されている本、日本で売っているマンガ本が数多く並んでいるわけです。「こんなにあるんですね」と言ったら、彼らが胸を張って「これは、全部国の予算で買ってもらいました。国から予算が出ている」と言うのです。日本のマンガを購入する枠があって、「買え」と言われる。「買って、勉強して、日本に追いつけ、追い越せ、頑張れということで、資料代としてもらっています」ということです。そのときに彼らから「日本のマンガ協会は、国からいくら援助をしてもらっていますか」と聞かれました。「何もしてもらっていません」と言うと、「うそ」と言われました。「あれだけ日本経済に貢献していて、何も援助がないとはおかしい」と言うわけです。「漫画家はどうなんだ?」と聞くので、「漫画家も何もない」と答えました。税金にしても、資料代などを認められるわけでもなく、特別な優遇はありません。小説家の方がうらやましいと思えるような、小説家基準の枠組みなんです。
マンガ制作にはかなりアシスタントを使います。アシスタントの食費も、一般の会社の社員食堂で援助している分程度しか認められないわけです。マンガ業界らしい税制優遇措置は、何もないわけです。出版社は文化事業なので、事業税で多少、優遇措置みたいなものがあるようですが、私は詳しくは知りません。
こういうことを話すと、韓国のみならず、世界中のいろいろな国から「これだけ、経済の活性化に貢献しているのに、なぜだ」と驚かれます。また、日本に行ってマンガのことを知りたいときに、日本のマンガ情報が分かる窓口が、国の機関で何かあるだろうと思われている。ところが、ありません。仕方がないから、個人で何とか働きかけて、マンガ博物館や資料館をつくるしかないと思っています。何年かかるか分かりませんが、せめてバーチャル上だけでも整備するために頑張りたいと思っています。
韓国、台湾、香港など、いろんな地域の漫画家と話しているうちに、マンガは感性を共有するということで、共通語になるのではないかと思うようになりました。一緒に何かしたいという話にもなった。「東アジア漫画サミット」というのがあります。合同で展示会とかシンポジウムを開催したいという話を、最初韓国の漫画家たちと話しているうちに、できたらいいねという話になったわけです。私とマンガ学院の木村さんの2人で韓国の漫画家と話し、そのうち、ちばさんとも話しました。マンガサミットみたいなことをやりたいと思っても、日本には窓口となるところがない。マンガ協会はありますが、これは4コママンガ、1コママンガ、ストーリーマンガが全部、加盟しています。私が話しているのはいわゆるストーリーマンガですが、ストーリーマンガ主体のものというと、どうしても4コマ、1コマの作家たちと足並みが揃わない。これは、表現の自由問題でもめたときもそうでした。
それで、ストーリーマンガだけの団体をつくらなければいけないと思いました。出版社からも「ストーリー漫画家だけの団体を、任意団体でいいからつくったら出版社は協力する」と言われて、石ノ森章太郎さんと2人で駆けずり回って、とにかく任意団体をつくりました。ところが、作ったら、出版社はあまり喜んでくれなかった。最初は、任意団体をつくったら、出版社のお金で事務所も借りてやる、事務員も出すという話だったんですが、だめになってしまった。漫画家が集まって情報交換すると言うだけでだめなのです。
私たちは、ほんとうに世間知らずなんです。マンガは、世間知らずでもできる仕事なんです。感性と情熱、ドラマをつくって、子供たちに見てもらうという気持ちがあればできます。できないのは、世間的なことと、金銭の計算です。そのときも石ノ森章太郎さんと、「つくった。これでストーリーマンガに関する窓口もできるし、何かアジアの漫画家たちと一緒になって何かできる」と喜びました。表現の自由でもめた時、窓口がなくて大変だったんです。つくったのは「マンガジャパン」という団体です。「つくりました。ついては、部屋を借りてください」と言ったら、出版社にそっぽを向かれてしまって、困ったと思いました。何か出版社側が考えていた形とは違っていたようなので、こちらもうかつでした。世間知らずの漫画家がすることですから、大目に見てくれればいいのに見てくれなかった。
アジアの漫画家たちと、「一緒に、合同で展示会をやろう」と言ったときに、みんなに「日本はマンガ先進国なのだから、日本が音頭を取ってやってほしい」と言われて、「やりましょう」と言いました。ところが、どこからも援助が得られない。お金がいかに大切かを痛感しました。他の国では、国がお金を出して漫画家を育てようとしている。日本では、そういうことはないし、頼みの綱の出版社からも何もでない。
そこで、いろいろ行脚をしました結果、1996年に「東アジア漫画サミット」を立ち上げました。なぜ「東アジア漫画サミット」となったか。漫画サミットは冗談でつけたんです。立ち上げるときに、出版社、広告代理店など、いろいろなところにお願いし、集まっていただいて、これからマンガは、人類共通の財産になるし、日本にとっては大切な文化資産だと説明しました。マンガは、どこの国の人が描こうが、性別、年齢、バックボーン、全く読者に関係ないものです。作品だけ見ていれば、実は日本人ではない人が描いていても、分からないわけです。公平なのです。日本がマンガ先進国、アニメ先進国と言われていますが、公平だからこそ一緒に支え合っていく文化だということで、一緒にやりましょうと提案できる。できれば全世界の漫画家と一緒にやりたいと思っていたのですが、そこまで手が回らないので、「東アジア漫画サミット」と名付けて準備会を立ち上げたのです。準備会は、1994年ごろから、いろいろやっていたわけです。最初は出版社の幹部が来てくれたのですが、いろいろ言われました。「サミットなんて偉そうな名前を付けない方がいい」と言われた。みんなこれで乗っているのだし、漬物サミットなどほかにもあるから、漫画サミットでもいいと思ったのです。とにかく、だめになりました。
お金集めも大変でした。最初、予算は1億4,000万円を予定したのですが、8,000万円しか用意できなかった。そのうち4,000万円は、福島県のいわき市が、「マンガで教育を」と出してくださった。そこで、いわき市で本大会を開くことにし、東京のウェスティンホテルで、最初のシンポジウムを開きました。その後、分科会その他はいわき市に移動してやりました。いわき市が資金を出してくれなかったら、開催できなかった。
そのときは、中国本土と香港、台湾、韓国、日本の漫画家たちが集まった。素晴らしいことだと思いました。政府の対応はいろいろあるにせよ、漫画家の立場からすれば、作品は自由だし、読者に対しても自由であるということで、台湾、香港、中国本土の3者が、その場で一緒になってマンガの未来を語り合う姿には感動しました。日本を舞台に開催できたことが、私たちには大変うれしかった。
香港、台湾、中国の漫画家にとっては、中国の未来についても個人の立場では語り合えるわけです。ただ、中国から漫画家をお呼びする場合、国がお墨付きを与えた漫画家でないとオーケーが出ないので苦労しました。外務省その他にお願いして、準備万端整えたはずが、中国を出国する間際になって、許可が出なかった漫画家が何人かいたということです。その後、漫画サミットは、韓国、ソウル、台北、香港で開かれました。2002年にまた日本で開かれます。その準備に、今、追われています。
ソウル、台北、香港各開催のときも、何か理由があるのでしょうが、出国検査で引っかかる中国の漫画家か必ず出てくる。まず、東アジア5カ国で開催して、年々、タイ、マレーシア、フランス、アメリカからもお呼びできるようになっています。日本以外は、国や地元自治体、出版社がかなりお金を出して盛り上げるわけです。ブックフェアと同時開催みたいな形もありました。
アニメを通じて今や、アメリカでも日本のマンガが受け入れられ、もてはやされるようになりました。突破口は「アキラ」あたりでした。日本に行って漫画家になりたいというアメリカの若者たちも増えてきました。アメリカ式の伝統的なマンガを描いている大御所と言われる人たちや、出版社の人に、「かつてあなたたちは、私たちのマンガを、こんなのコミックではないといったではないか」と聞いたら、「いや、コミックだと言われたから、自分たちの概念のコミックと違う、コミックではないと否定したのです。最初からマンガと言ってくれればよかったのです」と答えるのです。だから、何となく、コミックと分けるという意味で「マンガ」という言葉が、定着しつつあると思います。
話は変わりますが、ラテン系諸国でも、まずテレビのアニメーションから入りました。その原作がマンガなので、原作を読んでみたいというところから、日本のマンガがラテン系諸国に出回るようになりました。やはり、日本で漫画家になりたいという若者も増えてきています。フランスは、フランスの文化庁が資金を出して漫画家を育てようとしています。「漫画家を目指している有望な若手がいますので、日本へ送り出しますから、見てやってくれ」と言われたりするんです。費用は全部国もちです。ところが、ものすごい下手なんです。日本の少女マンガのキャラクターをただ寄せ集めたようなもので、ストーリー表現、コマ表現も未熟ですが、そういう人にも期待してお金を出す。これはすごいなと思います。日本は相変わらず何も出しません。出しませんが、いつまでもこのような状況ではいけないので、自分たちでできるところは、いろいろお願いしたり、口説いたりして、何とかしたいと思っています。
「東アジア漫画サミット」は、去年の香港大会から、「世界漫画サミット」となったんです。香港の場合、ビジネスできますので、去年のテーマは「ITとマンガ」。これがどうビジネスに結びつくかがテーマでしたが、どこの国の漫画家も、一番掲げたいのは、表現の自由なのです。表現については、いろいろ制約のある国が多いのです。日本が羨ましがられる。日本は、何を描いても牢屋にぶち込まれることはない。世間のひんしゅくを買うことはあっても、そのために、刑務所に入れられることはない。それが羨ましいというのです。
発表の場が少なくなる心配
韓国からも、それが羨ましいと言われるのです。そういうとき、「日本で、どうして表現の自由、出版の自由、報道の自由、集会の自由、信教の自由、こういうことが大事だと思われているかは、やはり過去の経験からくるものです」と必ず申し上げるのです。そして、韓国とのいろんな関係においても、「過去に日本人がいかに、表現の自由、出版の自由がなかったために、情報不足で、いろいろなことに突き進んでしまった。その苦さというものがあるから、国のやることがすべてオープンになるように、また私たち庶民も好きな意見が言えるように、そのことで、あの苦い体験と引きかえに得た大切な権利なのです。だから二度と、周りの国に迷惑をかけないためにも、私たちは、これを守らなければいけない。そのかわり、政府から援助はもらっていない。そこが他の国の皆さんと違うところです」、と言うわけです。彼らは、「我が国はひどい、表現の自由を認めてくれない、出版の自由を認めてくれない」と言っている同じ講演者が、今年は国からいくらいただきましたなどと言っているわけです。本当に覚悟して自由に表現したいのであれば、自らの力で生きてゆく、それを目指さなければいけないのではないかと個人的には思います、といつも申し上げるのです。
中国は、実は漫画サミットを開きたいのです。でも、中国のマンガ事情はまだ、未成熟です。国のお墨付きで、学校にマンガコースをつくりました。でも、国の意向に沿ったものしか描けない。中国の若者たちは、やはり山ほど出ている海賊版を読んでいます。中国の海賊版は、これまで見た海賊版の中でもベトナムと並んでひどいという感じです。ぺらぺらの紙で奥付けも何もない。これが堂々と出回っている。それを見て描く若者たちがいますが、発表の場は少ない。2001年春の情報ですが、マンガ単行本で最大のヒット作が、発行部数7万部だそうです。あの人口を考えると、まだまだこれからかと思います。
漫画家志望の若い人たちを指導しに、私達は手弁当で行くわけです。中国には約13億の人口がいる。多くの若者たちがマンガを通じて共有のキャラクターを持てたり、共有の感動を持てたりするといいなと思うものですから、行くわけです。若い人たちの熱気は素晴らしい。できれば日本で描きたいと、夢をかけている。この人たち、アメリカもヨーロッパもそうですが、日本で漫画家になって成功したら、大金持ちになれると誤解しているようです。「それはごく一部の人です」と言うのですが、マンガの発行部数の多さが、憧れの的なんです。野球選手がアメリカのメジャーで勝負したいのと同じように、日本で漫画家になりたい若者たちの潜在的な人口はものすごくたくさんいると思います。これまで、例えば、国際交流基金で、そういう人たちのお手伝いをすることはできましたが、海外の若者を受け入れたり、あるいは一緒に何かやるときの窓口として、公の機関でどこか機能するところがないのが、とても寂しいと思います。
中国は、そういう事情で、一回パスし、2002年、漫画サミットを日本で開くことになりました。各出版社にもご協力いただきたいので、お互いに共通の、利害が一致するテーマ「著作権」になりました。各出版社の協力も得られそうです。出版社の協力を得られないと若手の、今とても売れている人達の意見を聞きたいと思っているアジアの多くの人たちに紹介できないのです。
出版社、編集部によって、いろいろ事情がありますが、日本のマンガ事情は、専属作家の場合は外部との接触はすべて編集部を通じてしかできない。漫画サミットは、マンガ文化のためとはいいながら、売り上げに貢献するわけでもないし、出版社がもうかるわけでもない。漫画家の仕事がはかどるわけでもないから、協力しない方がいいという声もまだまだあります。ですから、今一番売れている若手に協力してもらうためには、出版社の協力を得なければいけない。そういう特殊事情を抱えた世界です。
しかし、出版社、流通、漫画家、そして読者にとっても、マンガ文化がこれから先、どういう形で継承されていけばいいのかは、そろそろ本気で考えていかなければいけない。一部の漫画家と一部の読者、そして一部の出版関係の人たちは、戦後のマンガの歴史だけでも、全データをきちんと、広く、だれでもが見られるようにしなければいけないと思っています。そのデータはイコール財産なわけです。それでは作品を紹介するかというと、ただで見せるのはいかがなものかという意見が出てきて、なかなか実現しない。世界各国から日本のマンガ情報が欲しい、この作者、この作品について情報が欲しい、あるいはこのテーマについての情報が欲しいと言われるたびに、個人として対応してきたわけです。でも、疲れ果ててカバーしきれません。仕事を放り出しても、カバーしきれない。仕方がない、誰かがやらなければと思ってやってきましたが、疲れもありますので、何とかみんなを巻き込んで、きちんとした形にしたいと思っています。
金大中大統領の文書がありますが、以前から韓国はマンガに、国の予算をかなりつぎ込んでいる伝統があるのです。5年くらい前、ディズニーのキャラクターに匹敵するキャラクターを、みんなで頑張って、来年中に5つつくれと、国からお達しがきたというのです。それは乱暴な話で、みんな頑張ってつくるけど、ものになるかなと、韓国の漫画家も言っていました。キャラクターは、つくろうと思ってつくれるのではなく、作者の持っているエネルギーとか思いとかが、うまく造形と合致したときに、読者の心を打つキャラクターがつくれるわけです。そして、読者の反応と一緒になって育っていく。何が当たるか分からないので、簡単に言えば、たくさん出すことだと思います。ただ、たくさん提出できる発表の場が必要なです。
日本は幸い、戦後、どんどんマンガ出版が発展してきましたので、作品発表の場が多いわけです。ですから、多くの才能が育ってきた。売れる本の中ででしたら、時々、思ってもみない冒険もできるわけです。この作品が当たらなくても、この本の売れ行きには影響しないだろうと踏むと、かなりの冒険ができる。ですから、一つの雑誌に関わる漫画家が何10人もいるわけです。圧倒的に売れている作品が何本かあると、しばらくその雑誌は大丈夫ですから、そのときは、当たらないかもしれないが、思い切ってここで冒険をしてみようということもできたわけです。その結果、思わぬヒット作が出たり、すばらしいキャラクターが出たりしたこともあるわけです。
昨今の出版不況で、日本マンガ界に影響を及ぼすものが何かあるかもしれません。つまり発行部数が減ることです。それには、流通の問題もあります。読者にとっては、安いお金で、本が手に入る方がいいわけですから、今、はやりの新古書店に行って買うわけです。これは法律を侵しているわけでもないので、いかんともしがたい。読者にとっても、安いほうがうれしいだろうと思います。そういうところで売れるものですから、単行本の初版発行部数は何とか維持しても、重版はなかなかできない。初版何百万部とか、圧倒的に売れるマンガ本があると、それ一作で、その出版社のほかのもうからない分野を支えていたことがあるわけです。それができなくなってきますと、先行きは、ちょっと覚悟してかからなければいけないと思います。マンガ業界に身を置いている者としては、若い人たちの出番が少なくなるとまずいと思います。
若い人は、常識でははかり知れない感性を持った人もいるわけです。それは、若い、熱いうちに読者の目にさらさないと、覚醒しない場合があるのです。技術その他はともかくとして、若さゆえの感性を刺激するには、読者の目に触れさせることが大事です。ところが、発表の場が、この出版不況で少なくなってくるとしたら、別の手を考えなければいけないと思います。
今後のIT関連のものは、どうなっていくか分かりません。インターネット上で見せると言いましても、お金になるのかどうかも分かりませんし、大変危ない面もはらんでいると思います。しかし、何らかの形で、当たるかどうか分からない作品を、紙媒体ではない形ででも、いろいろ出していくことは必要でしょう。また、スポンサー探しも大変です。これまでずっと安定していた日本の出版・流通が、見直さざるを得ない時期に来ている。この山、谷を越えて、流通の仕組み、出版のシステムが生まれ変わって、より近代的なものになれば、将来のためにはいいと、希望を持ちたいと思います。
韓国は、IT関連でも、国土全体が整備されるまでは、国がどんどんお金を出しているわけです。ですから、2000年いっぱいまでは、雨後の竹の子のように、IT関連のベンチャー企業が立ち上がりました。多くの企業が、マンガをネット上で見せることをしたわけです。韓国のマンガの販売は、基本的にマンガ専門店と、貸本屋が主だったものです。表現の自由問題とかでいろいろありまして、去年末までの段階で、大体どんなマンガでも、発行部数イコール貸本屋の数、1万2,000くらいになってしまった。これは、困るわけです。初版が約1万2,000部と見て、これで漫画家は生活しなければならなくなったわけです。これは苦しい。そこへ、インターネット上で見せようと、いろんな業者が、紙媒体のマンガを利用してネット上で見せた。国の援助をいただいてますから、去年までは無料で見放題です。しかも、新作が見られるわけです。漫画家は、ネットの会社と契約をして、印税なり契約金なりをいただいて、これで少しは助かると思っていたのです。しかし、「一度無料で見たものは、特に子供は、次からはお金を出さなくなるので、そんなことをやっては危ない」という声が出ました。2000年の段階で、韓国のどこへ行っても、子供がネット上で新作マンガを見ている。「みんな見ている、よかった。やはりこのやり方がいい」と言う人もいましたが、半分以上の人は、「とんでもない。今無料でしょう。無料だから見ている」と心配していました。2001年春になって、徐々に、無料では見られなくなった途端に、アクセスはものすごく落ち込んで、提供企業がつぶれてしまった。
今やマンガは、日本だけのものではない。日本でヒットした作品は、日を置かずして、世界のあちこちで読まれる。アメリカでもヨーロッパでも翻訳が間に合わなければ、日本語のままで読むという。読みたいがために、日本を勉強するという若者も増えています。
アメリカでブックフェアやアニメフェアを開催すると、アメリカの会社、ヨーロッパの会社、アジア各国の会社は、一生懸命自国のマンガ本を売り込みに、ブースを買い、やって来るわけです。でも、日本は、これだけマンガ出版が活気を帯びていて、宣伝しなくても黙っていても売れるのです。一時期、黒澤明監督の新作映画が注目されたのと同じくらい、世界のマンガファンが、売れっ子の新作を待っているわけです。そういう状況なのに、フェアなどでは小さなブースがあるだけで、係員も少ない。ブックフェア、アニメフェアなのに、日本のマンガ本がここで手に入らないのかと、文句を言われます。日本の場合は、本屋さんで売るのが定着しています。日本人は、その常識を海外へ持ち込みますが、海外では、ブックフェアなどで新作を売ることも多いのです。一般の書籍を扱う本屋さんに、マンガ本が出回ることが、常識としてあまりないところも多いのです。マンガを買うには通信販売、ブックフェア、マンガ専門の小さな本屋、あるいは、キオスクのようなところで買うしかないわけです。
読者の接し方はさまざまですが、今日も、世界中で日本の作品が待たれていることは、確かだと思います。ただし、新作の恐らく10数倍の違法コピー、違法出版が、いまだに出回っていることも間違いないと思います。業者が悪いのか、読者が悪いのか、著作権問題は難しくて、この概念を理解してもらうには時間がかかると思います。
日本も、ディズニーにしっかり教えてもらって育ってきた面があります。ディズニーが、コピーまがいのことをしていることに、つくづくと時の流れを感じます。日本は、そういうことに対して、あまり大きな声で怒らないのですが、ファンは怒ります。「アトランティス」に関しても、「ふしぎの海のナディア」にそっくりではないかとは、ファンたちの間から出てきた声です。
かつての「ライオンキング」が「ジャングル大帝」とそっくりだと見られたときも、私はびびりました。すごくびびりながら、どこに迷惑をかけてもいけないので、個人の名前で責任をとるため、個人として署名を集めました。ただし、ディズニープロ相手に抗議したり、もの申すなんてことは、怖くて怖くて仕方がありませんでした。ディズニープロのように、すごい弁護士を雇うお金もありません。何回生まれ変わっても、ディズニーに太刀打ちできるお金は稼げません。しかも、日本の各業者も、相手がディズニーだと遠慮する。ですから最初から、業者などは当てにしない。個人として、署名を集め、「ジャングル大帝」と似すぎてはいませんか、ともの申しました。あの物知りな手塚治虫が間違えて、アフリカにはいない動物を描いているんです。それが「ライオンキング」で同じように登場します。これは、やはり証拠になる。ご覧になった方は、どれだけ「ジャングル大帝」とそっくりかは、お分かりと思います。もちろん、事前に「迷惑ではないか」と手塚プロに打診しています。手塚プロとしては、迷惑でしょうから、個人がやるのが一番いいと腹を括ってやりました。
結局、4ヵ月ほど仕事が全くできない状態になりました。署名を集めるのと、世界中のメディアがインタビューに来たからです。私に「あれは、盗作ですか」と聞いて、「盗作だ」と言わせたいのです。それを言って、もし裁判になったら私は、ディズニープロにはかないません。でも、「似ていてもいいのです。しかし、「手塚治虫に敬意を表する」程度の一言は言ってほしかったと思います」ともの申しました。ファンからは「手塚治虫なんて聞いたこともない。「ジャングル大帝」なんて見たこともない」と言われました。
ただ、途中で疲れ果てて、無力に感じたのは、「あれは、誰が見ても真似ではないか」ということが、個人レベルでしか、取り上げてもらえなかったことです。
ハリウッド映画のキャラクター、ハリウッド映画に出てくるいろいろな造形を、どれだけ日本のマンガから取っているか。いっぱいあります。その都度、泣き寝入りだったのです。逆に言えば、日本には、魅力的なキャラクター(素材)が文化財産としてたくさんあるということです。真似されて、「ああ、日本は真似されるようになったのだ」と思う一方で、真似を指摘しなければ、それを許したことになります。日本人はまだまだ、著作権という面に関しては、シビアではないと思います。これからは、もう少ししっかりしてもいいのではないかと思います。今回の「ふしぎの海のナディア」も何らかの形で、誰かが指摘してくれないかと、勝手に思っています。
浜野 ディズニーは弁護士を数100人くらい抱えています。
里中 「ライオンキング」のとき聞いたのですが、ディズニーは「こう指摘されたら、こう反論する」と、シミュレーションしているそうです。そのうえで、勝てると判断すると、制作に入るわけです。
鷺巣 手塚治虫を尊敬するあまり、里中先生はそういう行動をとったと思います。手塚治虫がディズニーを尊敬していて、「ファンタジア」を8回も見た。手塚治虫は亡くなりましたが、手塚プロの松谷社長は、手塚治虫がディズニーを大変、尊敬しているのだから、真似されても本望ではないかみたいなことを言っている。里中先生が、あれだけ頑張ったのに、拍子抜けするのではないか、と思いました。
公共のマンガ博物館が欲しい
里中 松谷社長には、私が文面を考える前に真っ先に相談しました。あれが真似だとして、手塚治虫が生きていたら、確かに喜ぶと思うのです。ただ、ディズニー側が、「手塚治虫なんて知らない。「ジャングル大帝」なんて作品は、見たことも聞いたこともない」と言ったのです。「ジャングル大帝」は、アメリカでテレビ放映されていた。にもかかわらず、「そんな作品は知らない」と言った。これは手塚治虫に対して失礼だと思うので、「手塚治虫を知っている。敬意を表する」と言ってほしいという、ディズニープロヘのお願いだけでした。
私は「大変、似通ってはいるが、これは偶然の一致かもしれません」とまで言いました。後から「ジャングル大帝」を読んで、「ライオンキング」の真似だと思った子供が、アメリカにいたのです。これだけは避けなければいけないと思いました。「手塚治虫なんて知らない。「ジャングル大帝」なんて見たことない」ということを、撤回していただきたい。当然、アニメに携わる人だったら、全米で放映された作品は知っているはずで、敬意を表するくらい言ってほしいということだったのです。
だから、「こういう文面でディズニープロにもの申したいのですが、手塚プロの方はどうですか」と、松谷さんにお伺いしました。「手塚プロとしては、そういうことはできない」というご返事でした。ただ、このまま放っておくと、ファンから、「手塚プロは何をやっている、抗議しないのか」という声がすごく出てきているので、個人として行動したのです。
我が国が生んだキャラクター、我が国が生み出した作品で、日本人はもっと胸を張って誇りに思っていい作品が山ほどあるのです。「これは何だ!」というような、そっくりな造形が、ハリウッド映画にたくさん見られる。ハリウッドの関係者が、「危ないかな?」と思っても、日本人は結局、何も文句を言ってこないだろうとたかをくくって使う。どうもなめられているなと、みんなで思ったことがあります、現在、健康でぴんぴんしている、ある作者の描いた造形にそっくりなものが画面に出てきて、ハリウッドの映画会社に抗議しても、逆に、こちらがこてんぱんにやられる。とても太刀打ちできない。あちらに勝てるほどの弁護士は、いくらお金を出しても、日本にはいないだろうと、みんなあきらめてしまうのです。
岸本 こういうことは続きますから、裁判にかけるべきです。裁判地を東京にすればいいのです。アメリカで裁判したら、陪審員制ですから120%負けます。日本の裁判所は少し時間がかかりますが、裁判地を日本にすれば、多分勝てるケースです。これからは、すべて裁判を起こすべきだと思います。経済産業省は、そういう問題をお手伝いすべきではないかと思っています。
里中 マンガが日本経済に与える影響も大変、大きいものがあると思うのです。これから先、世界の若者たちが、日本のマンガ、アニメの世界でどれだけ頑張りたいと思っているか。これはひいては、日本にとっても利益になると思うのです。これまで、垂れ流しだった日本の著作権、これをきちんと整備することによって、プライドと経済のコンビで、実りが期待できると思いますが、どう行動したらいいか分からないのです。こういうことがあったときに、対応できるきちんとした相談窓口をつくらなければいけない。その上で、その相談窓口に、問題を持ち込まなければいけない。何でもすべて持ち込むと大変なので、きちんと方向を決め、整理した上で持ち込めるように、あるいはきちんと日本で裁判を起こせるように、そういう組織なり窓口が、ほんとうに必要だと思います。
岸本 日本は基本的に民度が高い国です。それから、タックスマネーは必ず腐敗します。タックスマネーをもらっている産業は、すべて滅びます。日本で言えば、建設業。単価が、民間の2倍も3倍もする、ぬるま湯に50年もつかっていた結果として、完全に国際競争力を失っています。それから、ソフトウエア。これは今カードも入れて、政府調達が約2兆円あります。これも、今後、内外価格差調査をする予定ですが、単価は相当高くなっていると想像されます。ある会社が東京都のシステムを750円で入札して、落札しています。予算は単年度主義ですから、初年度を750円で押さえておいて、次年度から随意契約で元をとるという、非常に不透明なビジネスモデルができているのです。
マンガやアニメがこれまで世界で一番強かったのは、政府が一切お金を出してないからです。ただ、コンテンツは、映画も含めて、人材を育てるには場数が必要です。今、韓国が1年か2年、お金を出し、制作の場を与え、プロデューサーを育て、シナリオライターを育てたりすることには意味があるかもしれません。
ところが、3〜4年も経つと、タックスマネーは腐敗しますから、多分だめになると思います。フランス映画が壊滅したのは、そのためです。フランス政府が、監督のギャラまで出すようになってから、フランス映画は不調になりました。
そういう意味では、政府がやるべきことは、タックスマネーを出すようなことではなくて、例えば、漫画家を集めた何らかの運動をするときなどに、法人化のお手伝いをさせていただくなどで協力することだと思うのです。
著作権の問題については、本腰を入れて、相手に何100人の弁護士がいようとも闘う姿勢を見せないと、アメリカになめられると思います。
里中 日本を外国の人が見たら、アメリカに真似されたら喜ぶ国と思います。マゾヒスティックな、変な国だということになります。
私たちは、自らの制作にかかわる活動資金などは、表現の自由の問題もありますから、自分の責任で、食べていこうといけまいと、自分で賄うべきだと思います。だから、マンガそのものの制作費の問題ではありません。例えば、国の文化財産として保存しておかなければいけないもの、きちんと整理しなければいけない情報、過去すべてのマンガ作品のデータなどを、きちんと取り扱う窓口なり、場所なりが欲しいのです。
本当の夢は、公のマンガ博物館が欲しいことです。ヨーロッパにいくつかモデルがあります。もちろん、絵も見せます。著名な漫画家の仕事場の再現もあり、データをそこで、全部手に入れられます。そして、自由に使える部屋があります。
海外から、マンガ関連のお客様が来たときに、そこで会議、接待ができる博物館、美術館兼サロン風で、データベースも持っているものが、ベルギーやフランスにあるわけです。せめてそういうのが欲しいということです。
作品を全部データにして、公開する場合、作品を無料で見せてしまうと、作者に印税が入らない、版元にも入らない。得られるはずだった権利が損なわれるという問題があって、閲覧は難しいかもしれません。しかし、ある条件をつけて、マンガに関してだったら、どんなことにでも答えられるようなシステム、できれば場所が欲しい。場所がないなら、せめてデータベース上の、バーチャルな博物館でもいいのです。
それは、公的機関がつくるべきです。大手の出版社でも、それなりの事情があるわけです。何かあったときに、必ず、大手出版社3社が相談する。3社がオーケーとなったら、他の5社もオーケーになるという状態です。しかし、3社のうち、どこかが利益に合わないことがあると、企画が通らないということもあるのです。
どこかが、「うちの作品は一切、公開するデータベース上には載せられない」と言い出したら流れてしまう話なのです。我が国の文化だというスタンスで国としてやっていただくしかないと思っているのです。
それも、どこにお願いすればいいのか分からないのです。文化庁に聞くと、「うちは予算がない。経済産業省に頼めばいい」と言うんです。「経済産業省のどの部門ですか」と聞くと、「とにかく経済産業省でオーケーできることです」と返事が戻ってくるだけです。
ところが、文化庁に話を通してしまうと、「一旦、文化庁で受け付けたら経済産業省には持っていけない」と言われる。よく分からない。
岸本 窓口は、経済産業省です。例えば、「デジタルアーカイブ」みたいなスキームで、全部デジタル化するなど、少しひねれば、お手伝いできそうな気もします。
進まないデータ(財産)の保存
里中 デジタル化して作品を紹介する場合、中のコマはともかく単行本の表紙だけは著作権を省いてオーケーだということで、了解されている。でも、売れた作品や有名作品、何度も単行本や文庫、DVDになった作品などはいいのです。しかし、戦後の日本マンガ発展の中で、生涯にたった一作しか描かなかった人もいるのです。そういう人の作品は、もう消えてしまう運命にあります。しかも、有名作家の作品でも短編、受けなかった作品、何度も繰り返し単行本化されない作品は、消えてしまうのです。
ご本人が亡くなった場合、ほとんどの作品が遺族の手にゆだねられます。ご遺族に興味がない場合、原稿はゴミとして捨てられる場合もあります。あるいは、夫婦仲が悪かった場合、このときとばかりに燃やされることもあります。また、全く、ご本人が無関心で、どこへしまったか分からない場合もあります。製版所、印刷所から返ってこないままの原稿もあります。中には、どこかで、誰かが抜いて、マニアに売り飛ばすということもあるわけです。いろんな形で、元原稿が紛失しますと、印刷物も残っていない場合もありますので完全に消えてしまう。ただ、唯一の頼みは、古いものでは出版社に合本が残っていることと、近年の作品はデータを取っていただいているだろうということです。
データ化などは国で手がけていただかないと、実現することではない。こうしている間にも、作者はどんどんお亡くなりになり、原稿は切り刻まれたり、売り飛ばされたりしていく。だからあせっているのです。
西村 集英社でも、古いものは、なかなか見つからない。バックナンバーにしてもそうです。戦後初期ぐらいの作品は、なかなか探しても見つからない。ある時期からは国会図書館に寄贈することになりましたから、ある程度は国会図書館に保管してもらえているでしょう。
里中 国会図書館には、期待していたのです。自分の作品だったらよく分かるので、全部入っているかどうかチェックしてみたら、ダブって入っていたりして、全作品の20分の1くらいしか保管されていませんでした。
今、期待しているのは、同世代の漫画家や関係する人で、古い作品を大事に保存してくれている人です。私も、自分の持っている作品は絶対手放さずに、将来のために資料として置いておこうと思います。出版社に保管されていない本も結構、あります。昭和30年代前半くらいの単行本や雑誌とか、自分の好きだった作品を保存しているのです。時々、母が、「どこかに売ってしまうよ」と言いますが、阻止しています。このように、家族が勝手に売るということもあります。
西村 ちばてつやさんのお父さんは、もう2度と使うことはないと思って、ファンの人が来たとき、サインする暇がないことを理由に、元原稿を渡していた時期がありました。
里中 先生自身も、渡していた時期があるんです。
西村 再発行するときに、雑誌からトレースして、新たな原稿にした場合もありました。ですから、当時の元原稿は、紛失しているケースが相当多いと思います。
里中 時々、作者のもとに、その作者自身の元原稿を買わないかなどという話がきたりします。最近は、そういうものを買い取ってくれるところもあります。
作者が納得してあげてしまったものもあります。中には、原稿が返ってこないこともあります。漫画家が怒っている情報はよく入ってきます。それによりますと、ひどいなと思ったのは、売りに出るはずのない原稿、出版社から返ってきていない原稿が売りに出ていたことです。売りに来た人の住所、身分証明書を控えたら、全く知らない人だった。その身分証明書の人の子供をたどって行ったら、その子のおじさんが出版社の編集者だった。自分で売りにいくとまずいから、おいに持って行かせた。ギャンブルに負けたか何かでお金が必要になったことが原因だったということがありました。
鷺巣 「まんだらけ」や、手塚、石ノ森、横山各先生の原稿も、何10万円という値段で売っています。最近はテレビの「なんでも鑑定団」があるせいか、出版社は割と原稿保存がよくなりました。
里中 本来は、作者の元に、速やかに返すことになっているのです。それが、なかなか返ってこないうえに、だれも責任を取らない。製版所、印刷所も、返したと言うわけです。笑ってしまうのは、編集者が定年退職か異動になったとき、自分のロッカーを掃除したら出てきましたというケースがありました。誰かが、探しても見つからないと言うので、「私が自分で探しますから、倉庫に入れてください」と、倉庫に入った途端に出てきたこともあります。そういうことを繰り返していくと、現場の担当者も注意してくれると思うのですが、現場の担当者の意識によっても違います。
西村 今、出版社が元原稿を紛失した場合は、原稿料の20倍を弁償することになっています。
鷺巣 小島功先生の原稿を失くしたと、編集者が謝りにきた。そうしたら、小島先生から「原稿料が、例えば、1枚10万円として20倍の弁償」と言われたため、びっくりして1日5人くらいで夢の島に行って探してきました。
里中 これまでは、編集者が失くしたという証拠がない限り、うちの責任ではないと逃げられていた。認めていただける場合はいいのですが、製版所が悪い、印刷所が悪いと逃げ、また、返しました、ときっぱり言われるときもあります。
西村 それは、著作権と同じで、権利の問題です。原稿の授受は、編集者と出版社と漫画家の間の契約です。そこから先は、印刷所とか製版所、出版社との問題です。もし、本当に失くしてしまったら、それで済むことではないのだが、出版社が漫画家に謝罪すべきですし、印刷所に対して別途に責任を問うべきです。泣き寝入りする筋ではないと思います。
里中 最近は、なるべく、若い人たちにも、まず原稿を渡すときに、「何月何日に、何ぺージ渡した」と、担当者にサインしてもらいなさいと言います。返ってきたときに、きちんとチェックを入れておく。面倒ですが、チェックを入れておくだけで、原稿が返ってきたかどうか分かります。編集者からは、うるさい、余計な知恵をつけるなと怒られてしまいます。
岸本 マンガ博物館については勉強させていただきたいと思います。今、出版も担当していますが、コミックの新刊本の場合、新古書店とマンガ喫茶があるためか、この4年間の売り上げは、前年比でずっと下落が続いています。作家の立場から見て、新古書店やマンガ喫茶は、どう感じていますか。
里中 新古書店が法律違反でない限り、こちらが正義の立場には立てないわけです。法整備をどうするかの問題です。ところが、中古品にも著作権が発生するとなると、出版だけではなく全業界を巻き込みます。デザインだって、全部著作権が発生するとすれば、困ったことになります。新古書店に関しては、確かに、せっぱ詰まった問題で、本が売れなくなって困っている漫画家は、たくさんいます。大いに売れている方は、納める税金が少なくなるぐらいでいいかもしれませんが、もう廃業せざるを得ないとか、本当に困っている人は増えているのです。
ただ、法律を侵していないものに抗議するのも難しい。しかし、マンガ喫茶に関しては別です。レンタルという考え方であれば、音楽や映画で発売からしばらくの間、レンタルに出さないとかいろいろ制約ができました。あのときに、書籍は省かれてしまいました。今、とりあえず法整備が何とかできるかなと思っているのが、マンガ喫茶と図書館です。私は文化庁の著作権審議会に入っているものですから、そちらで成り行きを見ています。新古書店に関しては、本当に困ったことに、今のところ、相手のどこをどう突ついても、法律を侵してないように思うのです。もちろん、マンガ喫茶も図書館も、法律を侵しているわけではないのですが、CD並みに何とかしていただきたいと思います。
鷺巣 ちばてつや先生や、さいとうたかを先生が、新古書店問題で一生懸命に動いています。ちば先生は、「我々も重版による印税で生活している。新古書店は、一冊の本がエンドレスで読者の間を行ったり来たりしている。某漫画家が新古書店のCMに出ているなんてとんでもない」と怒っています。法的には、古本屋のライセンスだから、仕方がないわけです。
里中 昔から、いわゆる古本屋文化というものもあるので、そちらの首も絞めてはいけない。だから、新古書店は、本当にうまいところを突いた商売だと思います。
漫画家がどうして苦しくなったか。一昔、二昔前は、原稿料だけで生活できたのです。ぺージ単価で原稿料を見ますと、十分な生活ができるお金でした。連載を一本持っていれば家も建てられた。ところが、物価とスライドせず、原稿料は、割と安いままで来ている。それでも成り立っていたのは、単行本が出回るようになり、それがどんどん売れるようになったからです。出版社も、本来なら原価割れの値段で雑誌を売っているわけです。その雑誌で描かれた作品が単行本になったら、その編集部で採算がとれますので、そのもうけを組み入れて雑誌をつくるわけです。かなり安い、大サービスの雑誌が出回るわけです。
日下 韓国政府は、お金を出して、口を出さないのですか。
里中 口を出します。漫画家たちにとっては、表現の問題で口出しされて刑務所行きという話もあるのです。補助金をもらってなくてもそうです。
日下 本は全部そろえてくれるなど、政府がお金を出してくれるわけでしょう?
里中 日本のマンガを買うお金は政府から出ます。その他、いろいろな必要経費についても出ます。
日下 制作費を出す際に、内容に関係することにも口出しをするのですか。
里中 倫理基準のようなものがあって、表現の自由が全面的に認められていないわけです。あと、政府を攻撃するようなものは、告発されるのです。国から告訴されて、有罪判決を受けて、執行猶予付きとか、そういうのはあります。
ですから、制作に補助金をもらうことは、余りないようです。ただ、団体としての活動、自分たちが資料を買うお金、あるいはキャラクターをつくったときに、それを国が買いあげるなどのお金の入り方はあります。あるいは海外にマンガ研修に行くときに、国からお金が出たり、サミットなど開くときに、お金が出たりということです。
日下 口を出すか出さないか、あるいは気持ちを忖度して自主規制するとか、そういう弊害はあるのですか。補助金をもらったとき、加わってくるものは何ですか。
里中 マンガ活動全体に対して、規制はかかっています。それは韓国だけでなく、中国はもっとあります。
日下 お金をもらうと、協会の役員にはお役所の人が来るとか、その人は頭がかちかちだとかという問題はどうですか。
里中 協会の役員は漫画家です。表現の自由はマンガだけの問題ではなくて、ほかの分野全般にわたっているようです。日本の戦時下とまでは言いませんが、検閲のような感じです。
ただ、検閲のようなものがあると、それに抵抗しようというエネルギーが湧くものですから、かえってよい作品が生まれることもあるのです。
でも、活動にお金をいただくと、いただいて当たり前というか、生活の安定が後ろにあると、やはりよくないと思います。どこかで、怠け心が出てしまうと思います。そうなると、旧態依然の表現で終わってしまうのです。
浜野 「ライオンキング」がまかり通ったから、今回、「ふしぎの海のナディア」もあった。「バグズライフ」のストーリーは、黒澤さんの「七人の侍」そっくりです。だから、黒澤久雄さんが少し「似てる」と言ったとたん、本社の副社長が資料を持ってとんで来たということです。あのときに強く押さなかったから、露骨に「バグズライフ」や「アトランティス」を作ったと思います。