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3.1 客船
3.1.1 洞爺丸等青函連絡船の海難
 「洞爺丸等の転覆事件に関する実験的研究」1)に基づいて、洞爺丸等青函連絡船の海難の概要とその原因究明及びその後の対策について記す。
 
【海難発生状況】
 昭和29年9月26日、早朝鹿児島湾に上陸した台風15号は時速70〜90kmで北東に進み、8時に烏取北方で日本海にでた。その後、発達しつつ日本海を時速100km余の猛スピードで北上し、15時には青森の西方海上北緯41度、東経138.2度に達し、中心示度960mbとなった。そのころから速度が低下し、40〜50kmで北東乃至北北東に向かい、18時に奥尻島付近を通過し、27日3時に稚内南方35kmの地点以上陸、宗谷地方を北東に横切りオホーツク海に入った(図3.1.1)。
 
図3.1.1 台風15号の経路
(出典:本文記載の参考文献1「洞爺丸の転覆事件に関する実験的研究」)
 
 その間、26日の夜半18時頃から24時直前に掛けて、函館港内外で青函連絡船洞爺丸はじめ7隻の連絡船が暴風の直撃を受け、うち5隻(洞爺丸、十勝丸、日高丸、北見丸、第11青函丸)が転覆し、合計1446人の乗員乗客が死亡・行方不明となった(大雪丸と第12青函丸は難を免れた)(図3.1.2)。
 
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図3.1.2 函館港における各船の行動
(出典:本文記載の参考文献1「洞爺丸の転覆事件に関する実験的研究」)
 
(1) 洞爺丸(表3.1.1)
 9月26日18時39分、旅客1198人、乗員133人、郵便物171個、車両12(ボギー車4、貨車8、重量合計約313t)を積載し、函館桟橋を離れ青森に向うが、風波が意外に強く、19時01分、防波堤灯台から真方位300度、0.85海里に右舷投錨8節、左舷投錨7節とし、主機を動かして船位の保持に努めた。19時30分頃から車両甲板船尾開口から海水打込みが始まり、20時頃から風特に猛烈になり徐々に走錨し始めた。浸水が激しくなり、ポンプや主機が使用不能となり、船体傾斜は40度に達し、22時26分頃、函館港第三防砂提灯柱から真方位267度、0.8海里、距岸約0.5海里、水深12.4mの底質砂に船底を軽く底触し、その後数回繰返した後、前部3等客室右舷側入口から海水が滝の様に奔入した。22時43分頃主発電機が停止し、消灯した。その2分後、函館港防波堤灯台から真方位337度、2500mの地点において海岸線にほぼ平行に右舷側に転覆、旅客1084人と乗員88人が死亡又は行方不明となった。
表3.1.1 洞爺丸の海難経緯
概略時刻 状況
18時39分 9月26日18時39分、旅客1198人、乗員133人、郵便物171個,事両12(ポギー車4、貨車8、重量合計約313t)を積載し、函館桟橋を離れ青森に向う。
18時55分 函館港防波堤灯台通過、風波意外に強く、投錨用意下令、前進を続ける。
19時01分 防波堤灯台から真方位300度、0.85海里に右舷投錨、錨鎖6節。錨効かず左舷投錨、左7節右8節とし、主磯を動かして船位の保持に努める。風はほぼ南南西約25m/sec、その後風は南西に偏向しつつ勢いを増す。
19時30分 車両甲板船尾開口から海水打込みが始まる。甲板部員は車両緊締具の増締めと開ロ蓋閉鎖を確認し、甲板排水孔の疎通に当る。
20時00分 風勢特に猛烈になり徐々に走残し始める。
20時05分 機械室逃出ロ周縁から海水が断続的に激しいタ立のように侵入し、漸次浸水が増大する。
20時15分 缶室逃出ロ周辺から海水断続的に侵入する。
20時25分 石炭取出ロから海水諸共石炭が缶室へ流出。
20時30分 下部遊歩甲板左舷角窓ガラス4枚波浪の為破壊し、動揺に伴つて侵入した海水の一部が前部3等客室(車両甲坂下にある)へ断続的に侵入する。
20時40分 突風5m/secに達する。
20時50分 左舷循環水ポンプ電動機浸水停止し、左舷主機使用不能となる。
21時00分 左舷への傾斜増大し、トリミングポンプを操作し傾斜匡正したが、その後再び左舷へ傾斜する。
21時30分 波浪増大、車両甲板への浸水も増し、動揺に伴い流動激しく作業危険となり、作業員同甲板から退避。缶の焚火一段と困難となる。
22時00分 旅客に救命胴衣着用を命ずる。浸水増加の為復原力著しく低下、傾斜益々増大約40度に達し、上部遊歩甲板外縁水没し同甲板下降階段ロから海水奔入。
22時05分 右舷循環水ポン電動機浸水停止、右舷主機使用不能となる。
22時15分 機関部員待避。
22時26分 函館港第三防砂提灯柱から真方位267度、0.8海里、距岸約0.5海里、水深12.4m、底質砂の地点に船底を軽く底触し、その後数回繰返す。前部3等客室右舷側入ロから海水が滝の様に奔入。
22時43分 主発電横停止、消灯。
22時45分 函館港防波堤灯台から真方位337度、2500mの地点において海岸線にほぼ平行に右舷側に転覆,転覆直前積載車両横転、左舷錨鎖切断。
(人命) 旅客1084人、乗員88人死亡又は行方不明。
 
(2) 十勝丸(表3.1.2)
 9月26日14時20分、乗員76人が乗組み、貨車35台(内空車12、重量合計約652t)を積載して青森港鉄道桟橋発函館に向った。18時50分、函館に着いたが、風強く着岸不能として葛登支岬灯台から真方位62度、約3.3海里、水深28mの地点に投錨した。19時30分頃から両舷機を随時使用して船位保持に努めた。19時50分頃船体が右に大きく傾いた時、船橋楼甲板上の排気通風筒から機械室へ海水が打込み、その後、風が強まるとともに走錨し始め、空気口や出入口等から大量に浸水が始まった。横揺は右舷約40度、左舷約28度に達し、浸水量も増大し、ついに、23時42分、右舷側へ転覆・沈没した。58人が死亡及び行方不明となった。
表3.1.2 十勝丸の海難経緯
概略時刻 状況
14時20分 9月26日14時20分、乗員76人乗組み、貨車35(内空車12、重量合計約652t)を積載、青森港鉄道桟橋発函館に向う。
18時50分 風強く着岸不能として葛登支岬灯台から真方位62度、約3.3海里、水深28mの地点に投錨、錨鎖を右8節左4節として仮泊。
19時30分 両舷機を随時使用して船位保持に努める。
19時50分 船体が右に大きく傾いた時船橋楼甲板上の排気通風筒から機械室へ海水が打込む。
20時00分 風勢特に猛烈になり徐々に走錨し始める。缶室へ空気ロ、出入ロ等から大量に浸水始まる。石炭取出ロから海水と共に石炭が缶室へ流出。
20時40分 最初の投錨位置から北東方に約1海里圧流される。動揺甚だしく,横揺は右舷約40度、左舷約28度。
21時00分 車両甲板船尾開ロから侵入した海水は、同甲板中央部にある無蓋車の床上に達する。
21時10分 右舷傾斜を匡正の為トリミングポンプを操作したところ、風波を主として左舷船首寄りに受けていたのに却つて左舷へ債斜、その後傾斜調整の度毎に両舷に交互に20度近く傾斜、ピルジ排水に努めるも浸水量刻々増加。
21時50分 トリミングポンプ操作停止後は右舷だけに傾斜。3、4、5、6号缶中央焚ロ水没、焚火不能となる。
22時00分 2号缶も焚火不能となる(1号缶は休缶)、全員機械室へ退避。
22時15分 潤滑油ポンプ2台とも揚油能力を失う。
22時20分 両舷主機停止。
22時40分 機械室全員退避。
23時36分 右舷側への傾斜急速に増大、車両甲板舷側外板上部の換気ロからも海水奔入。
23時41分 積載車両横転。
23時42分 右舷側へ転覆、沈没位置防波埠灯台から真方位253.5度、1810m、水深20m。
(人命) 乗員58人死亡又は行方不明。
 
(3) 日高丸(表3.1.3)
 9月26日11時20分、貨車43(内空車o、重量合計約888t)を積載して青森港を出発し、函館に向った。14時33分、函館港内に到着したが、東風強吹の為予定の有川鉄道桟橋への係留を取止め、同桟橋沖合に両舷各5節の双錨泊として、乗員77人が交代した。19時30分頃機関を随時使用して守錨に努めた。風力増大に伴い両舷錨鎖各8節としたが、徐々に走錨し、有川桟橋に接近したため、防波堤外へ転錨を決意した。21時45分頃、揚錨を終了し、前進全速で進航したが、函館港防波堤灯台通過後,にわかに波浪猛烈となり船体の動揺が激しくなり、船尾開口から車両甲板への侵入が始まった。22時25分頃、防波堤灯台から磁針方位西0.9海里に右舷投錨した。錨鎖約4節延出した際、左舷船首約50mに船首部船底を水面上に露出して転覆している船を発見した。全速後退し、両舷錨鎮各10節延出して係止し、沈船に接近するのため機関を使用して風に立てるように操船したが成功しなかった。その後風は幾分弱まったが波浪は依然として高く、浸水状況は益々悪化した。20時頃、船体は右舷へ約10度傾斜して動揺し、車両甲板右舷側船尾のブルワークが絶えず海水に覆われ、同舷風上部の換気口からも海水が奔入した。第1、3、5号缶が焚火不能となり、浸水も増加して右舷傾斜増大した。23時35分、総員退避命令が出されたが、23時43分頃、積載車両横転と共に転覆した。56人が死亡及び行方不明となった。
表3.1.3 日高丸の海難経緯
概略時刻 状況
11時20分 9月26日11時20分、貨車43(内空車3、重量合計約888t)を積載、青森発函館に向う。
14時33分 函館港内に到着。東風強吹の為予定の有川鉄道桟橋係留を取止め、同桟橋沖合、防波堤灯台から真方位84度、900mに錨鎖両舷各5節で双錨泊。乗員交代。77人。
19時30分 機関を随時便用して守錨に努める。風力増大に伴い両舷錨鎖各8節とする。その後徐々に走錨し、有川桟橋に接近。船長は防波堤外へ転錫を決意。
21時15分 揚錨に着手。
21時45分 揚錨終了、前進全速で進航。
22時00分 函館港防波堤灯台通過後、にわかに波浪猛烈となり船体の動揺甚だしく、船尾開ロから車両甲板へ海水侵入し始める。
22時10分 機械室及び缶室へ猿烈に浸水始まる。石炭取出ロから海水と共に石炭缶室へ流出。
22時25分 防波堤灯台から磁針方位西0.9海里に右舷投錨。錨鎖約4節延出した際左舷船首約50mに船首部船底を水面上に露出して転覆している船を発見、全速後退し、両舷錨鎖各10節延出して係止。沈船に接近するため機関を使用して風に立てるようにするも操船不能。その後風わずか弱まったが波浪依然高く、浸水状況益々悪化。
23時00分 船体は右舷へ約10度傾斜して動揺。車両甲板右舷側船尾のブルワーク絶えず海水に覆われ、同舷風上部の換気ロからも海水奔入。第1、3、5号缶焚火不能となる。船長は捨錨を下令。
23時20分 缶室全員機械室へ退避。
23時30分 機関使用不能となる。
23時35分 錨鎖庫で錯鎖切断成功。前進全速を発令したが主機既に使用不能。浸水増加して右舷傾斜増大。総員退避下令。
23時43分 積載車両横転と共に転覆。沈没位置函館港防波堤灯台から真方位264度、1530m、水深20m。
(人命) 乗員56人死亡又は行方不明。
 
(4) 北見丸(表3.1.4)
 9月26日15時17分、貨車46(重量合計約1047t)を積載し、乗員76人で函館有川桟橋を離れ、避難の目的で防波堤外へ進航した。15時30分、函館港防波堤灯台から真方位257度、1.2海里、水深20mに右舷錨を投じ錨鎖8節延出して停泊した。18時頃から風は南寄りとなり風勢益々増大し、19時頃から適宜機関を使用して船首を風波に立てるように操船した。風は南から南西へ次第に偏向して愈猛烈となり、19時30分頃、機械室及び缶室に浸水が始まり、排水に努めるもビルジが次第に増加し、20時頃から動揺とビルジの為焚火困難となる。20時20分頃突風48m/secに達し錨泊危険となり、船長ちちゅう(Heave To)を決意。20時45分頃錨鎖捲き始め、21時15分頃錨鎖3節まで捲きつめ両舷機前進全速としちちゅう(Heave To)に移る。縦揺特に著しく、この間船尾開口から車両甲板へ海水が打込む。22時00分頃左舷傾斜増大するのでトリミングタンクで調整したところ右舷に傾き、傾斜次第に増加。第2、4号缶、次いで間もなく第1、3、5号缶焚火不能となる。22時30分頃汽圧下降して発電機停止。傾斜約30度となり危険を感じ機関を停止して機械室全員退避。主機停止により船長は再び錨泊を決意したが、その直後傾斜急速に増大、積載車両横転し、本船右舷側へ転覆した。70人が死亡及び行方不明となった。
表3.1.4 北見丸の海難経緯
概略時刻 状況
15時17分 9月26日15時17分、貨車46(重量合計約1047t)を積載、乗員76人で函館有川桟橋を離れ、避難の目的で防波堤外へ進航。
15時30分 函館港防波堤灯台から真方位257度、1.2海里、水深20mに右舷錨を投じ錨鎖8節延出して停泊。
18時00分 風は南寄りとなり風勢益々増大。
18時40分 機関用意発令。
19時00分 適宜機関を使用して船首を風波に立てるように操船。風は南から南西へ次第に偏向してよう愈猛烈となる。
19時30分 機械室及び缶室に浸水始まり、排水に努めるもピルジ次第に増加。
20時00分 動揺とピルジの為焚火困難となる。
20時20分 突風48m/secに達し錨泊危険となり、船長ちちゅう(HeaveTo)を決意。
20時45分 錨鎖捲き始める。
21時00分 ピルジ増加、焚火一層困薙となり、汽圧低下。
21時15分 錨鎖3節まで捲きつめ両舷機前進全速としちちゅう(HeaveTo)に移る。縦揺特に著しく、この間船尾開ロから車両甲板へ海水打込む。
22時00分 左舷傾斜増大するのでトリミングタンクで調整したところ右舷に傾き、傾斜次第に増加。第2、4号缶、次いで間もなく第1、3、5号缶焚火不能となる。
22時25分 缶室全員機械室へ退避。
22時30分 汽圧下降して発電機停止。傾斜約30度となり危険を感じ機関を停止して機械室全員退避。主機停止により船長は再び錨泊を決意したが、その直後傾斜急速に増大、積載車両横転し、本船は右舷側へ転覆。沈没位置葛登支岬灯台から真方位89度、2900m、水深約50m。
(人命) 乗員70人死亡又は行方不明。
 
(5) 第11青函丸(表3.1.5)
 9月26日13時20分、乗員90人で旅客及び車両を積載し、函館鉄道竣椅を離れ青森に向う。港外に進航するに従い風波増大。13時53分、続航を断念して穴澗岬から引返す。14時48分、再び函館鉄道桟橋に係留、旅客及び駐留軍用ボギー車2両を揚陸、定期就航を見合せたが、前記車両の代りに貨車5を加え、結局貨車45(重量合計約1180t)を積載した。16時02分、荒天避泊のため離岸、防波堤外へ進航した。16時25分、函館港防波堤灯台から真方位245度、2海里、水深約22mに投錨仮泊。20時頃沈没と推定される。全乗員90人は死亡又は行方不明となった。
表3.1.5 第11青函丸の海難経緯
概略時刻 状況
13時20分 9月26日13時20分、乗員90人で旅客及び車両を積載、函館鉄道桟橋を離れ青森に向う。港外に進航するに従い風波増大。
13時53分 続航を断念して穴澗岬から引返す。
14時48分 再び函館鉄道桟橋に係留、旅客及び駐留軍用ボギー車2両を揚陛、定期就航を見合せたが、前記車両の代りに、貨車5を加え、結局貨車45(重量合計約1180t)を積載。
16時02分 荒天避泊のため離岸,防波堤外へ進航。
16時25分 函館港防波堤灯台から真方位245度、2海里、水深約22mに投錨仮泊。
20時00分 20時頃沈没と推定。沈没位置防波堤灯台から真方位257.5度、1785m。全乗員死亡又は行方不明の為詳細不明。その後の調査により,本船船体は缶室のほぼ中央部において切断し、その前部は切断部を海底に突込んで倒立し、後部は更に車軸室中央部において切斬し前部船体から約200m離れた所に覆没しており、結局船体は三分していることが判明した。
(人命) 乗員90人死亡又は行方不明。
 
(6) 大雪丸(表3.1.6)
 9月26日16時55分、青森から函館桟橋に着岸。17時25分、離岸し、17時40分、第29号錨地(防波堤灯台から真方位122度、920m)に投錨した。19時05分「港内輻輳のため港外に転錨予定」と通報があり、19時41分、防波堤中央西約1海里に投錨し、左舷錨9節延出したが走錨し、19時50分、北防波堤へ0.2海里まで接近し、5節まで錨を捲いた。20時23分、最初の投錨位置附近に到り、錨を納めた。21時「葛登支岬灯台から真方位4度、2.8海里の地点でちちゅう(Heave To)中」と通報した。21時50分「操舵機室浸水の為舵不能、機関にて操船中」と通報した。位置は葛萱支岬灯台から真方位149度、3.2海里であった。23時「葛登支岬灯台から真方位190度、5.3海里の地点にてちちゅう(Heave To)中」と通報した。27日0時10分、登支岬灯台から真方位222度。10.2海里に投錨した。人命損失はなかった。
表3.1.6 大雪丸の海難経緯
概略時刻 状況
16時55分 9月26日16時55分、青森から函館桟橋に着岸。
17時25分 離岸沖出し。
17時40分 第29号錨地(防波堤灯台から真方位122度、920m)に投錨。
19時05分 「港内輻輳のため港外に転錨予定」と通報。
19時16分 錨地抜錨。
19時41分 防波堤中央西約1海里に投錨、左舷錯9節延出したが走錨。
19時50分 北防波埠へ0.2海里まで接近、5節まで錨を捲く。
20時23分 最初の投錨位置付近に到り、錨を納める。
21時00分 「葛登支岬灯台から真方位40度、2.8海里の地点でちちゅう(HeaveTo)中」と通報。
21時50分 「操舵壊室浸水の為操舵不能、機関にて操船中」と通報。位置は葛登支岬灯台から真方位149度、3.2海里。
23時00分 「葛登支岬灯台から真方位190度、5.3海里の地点にてちちゅう(HeaveTo)中」と通報。
0時10分 葛登支岬灯台から真方位222度、10.2海里に投錨。
(人命) 全員無事。
 
(7) 第12青函丸(表3.1.7)
 24日1時から第22号錨地(防波堤灯台から真方位146度、1080m)に右舷4節、左舷3節の双錨泊で待機中のところ、9月26日16時45分、附近のエルネスト号が走錨して振れ廻るので危険を感じ右舷錨鎖4.5節、左舷錨鎖3.5節とした。20時10分、エルネスト号が本船船首に益々接近したので、後進全速し走錨し始めた。20時50分「港内にて機関使用、走錨中、異状なし」と通報した。21時35分「港外に沖出し、ちちゅう(Heave To)中、厳戒中、異状なし」と通報した。22時10分防波堤灯台から真方位250度、1.5海里の地点にちちゅう(Heave To)、舵機機関とも異状なし」と通報した。27日5時頃から北見丸、第11青函丸を捜索しつつ、6時30分頃港内に入る。
表3.1.7 第12青函丸の海難経緯
概略時刻 状況
16時45分 24日01時00分から第22号錨地(防波堤灯台から貞方位146度、1080m)に右舷4節左舷3節の双錨泊で待機中のところ、9月26日16時45分、附近のエルネスト号が走錨して振れ廻るので危険を感じ右舷錨鎖4.5節左舷錨鎖3.5節とする。
20時10分 エルネスト号本船船首に益々接近、後進全速、走錨し始める。
20時50分 「港内にて機関使用、走錨中、異状なし」と通報。
21時35分 「港外に沖出しちちゅう(HeaveTo)中、厳戒中、異状なし」と通報。
22時10分 「防波堤灯台から真方位250度、1.5海里の地点にちちゅう(HeaveTo)、舵機機関とも異状なし」と通報。
5時50分 27日、北見丸、第11青函丸を捜素しつつ、6時30分頃港内に入る。
(人命) 全員無事。
 
【海難状況の分析と研究方針】
 各船の遭難経過から次の考察が得られた。
(1) 洞爺丸はかなりの浸水があったにも拘らず、錨が効いて風波に立っている間は転覆せず、岸迄来て横波横風を受けかつ触底してから転覆している。
(2) 洞爺丸は右舷に40〜45度傾いた状態で暫く静止し、その後徐々に傾斜が増して遂に横転している。また車両甲板下にある3等客室の生存者が、海水が階段から滝の様に流れ込んだというのと大体時期が一致していることから、大傾斜によって上部遊歩甲板が水につかり、大量の海水が階段口や非水密の扉、窓等から船内に奔入して遂に復原力を喪失したものと考えられる。
(3) 車両航送船(十勝丸ほか3隻)はいずれも深い所で錨が効き、大体風波に立った状態で転覆している。そして北見丸はトリミングポンプを操作して左舷傾斜を修正中突然反対に右舷へ傾斜したこと及び日高丸は右舷から風波を受けていたにも拘らずなお右舷に傾いて揺れていたことから推して、これらの船はいずれも浸水の為にGMが負になっていたものと考えられる。
(4) 全部の船に共通することは、積載していた貨車が倒れて転覆の原因となったと認められる事実はなく、船が横転する途中かなり大角度傾いたとき初めて貨車が倒れている。
(5) 転覆を免かれた大雪丸及び第12青函丸は、共に車両を積載していなかつたことと機関を動かして風波に向つて航走し続けていたことが他の遭難5船と異なつている。
 
 このような考察に基づいて、次のような研究方針が立てられた。
1) 波浪中で錨泊、ちちゅう(Heave To)あるいは前進しているときに、車両甲板船尾開口から海水が打ち込む機構と状況及び同甲板上に滞留する水の量。
2) 車両甲板上の海水の滞留ならびに機械室及び缶室内の浸水が復原性に及ぼす影響、すなわち各種の想定した浸水状態で横波及び横風を受ける場合に船が耐え得る限界風速。
3) 特に洞爺丸に於て、触底が船の復原性に及ぼす影響。
 
【研究内容】
 遭難5隻のうち、洞爺丸は客載列車航送船で、十勝丸など4隻は列車航送船である。洞爺丸と十勝丸が研究対象船に選ばれた。両船はLBDが113.2mx15.85mx6.8mと全く同じで、満載排水量がわずかに異なる(洞爺丸5285ton、十勝丸5458ton)。
 錨泊時、ちちゅう(Heave To)時、前進時の3状態に関する多数の実験が行われ、次のような結論が得られた。
 
(1) 向波のとき車両甲板へ海水が打込むのは,縦揺により水を掬い上げるためである。滞留量は、波長がほぼ船長に等しいとき最も大きいが、満載状態では波高約4m以上でないと打込まない。永年の間、車両甲板船尾開口からの浸水が問題にならなかつたのは,この様な波に遭遇する機会がなかつたからであろう。
(2) 実験の結果と当時の各般の浸水状況から、当時の波の波長はほぼ船長に近く100m内外、波高は約6mと推定される。
(3) 車両航送専用船では、波周期9砂前後で波高が6mを超えると、船尾開口から車両甲板に打込んだ水の影響が大きくなり、転覆に到る怖れがある。またこの型の各船は転覆前すでに機械室及び缶室内の浸水と車両甲板上の帯留水の為にGMが負となつていたものと推定される。この型が4隻共沖で錨泊し,風波に立つた状態のまま転覆沈没したのは、この事象と密接な関係があるものと思われる。
(4) 暴風に遭遇した場合、通常船を波や風に立てて錨泊又はちちゅう(Heave To)するのが安全と考えられているが、この種の船尾に開口を有する船では寧ろ危険である。
(5) 洞爺丸は車両甲板両側に客室がある為他の4隻に比し復原力はよく、車両搭載区域の幅が狭いので滞留水の影響が少く、同甲板の滞留水と機械室及び缶室の浸水により復原力はかなり減少していたにも拘らず、よく風浪に耐えていたが、七重浜へ吹寄せられ触底するに及び減少していた復原力に止めが刺されたものと見られる。しかも触底の影響は、転覆に加勢する公算が少いことを思うと、不幸な偶然といわねばならない。
 
【研究成果の利用】
 研究成果は、昭和30年代前半の法改正に取り入れられ、客船・フェリーの開口に関する規則や列車の転覆を防止するための船体傾斜の許容度などが追加改正された。以後、日本では扉からの浸水に関連した海難はない。ただし、エストニア号など海外では同様の事故があり、日本でもIMOに呼応して、それまでの研究成果を参照しつつRO/RO船の安全性に関する研究が行われた(次節参照)。
(1) 事故の経緯
 大型クルーズ・フェリー「エストニア」(15,566GT)は、1994年9月27日午後7時過ぎ、803名の乗客と186名の船員及びトレーラーなど合計100台の車を搭載して、スウェーデンのストックホルムに向けてエストニアのタリンを出港した。
 出港時の風速は8〜10m/secであったが、航海とともに風は強まり、深夜O時には20m/secに達し、波高も4mほどになった。エストニアの沿岸を離れると波は厳しさを増したが、船は約14.5ノットの通常時航海速力で航海を続けた。
 28日午前0時45分頃、金属がぶつかり合うような音が船内に響き渡り、1時45分頃、機関制御室の機関員が、テレビモニターにランプウウェイドアを兼ねた船首防水扉の横から海水が流れ込むのが写しだされているのに気付いた。その後、さらに大きな金属音がすると同時に船は急激に右舷方向へ傾きはじめた。傾斜が増すに連れ、船内はパニック状態となった。起きてボートデッキまでたどりついた人間は救命具を身にまとうことができたが、多くの人間がキャビンから脱出できなかった。
 傾斜が30度を越えた時点で主機関が停止し、緊急機関が運転を開始した。国際救命信号MAYDAYが発信されたのはこの頃である。1時30分頃、客室にも浸水が始まり、その5分後にはブリッジ右舷側も水につかり、船体は横転した。1時48分に、フィンランドのレーダー観測から船影が消え、この時点で沈没したと推定される。救出されたのは137名のみで、残る852名は船に閉じこめられ、あるいは海を漂流中に命を落としたものとされている。
 
(2) 事故原因の推定
 エストニア、フィンランド、スウェーデン3国による合同事故調査委員会は、中間報告書 4)で事実と事故原因を次のように推定した。
 エストニア号は、それまでに1〜2度しか体験したことがないほどの荒天の中を通常航海速力で航海中、船首のバウバイザーが波浪に叩かれ、バウバイザーの固定金具が壊された。この固定金具は、引き上げ後の調査で規定の強度を持っていないことが判明した。金具に関する適切な製作仕様が指示されていなかったためと推定されている。
 固定金具を失ったバウバイザーは上下に動きまわり、その過程で船体と激しく衝突した。はじめに聞かれた金属音はその音であろうと推定される。バウバイザーは最終的に船体から分離し、その際に内側の防水扉(車両のランプウェイを兼ねる)を押し開いてしまった。これは、バウバイザーが開くと防水扉も開いてしまうような構造になっていたためである。
 転覆の原因は、扉がなくなった船首部出入口から車両甲板に侵入した大量の海水による復原力喪失である。車両甲板には仕切りがないため、大量の水が全面に蓄積され、生存者の証言では、車両甲板上40〜50cmの深さであったというが、これは2000t程度、排水量の10%にも達する量である。
 中間報告では、以上の原因推定に基づき、事故の再発を防ぐため次の緊急対策を提案した。
1) 船首扉と内部防水扉が相互に独立して機能することを確認すること
2) 扉や固定金具の構造強度基準の見直し
3) 水が入っても大丈夫なような復原性をもたせること
 
(3) IMOにおける安全対策の論議
 IMOでは、エストニア号の事故が船舶の安全に関する国際規則の根幹に関る問題であり、所管の条約の問題として捉える必要を認識し、「RORO客船の安全性に関する専門家パネル」3)を設置して、現行の基準が十分であるか、改正すべき事項はなにかを検討することになった。このパネルは、世界各国政府の推薦者の中からIMOが指名した15ヶ国、20数名の委員で構成され、出身母体の利害にとらわれず専門的知識と良心にのみ基づいて行動することを前提に活動をはじめた。日本からも1名が参加し、1995年12月から96年4月までの間に4回の全体会合と3回のグループ会合を通してRORO客船の構造、運航、救命、捜索救難、船員の訓練など50数項目の問題について検討を加え、次の項目について基準修正案を提案した。
 
1) 船内に海水が入らないようにするために、
 a) 運航限界の海象を決める
 b) 船体扉の強度、固定金具の強度を増す
2) 海水が入っても転覆しないようにするために、
 a) 車両甲板を扉で区切り、覆水する部分を限定する
 b) 復原性能のレベルを上げる
3) 事故が起こった時の人命の安全を図るために、
 a) 避難誘導法の改善
 b) 救命装置の改善
 
(4) 日本の対応とその成果
 日本では、洞爺丸の事故を契機として客船の復原性基準などが改正され、以後、復原性に起因する客船の大きな海難事故はない。しかし、IMOの国際基準の改正に応じ、また、国内基準との整合性を確保するために、日本造船研究協会のRR71基準部会で、RORO船の復原性に関する調査研究が行われ(No.231R「新国際基準の広報」研究成果報告書、RR71、平成8年3月、No.228R第7基準部会「国際規格と船舶設計等との関連に関する調査研究報告書」平成8年3月)、その成果はIMOの基準改正に利用された。








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