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第3章 アメリカの海難調査
I 序説
 アメリカの海難調査は、沿岸警備隊(United States Coast Guard)(以下「USCG」という。)及び国家運輸安全委員会(National Transportation Safety Board)(以下「NTSB」という。)の2本立てで行なわれている。したがって、本報告としては、この両政府機関について個別に述べることになるが、その前に両機関が設置されるにいたるまでの歴史的経緯を海難調査の面から概観しておく必要があると考え、ここに序説として述べることにした。
1 独立からタイタニックの沈没まで
 アメリカの建国は、汽船の発明と軌を一にしているといえるようである。イギリスでジェームスワットが蒸気機関の特許を得たのが1769年であり、アメリカの独立戦争が始まったのは1775年4月19日であるからである。したがって、今日のアメリカの海難調査の由来も、汽船の発展史と強く結びついているといえる。それだけでなく、アメリカの歴史そのものといえる部分もある。
 アメリカは、1776年7月4日に独立を宣言し、独立戦争を経て1788年6月21日に合衆国憲法を発効させると、海事産業を支える基盤の整備を開始し、その翌(1789)年に灯台部(U.S. Lighthouse Service)を創設し、翌々(1790)年には税関監視船部(U.S. Revenue Cutter Service)を創設させた。(海軍省の創設は1798年4月30日である。)独立からその直後の18世紀末にいたる間は、アメリカにとって海事基盤の整備期間であった。
 ロバートフルトンが自ら発明した汽船クレアモントでアルバニィ・ニューヨーク間の営業運航を開始したのは1807年8月である。18世紀後半に出現した汽船は、19世紀に入ると活動を急速に拡大・活発化させ、関係する事故も急激に増加した。
 Bernard C.Nalty、Dennis L.Noble 及び Truman R.Strobridgeの共著
“WRECKS RESCUES & INVESTIGATIONS”(1978年)の「第11章 事故調査(ChapterXI Accident Investigation)」は次のように述べている。
 「「蒸気力だけで、又はその部分使用で推進する船舶の旅客生命の安全拡大」を規定した1838年の連邦議会制定法は、新たに出現した汽船において汽缶爆発及び船上火災が急増し、多くの旅客が死傷したことに対する政府の対策を示すものであった。この法律は、アメリカ国籍の汽船に乗り組む機関士の資格を定め、船内に載せる安全装置を示し、開港地において船体及び汽缶を調査する検査官の指名権を連邦裁判官に与え、又、船舶所有者又は船長に対し、船舶を点検する検査員を雇用する責任を課した。
 この制度は、1852年に汽船検査部(U.S. Steamboat Inspection Service)が設置され、汽船の免許料を徴収することになって廃止された。汽船検査部は、連邦政府が給料を支払い、監督に責任をもつ専門の検査官を持ち、更に、試験の施行、免許証の発行及び安全規則の制定を行なった。
 海事安全基準の維持のため、汽船検査部は事故を調査した。通常それは、アメリカ政府の免状を受有する船舶職員の適性に関する聴聞(hearing)の形式を執った審問(inquiries)であった。当時の多くの船長は、その手続について、数秒で決まる決定(decisions)の事後の評価に1か月もかかる傾向があると感じた。
 同部は組織改正を経験したが、その職務はかわらずに続いた。1871年に監督検査官事務所(Office of Supervising Inspector)が設置され、個々に汽船検査の効果的運営に責任を持つことになった。1903年セオドールルーズベルト大統領は、同部及び1884年創設の航行局(Bureau of Navigation)を財務省から新設の商務労働省に移管したところ、遊覧汽船ゼネラルスローカムがニューヨークで航行中火災を起こして沈没(注:1904年6月15日に発生した。)したことによって間もなくある変革が行なわれた。同船には1,300人が乗船しており、955人が水死又は焼死(注:他の資料では1,400〜1,500人が乗船していて1,021人が死亡したという。)した。この悲劇の結果、検査官は、船舶が適切な消火装置及び救命設備を備えることを要求する権限を追加して持つことになった。(中略)」
 以上の記載は、アメリカの海難調査も、イギリス等と同様に、当初は船員に対する懲戒のための審問であったことを示している。
 1912年4月15日にニューヨークに向けて航行中のイギリス・ホワイトスターラインのタイタニックが北大西洋で沈没し、連邦議会(上院・商務委員会)は、タイタニック沈没調査小委員会を組織し、イギリスに先駆けて事故調査を開始した。同小委員会は、公聴会を開催するなどして同年5月28日に報告書を上院に提出し、それによる上院の報告書が同月28日に作成された。同報告書は、救命艇の増設、船舶の24時間無線監視体制、北大西洋の国際流氷パトロール等を提案した。(イギリスの調査は、同年5月2日に開始し、報告書を同年7月30日に公表した。)
2 USCGの設立から現在まで
 1913年3月4日に商務労働省が商務省及び労働省に分離し、汽船検査部及び航行局は商務省の所管となった。
 1915年1月28日に財務省で税関監視船部と1848年創設の人命救助部(U.S. Life-Saving Service)とが合併してUSCGが設立された。(1917年4月6日の対独宣戦布告から1919年8月28日の第一次大戦終結まで、USCGは海軍省の管轄下に入った。)商務省の汽船検査業務部及び航行局は1932年に合併して航行汽船検査局(U.S. Bureau of Navigation Steamboat Inspection)となった。
 その後について“WRECKS RESCUES & INVESTIGATIONS”は次のように述べている。
 「再び悲劇が起こって行政機関の再編成が行なわれた。1934年の夏の終わり(注:9月8日である。)に、キューバのハバナからニューヨークに向かっていた旅客船モロキャッスルがニュージャージー海岸沖で火災となった。燃え盛る炎を消す努力が無駄になり、船体の保全のためのUSCG巡視船による曳航は妨げられ、船体は黒焦げとなって海岸に漂着した。100人以上がこの火災で死亡した。
 1936年に議会は、この事故の対応措置として航行汽船検査局を改編し、海事検査航行局(U.S. Bureau of Marine Inspection)とした。又、同局内に海難調査委員会(marine casualty investigation board)を新設し、その構成は調査する事故の重大度によるものとした。人命が失われた場合には、司法省及び海事検査航行局の代表者にUSCG職員を加えて同委員会が行なわれた。重大度の低い事故については、同局職員が一人で調査をし、他の政府機関からは参加しないとした。
 USCGは、いくつかの調査に参加したが、海事検査航行局の技術部門を代表する者ではなかった。この組織は、総トン数100トン以上のあらゆる種類の機関推進をする全ての旅客船を対象に図面を再検討した。この範疇の新造又は改造の船舶は、その図面が同技術部門によって再検討されなければ、検査証書を持つことができなくなった。
 海事検査航行局は、その機能を持ち続けたが、1942年にフランクリンD.ルーズベルト大統領によって廃止され、その年の3月1日にUSCGが海事の安全に関する同局の全ての職務を(注:当初は臨時であり、正式には1946年である。)引き受けた。(後略)」
 これより前の1941年11月1日にUSCGは再び海軍省に移管され、この状態は1945年末まで続いた。
 タイタニックに関する海難調査は、アメリカの海難調査制度の第1ページを飾るものと考えるが、アメリカ国民にとって外国船であるということ及び間もなく勃発した第1次大戦によってその後の進展が見られなかった。モロキャッスルの海難は、二つの大戦の狭間で発生したのであり、懸案の海難調査制度へ進展する切っ掛けとなった。
 1967年4月1日に運輸省(Department of Transportation)が新設され、USCGはその中で業務を行なうことになり、又、同時に運輸の全ての事故(USCGは公用船(public vessel)の事故調査をしない。)調査をするNTSBが創設された。1975年4月1日にNTSBは運輸省を離れて連邦議会に属する独立の事故調査機関となった。
 こうして今日のアメリカの海難調査は、USCG及びNTSBの2本立てで行なわれている。
 以上
 (伊藤喜市委員執筆)
II USCGの海難調査
1 USCGについて
 アメリカ合衆国の沿岸警備隊(United States Coast Guard)(以下「USCG」という。)は、後述する合衆国法典第14巻第1条によって設置されている組織であって、海事に関して広範囲な職務権限を持っており、海難調査権は、そのごく一部である。この節では、USCGの略史並びに組織及び業務を示して全体像を概観し、海難調査権がUSCGのなかで占める地位を具体的に理解する一助としたい。本題であるUSCGの海難調査については、「2海難調査の主体」以下で述べる。
 
(1)USCGの略史
 USCGのエンプレムには「1790」という数字が入っている。1790年は、税関監視船部(U.S. Revenue Cutter Service)が創設された年である。USCGの設立は1915年であるが、その前身は1790年創設の税関監視船部に遡るということであろう。
 USCGが税関監視船部と1848年創設の人命救助部(U.S. Lifesaving Service)との合併で1915年1月28日に設立されたことは序説に述べた。
 その3年前に発生した北大西洋における英国ホワイトスターラインのタイタニック(Titanic)(46,328総トン)の沈没(1912年4月15日)に際し、米国上院の商務委員会は、タイタニック沈没調査小委員会(小委員長・スミス上院議員)を設置して次のような理由で海難調査を行なった。
 [1] 合衆国人が実質的な船舶所有者であること
 [2] 乗船者(旅客)が合衆国人であること
 [3] 遭難者が合衆国に上陸したこと
 同小委員会は、1912年4月19日から調査を開始し、約1箇月後の1912年5月18日に上院に報告書を提出した。
 そのなかに北大西洋流氷域の国際パトロールが提案されており、税関監視船部は、1914年に北大西洋の流氷監視を開始した。まもなくより効率化等が求められてUSCGの設立になったという。
 本編の序説においては、アメリカ合衆国の海難調査に関する歴史が同国の海事関係の歴史、延いては当然のことながらUSCGの歴史と深く関わっていることを述べた。この序説及びタイタニックの沈没にまつわる歴史的事実をもってUSCGの歴史の概略は十分と考えるので、あらためてUSCGの設立及び今日の形態に至る経緯を述べることは控え、それらを本章末尾の年表で示すに留める。
 
(2)組織及び業務
 USCGは、第1次及び第2次の大戦において、海軍省の管轄下にあった。最初に述べた合衆国法典第14巻第1条は、次のように規定している。
 「第1条 沿岸警備隊の体制 1915年1月28日に設立された沿岸警備隊は、常に合衆国の一軍事部門及び軍隊の一翼であるものとする。沿岸警備隊は、海軍において職務をとる場合を除き、運輸省において職務をとるものとする。」
 USCGは、常にアメリカ合衆国、すなわち、「合衆国の各州、グアム、プエルトリコ、ヴァージン諸島、アメリカ領サモア、コロンビア特別区、北部マリアナ諸島及びその他の合衆国領土又は領地(合衆国法典第46巻第2101条(44)の定義)」における軍事力の一部であり、戦時及び大統領命令のある場合を除き、運輸省の中で業務をするのである。したがって、運輸省の中においてもその組織及び業務は、軍隊を彷彿させる。関係用語の訳語も、軍事用語を使用せざるを得ないところが少なくないことを予め断っておきたい。
 
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[1] 組織
 USCGの組織は、およそ組織図(その1)及び(その2)に示す通りである。(組織図のなかに見られる(G-C)、(G-CV)等は、各官職の略称である。)
USCGは、長官(Commandant)を長として本部(Headquarter)をワシントンに置き、管轄する区域を大西洋方面(Atlantic Area)及び太平洋方面(Pacific Area)の2つに分けてそれぞれに方面司令官(Area Commander)を配し、大西洋方面を5つの管区(District)(1,5,7,8及び9)及び太平洋方面を4つの管区(11,13,14及び17)に分けている。各管区事務所(District Office)の所在地及び本部機構は、組織図(その1)に示すとおりである。その説明は省略する。
 なお、日本、シンガポール及びイタリアに在外事務所を設置している。
 長官は、上院の助言及び同意を得て大統領が指名し、その任期は4年で再任が可能である(合衆国法典第14巻−沿岸警備隊(U.S.C. Title 14-Coast Guard)第44条)。
 副長官(Vice Commandant)及び方面司令官は、上院の助言及び同意を得て大統領が任命する(合衆国法典第14巻−沿岸警備隊(U.S.C. Title 14-Coast Guard)第47、50条)。
 各管区の長は、長官に任命される管区司令官(District Commander)で、すべての管区は長官に直轄されている。
 隊員(士官(officers)、士官候補生(cadets)及びそれ以外(enlisted))総数は次のように変化している。
(年:人)
1915: 4,155 1925: 9,219 1935:10,409 1945:176,000
1955:28,607 1965:31,776 1975:36,788 1985: 38,595
1995:36,731 1996:35,229 1997:34,890 1998: 35,293
 
 1998年の隊員内訳は、士官7,119人、士官候補生811人及びそれ以外27,363人となっている。
 保有する船艇及び航空機については省略する。
 
[2] 業務
 USCGの業務は、次の通りである(合衆国政府便覧1999年版による)。
 a 航路標識及び水路図誌(Aids to Navigation)
 b ボート乗りの安全(Boating Safety)
 c 橋梁管理(Bridge Administration)
 d 沿岸警備隊協力隊(Coast Guard Auxiliary)
 e 深水深港湾(Deepwater Ports)
 f 氷山監視(Ice Operations)
 g 海洋環境対策(Marine Environmental Response)
 h 海事検査(Marine Inspection)
 i 海事免許制(Marine Licensing)
 j 海事安全審議会(Marine Safety Council)
 k 海事法規の施行(Marine Law Enforcement)
 l 軍事準備(Military Readiness)
 m 港湾安全確保(Port Safety and Security)
 n 予備役訓練(Reserve Training)
 o 捜索及び救助(Search and Rescue)
 p 水路管理(Waterway Management)
 
 USCGの16項目にわたる業務のなかに「海難調査」は入っていない。合衆国政府便覧1999年版は、「海事検査」の内容を次の通り述べている。
 「海事検査沿岸警備隊は、合衆国の商的船舶(commercial vessels)及び大陸棚構造物の設計、構造、設備及び保全のための各種安全基準の計画、処理及び施行を司る。このプログラムは、合衆国の管轄する区域にある外国船舶に対する安全基準の施行を含む。
 調査は、合衆国の管轄区域にある商的船舶から報告された海難(marine accidents)、災害(casualties)、法規違反(violations of law)、違法行為(misconduct)、過失(negligence)及び無資格(incompetence)について行なう。
 監視行動及び船内立入は、法令違反の摘発のために行なう。このプログラムは、又、船舶備付文書に関する法律上の措置及び処理による海上交通の便益のために機能する。」
海難調査は、「h 海事検査」の3本柱の一つである「調査」の1対象なのである。
 
(まとめ)
 この節では、USCGが1790年創設の合衆国税関監視船部と1848年創設の合衆国人命救助部とが1915年に合併して設立され、1939年には1789年創設の合衆国灯台部(U.S. Lighthouse Service)に由来する灯台局(U.S. Bureau of Lighthousesを併合し、1942年には合衆国海事検査航行局(U.S. Bureau of Marine Inspection)(1852年創設の合衆国汽船検査部(U.S. Steamboat Inspection Service)及び1884年創設の合衆国航行局(U.S. Bureau of Navigation)に遡る歴史を持つ「I序説」参照。)を併合(但し、このときの併合は臨時である。年表参照)して今日に至っていること及び常にアメリカ合衆国軍事力の一翼であるが、平時において運輸省の中で業務を行なう組織であることから、その業務は広範囲であり、海難調査は、そのごく一部であることを示した。








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