日本財団 図書館


スクーリングとアルバイト可能に(X+2年4月〜X+4年3月)

定期的な通学には自信がないと、通信制高校を選び学習を始めたが、レポートは家庭教師に助けてもらう必要があった。また、スクーリングで出会った同年代の女性たちがアルバイトをしていたり、あるいはすでに独立してひとりで暮らしているのを知って、自分の力のなさや甘さを感じたと、ショックを受け落ち込むこともあった。現実社会を直視することができはじめると、アニメ関係の仕事が決して容易に実現しないこともわかり、新しい目標を探す必要を感じ、アルバイトを始めた。

このアルバイト先を探す際、家庭教師と共にアルバイトニュースを見たり、チラシを集めたりと協力してもらった。この対応は、現実社会での対応の仕方を教えるために必要であると、相談室から家庭教師に依頼したものである。選んだのは、最も苦手な接客業(レストラン)だったが、最初は忙しくない時間にシフトを組んでくれるなど、配慮してくれる理解あるオーナーだったので、少しずつ自信をつけていった。

その後、通信制高校卒業までの3年間、同じ家庭教師に学習と社会性の習得を援助してもらい、アルバイト先のレストランに正社員として入社した。現在も親元から通勤しており、次の課題は親元からの独立である。

 

A子が回復していくに際して有効だったと思われる働きかけ

1] A子の不安が低減するまで、親子の分離も問題の核心部分への介入も控え、あくまでA子のペースで回復を促したこと。

2] 言葉にすることが苦手なA子に、言葉を用いないで自分の内面を知ったり、表現したりする方法があることを実体験させたこと。同時に、カウンセラーがいくつかの言語表現を試案として行い、A子の気持ちを的確に表しているものがあるかどうか尋ねていくなど、モデルとして機能したこと。

3] 家庭内での葛藤状況の査定と解決は、平行面接の親担当者が行い、A子の担当者は彼女が新しい試みを実行できるよう励まし、成功を共に喜ぶ共犯者的関係(補助自我)でいたこと。

4] 適応指導学級で、親でない大人との接点を持てたこと。直接的に親密な関係を持つまでにはいたらなかったが、同年代の同じような悩みを持った子どもと接する機会を持てたこと。

5] 治療的家庭教師として共通の話題を楽しむとともに、外部の刺激を持ち込んでくれたり、現実社会との接し方を教えてくれるモデルがいてくれたこと。

6] 相談室、通級学級、家庭教師、両親が信頼関係でつながっており、適切な連携ができたこと。

 

―考察―

本事例の背景には、優秀だった兄の突然の事故による挫折という、家族全体に大きな影を落としている傷つき体験があった。おとなしくて、特に問題のなかったA子は、兄をケアする側(大人側)の一員として、小学生の頃から頼られていたが、家族のだれもそのことに気づかなかった。また、母親自身に学校での傷つき体験と、それを精神力だけで乗り切ったという自信があったため、A子の訴えを退けてしまうという結果になったことや、協力的に見える父親が実は肝心なところでの決断ができず、結局母親が主導権を握らざるをえないという問題なども潜在していた。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION