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第4章 カウンセラー編

 

小学校5年生から不登校傾向が生じたA子の事例

植山起佐子

 

不登校期間 中学2年2学期〜 14歳女子

 

《家族構成》

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当事者について

父親は、姉ふたりの下に生まれた待望の長男として成長。実家は小規模の農家であったが、都市開発により土地の値段が上昇したため、現在は土地の賃料がかなりの収入になっている。

A子の兄は、中学1年生時の交通事故後遺症で、癲癇と診断されている。そのため、両親は兄の病気に神経を集中させ、健康なA子はあまりかまわれないできた。小5の2学期以降、A子は頭痛・腹痛・吐き気を訴えて欠席することが増加した。中学入学後も欠席がちな傾向は続いたが、学校側は小学校から病弱な生徒との申し送りがあったのであまり気にしていなかったという。

A子はおとなしくて無口であり、友達も少数だった。運動は苦手で、どちらかというと室内で静かにしているのが好きなタイプである。親に反抗することもなく、従順な子どもだったので子育ては楽だったという。成績は中の中か下程度であり、学校でも目立たない生徒であった。父方祖母は熱心な宗教家で、時々A子をその宗教の会合に伴ったりする。A子はいやがらず、同行し参加していた。不登校がはっきりと親に意識されたのは、中学2年生の2学期だった。1学期半ばから欠席の頻度が高まり、母親が朝起こしに行くと、布団の中でシクシク泣いているなどの変化が生じ、母親が問いただすと「友達にいじめられている」と打ち明けた。

しかし母親は、自身が小学生時代いじめられて不登校になったのを、精神力で乗り切った体験があったため、「負けてはだめ。がんばって笑って行きなさい」と叱咤した。2学期になって全く登校できなくなり、担任が訪問したところ、いじめられていた事実と不登校傾向が生じた時に朝の迎えを依頼したのが、いじめていた子どもたちであったことが初めてわかった。担任は、いじめた子どもたちとの和解を試みた。しかし和解が成立しても、A子は登校できず、対応に困った担任の紹介で、教育相談室に来室することになった。中学1年時の担任も、不登校傾向を気にして相談室を紹介していたが、その時には来室にいたらなかった。

 

―経過―

ほとんど外出せず、カーテンを閉め切った部屋にこもる(X年10月〜11月)

初めての来室は、両親に伴われてやってきた。両親共におとなしく、あまり多くを語らないタイプであったが、娘の不登校に関しては、父親が仕事を休んでも付き添うなど心配しているようであった。特に母親は、友達にいじめられていたことを打ち明けた娘を叱咤激励して、無理に行かせて問題をこじらせてしまったことを気に病んでいた。A子自身は緊張が強く、表情がほとんどなかった。そのため、親子並行面接に導入することができず、同席面接となった。

 

 

 

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