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パソコン、インターネットで不登校児の居場所を作る

―不登校経験者たちの活動―

《麦の根》宮川正文

 

それはパソコンから始まった

「麦の根」は不登校や中退の青少年が主催する、不登校や中退をした青少年のたまり場です。富山市郊外の一軒家に間借りをしています。現在でも、北陸では青少年の作った“居場所”は「麦の根」しかありません。現在、毎週金曜に1回のペースで“居場所”を開いています。

「麦の根」が作られたきっかけは突然です。

1997年12月に、もともと富山にあった「麦の会(富山登校拒否児とともに歩む会)」という親の会に、1台のパソコンを寄付するという話がきました。当時はまだ、現在ほどインターネットが普及していませんでした。親たちでパソコンを使いこなせる人もいません。そこで親の会に来ていた子どもたちに、親たちが「パソコンをあげよう」という話になり、当時14歳から18歳までの少年たち3人が名乗りをあげました。「パソコンを使った“居場所”を作りたい。どうせならば親に頼らず、自分たちの力で一から作りたい。親に任せると口を出すから」と。

それが「麦の根」のそもそもの始まりです。

富山は田舎です。不登校に対して、悪い意味で監視し合う地域が一部に根強くあります。交通も、バスが1時間に1本あるかないかという所もたくさんあるのです。運賃も高い。4年たった現在でも、告白すれば「麦の根」はふだん、12、3人も集まれば人が多いほうです。なぜなら、親が来ない“居場所”です。子が交通の不便を覚悟して、自分で来るしかないのです。もちろん、来られる子は親が運賃を出してくれます。あるいは女の子の場合は車で送り迎えしている例もあります。陰にはそんな親の理解と支持があります。それでも来る子は、時に隣県から、あるいは雨や吹雪の日でも来ます。

 

同じ痛みを持つ子たち

常連として来る子は、驚くほど早く自分で進路を決定します。いつもうつむいて「自分はだめだ」と口癖にしていた子が、1年で進学した例もあります。それは同じ体験を持つ仲間が、“居場所”には必ずだれかいるからでしょう。同じ痛みある体験を持つ者は、互いに励ますことはあっても、けなし合うことはしません。学校のように、仲間や先生の目をうかがい、周りに合わせる必要もないのです。

それに「麦の根」には、県外へ進学し、就職したOBもたまに遊びにやってきます。評価する親ではなく、共感できる仲間や年長者がいること。それは、不登校をしても将来大丈夫だと、勇気づけられるのだと思います。僕の体験からも思い当たります。僕は自身で働けるようになるまでには、不登校をしはじめた13歳から20歳まで7年かかりました。理由として、同じ体験を共有した仲間がいなかったこと、同世代のだれにも悩みを打ち明けられなかったこと、その深い孤立感があげられます。また、不登校をしても元気に生きている先輩を見ることはありませんでした。

 

 

 

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