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子どもの不登校体験から母親として学んだこと

母親

 

不登校期間 中学1年2学期〜 12歳男子

 

《家族構成》

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不登校の始まり

次男が不登校気味になったのは、中学1年の2学期からでした。今から約8年前になります。

その頃の家族構成は、夫の両親、夫、長男、次男、私の6人でした。夫は会社員で、転勤生活から年老いた夫の両親との同居生活に変わって8年くらいたった頃でした。その生活は私にとって、母親としてよりも、嫁を強く意識させられるもので、ある時は精いっぱいそれに応えようとしたり、反発しようとしたりしておりました。義父母の生への執着心に圧迫感や哀れさを感じ、押されていましたが、なんとか切り抜けられると過信していたかと思います。

「お母さんには無理だったんだよ」と、よく長男には言われました。子どものほうが親を冷静に見ていたし、親を気づかってくれたのだと思います。

不登校になったきっかけは、部活の先生との気持ちの行き違いからでした。が、そのことが解決した頃には、クラスにたくさんいた部活仲間からあれこれ言われて、たち打ちできないようになっていました。ひとり浮いたような存在になり、クラスにもいづらく、登校しにくくなっていきました。

 

―経過―

高校中退・大検取得

律儀で、神経質な面のある次男の性格を考えれば、小学校高学年あたりからの進路を、夫婦で十分話し合う必要があったと思います。しかし、話し合うことはありませんでした。考えてみますと、夫のことも、長男のことも、自分のことも、思いやるゆとりがなくなっていたのです。ほとんど寝たきりになっていた義父と、病弱な義母の世話に明け暮れた生活で、子どもたちのことを考えてやるゆとりがなかったのです。

14歳頃から、T先生の「思春期の子どもを、人間関係のないまま孤独にしておいてはいけない」という助言に従い、メンタルフレンドのOさんに来ていただくことにしました。Oさんに、相談相手や遊び相手をしていただくうちに、少しずつ元気をとり戻し、中間テスト、期末テスト、運動会、修学旅行などには出て行くようになりました。何か決めなければならない時は、夜遅くでも、T先生に電話で相談しておりました。

都立高校に合格し、続けてOさんの支えをいただき、O学園の夏の合宿体験で楽しみながら過ごした高校生活でしたが、1年で挫折、中退して大検取得コースに変更しました。そして、K教室に通いながら大検を2回受けて、18歳で大学入試受験資格を取り、その後2年間の準備期間を経て、この春大学生になりました。

 

 

 

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