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この親指握りというのは私が名付け親で、親指の指先ほどのおにぎりに、細かくきざんだチリメンジャコやほうれん草を入れたものです。毛布の間から可愛い口が見えるのですが、なんだか鳥のヒナに餌をあげているみたいでした。

この時の息子の表情は、毎日オドオドしていたように思います。学校へ行けないことの罪悪感があったようで、ずいぶんつらかったようです。

この時期はよく階段から飛び降りて、自殺の真似もしました。私は息子の寝顔を見ては、何度涙を流したかしれません。実際、親子で無理心中をも考えました。学校へ行かない、行けないことがこんなに苦しいことであることは、経験のない方にはご理解いただけないかもしれませんが、苦しいのです。なんとか逃げたいのです。

私はなんとか環境さえ変われば…と思い、引っ越すことも考えましたが、主人は「逃げるつもりはない」と言って聞き入れてくれませんでした(この選択は今は正しかったと思っています)。主人は実際、弟が高校時代に不登校を経験していて、いずれ解決する問題であろう、と比較的のんきだったように思います。実際のところ、現在の弟は設計士になり、設計事務所を開業していますし、こだわりの強いところが良い方向に進んだようで、いろんな賞を受賞しています。

しかしながら、私と息子にとっては、この時期がいちばんつらかったです。

学校から紹介された適応指導教室にすら、小学校の数が少ないとか、学校復帰の気持ちのある親でないとふれあい(適応)教室に通うことを許可できないと言われ、とことん苦しみました。だって、親子で学校に気持ちが向かないんですもの、登校、復帰といきなり言われて「はい、そうです、学校へ早く復帰したいです」とは言えませんでしょう?

 

フリースクール見学会

どこへも行き先がなく、どうしたらいいものか途方にくれている時、ある朝のTV番組で東京のあるフリースクールを紹介していました。実に楽しそうに、不登校の子どもたちが活動しているんですね。

私はここなら…と思い、1カ月後の見学会に参加させていただきました。

なるほど、それぞれに楽しそうです。髪の毛の色なんかもカラフルで、モーツァルトのオペラ「魔笛」に出てくるパパゲーノみたいで、私まで心から楽しい気持ちになりました。大丈夫なんだ、なんとかなる。子どもってたくましいんだ、と希望がわきました。

重い足を引きずりながら上京したはずなのに、すっかり元気を取り戻し、久しぶりに食事をおいしいと感じることができました。

なんせストレスから、1カ月間ほとんど毎日胃腸薬のお世話になっていた私なので、食事をおいしいと感じたことはなかったのです。うれしかったです。そして、こんな場所を地元でも作っていかなければ…と、熱い思いが胸にわきました(2カ月後、子どもの居場所を考える会を設立いたしました)。

自分の苦しみを理解してくれる人、同じ仲間がいるということを知ることで、人は安心したり自信がついたりするものであるんだと確信しました。先ほども、親が苦しい時は子も苦しいと言いましたが、その反対で、親が楽しい時は子も楽しくなるようで、私の気分が楽になるにつれ、息子もドンドン元気を取り戻しました。

 

 

 

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