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不登校のわが子は、かけがえのない宝物

母親

 

不登校期間 中学1年3学期〜 12歳男子

 

《家族構成》

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次男の不登校と夫の暴力

私は54歳の母親です。3人の子ども、長男26歳、長女23歳、次男17歳と、同い年の夫との5人家族で、北海道の真ん中より北の、Oという町に住んで25年になります。

私の体調不良が原因で、結婚以来の共働き生活にピリオドを打った翌年の、平成8年のことでした。中学1年生になった次男は、それまでの学校行き渋りから、はしか・喘息・肺炎と病気を連発して、ついに昼夜逆転となって学校へ行けない日々を送るようになりました。夫は、「お前が家庭をかえりみないからだ」と私を責め、次男には暴力的に学校へ行かそうとするので、家庭は地獄のようになりました。つらくて、私がいなくなれば子どもは自立してくれるのではないだろうかと思ったことも再三でした。この頃は、遺書を書いてタンスの引き出しにしまっておきました。

次男は私といっしょに寝たがり、夫がいないと「あいつ死ねばいいんだ」と言い、学校に行きたいと思っても行けない焦りから、死にたいともらしたり、3日間くらい一睡もできず、室内をウロウロと歩き続けたこともありました。

夫の暴力から次男を守るために、とりあえず次男と車で家を出る。学校へは行けないので、ドライブをして、夫の出勤後に帰宅する日が続きました。

次男が生まれた時、家族みんなで喜びました。人なつこくて、夫が帰ってくると大喜びで迎え、この子の存在が、家族ってこんなにも良いものかと思わせてくれたものでした。そんな子が変化を見せたのは、小学3年の2学期のことでした。緊張感ではち切れそうになり、笑顔が消え、オドオドし、登校近くなると腹痛になり、行ったかなと思っていると公園や自宅裏、通学路の途中に硬直したように立ちつくしていました。家では私のそばから離れたがらず、まつわりつくので、「ちょっと離れてよ」と言うと、「何で拒むのさ」と言って、ジッと見つめるのです。

中学1年の3学期、女生徒50人以上から無視・いやがらせを受けていることがわかりました。とても通学させられる状況ではないこともあって、学校と相談の上、休ませることにしました。

 

与えられたふたつの課題

学校に行かない選択をしても、そのまま引きこもることになれば社会適応できなくなると、教頭から相談機関を勧められました。私は、病院とか児童相談所はいやだったので、高等学校教職員組合が開設している教育相談所に電話をしました。電話の向こうの声は、厳しく温かく「なぜ、子どもさんが自立していないと思われるのですか」と問い返してきました。

 

 

 

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