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この性癖のおかげで友人をなくすことも多かった。そのたびに私は反省するのだが、それも結局は、「次はうまくやろう」ということにしか過ぎず、同じことの繰り返しだった。友人とはいえ、私にとっては「他人」だったのかもしれない。

 

夕焼けを見るのがつらい

当初は外に出るのもおっくうで、家での読書と体操が主な日課だった。あまり動かない生活スタイルだったが、睡眠時間は多かった。その頃から、多めに睡眠をとらないと不安になるところがあったのかもしれない。とにかく悩みの種を抱えたまま起きているのがつらかったのだと思う。仕事をやめた初めの夏はそんな感じで、ほとんど有意義な時間を送れなかった。

そしてこの頃から、自分や人生について考えることが多くなっていった。自分はこのままでいいのか?そんなはずはない、という逃げ場のない焦り。自分はなんのために生きているのか?他人はなんのために…それこそ部屋に閉じこもっていては、決してわかるはずのないことばかりを考えていた。とにかく悩めば悩むほど、いずれはどこかにたどり着けると信じなければならなかった。そう考えることでしか、自分の罪悪感を緩和することができなかった。

自分は他人とは違うという意識も生まれた。他人は、だいたいは幸せで日々充実した時間を過ごしている。自分のように、くだらないことでくよくよ悩んだりしない、そう思えてしかたがなかった。

一日の時間帯で、夕方がいちばんいやだった。きれいな夕焼けが、ことさら今の自分にとってはつらいと感じられてならなかった。自分にとって夕焼けは、その日一日の終わりの象徴で、同時に一日を振り返る気持ちにさせる。だが振り返ってみれば、苦痛に満ちた現実をただ見つづけるだけで、無為に時間を過ごしているというむなしさしか残らない。そしていつも最後には、将来に対する漠然とした不安感に結びついていくのだ。それで夕焼けの時間帯になるとゆううつになった。

また、物事をつきつめて考えてしまう性格もわざわいして、精神的に楽になろうとする努力ができないでいた。自分自身の人生についても、ある程度いいかげんに考えるというか、妥協することができなかった。妥協をすればツケはいつか回ってくるぞと、半ば盲目的に信じ込んでいた。

それは自分自身の経験に裏付けられた考えではなく、ただやみくもに悩むことばかりに偏していた日々が生んだ、妄想だったと思う。家族との会話も日に日に減っていき、友人と会うこともほとんどなかった。ただ、友人とは連絡を取り合ってはいたので、つながりはあった。頭では、もう友人などいなくてもと思っていても、本能的にはつながりが途絶えてしまうことを恐れていたのだろう。

考えても考えても、現状は回復しない。どれだけ悩んでもただ、今の状況を一発でどうにかできるようなうまい方法はないという確信を深めるだけだった。精神科のほうからもらう薬の種類も、この時期がいちばん多かった。医者には、悩みなどをうまく話すこともできず、ただ薬をもらうためだけに通院するというようになり、治療も形骸化していった。

 

 

 

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