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父と口をきいていない時期に、夜中に僕がまた不安でパニックになった時、ほとんど黙ったままでしたが、朝までドライブをして僕の気を休めてくれたことが印象に残っています。また母は、僕を責めるような言葉を吐かず、できるだけあるがままに、僕の状態を受けとめていてくれたのだと思います。その時は自分を保つのに精いっぱいで気づけなかったのですが、そうしたことがその当時の僕を支えていたのではないかと思います。

高校を卒業して3度目の春を迎え、もう精も根も尽きたという感じでいた時、僕の中で転機が訪れました。「これじゃあ生きてても、死んでいるのといっしょ。それならいっそのこと、パニックの症状が出て死んでもいいから、もう一度やってみよう」という言葉が、ふっと自分の中からつぶやくように出てきて、その瞬間何かが吹っ切れた感じがしたのです。

それからすぐに、反対する両親を泣いて説得して再び上京し、再び新聞店で住み込みで働きながら予備校に通う生活を始めました。

もうただ勢いだけで、後ろを振り向かず前だけを見て、1年間やり抜くことだけを考えて突き進みました。時々またパニックの症状は出ましたが、「死んだら死んだでいいや」と開き直り、無我夢中で1年を過ごしたのです。結果として、いちばん行きたかった大学に合格することができたのですが、それ以上にうれしかったのは、真っ暗闇の世界から「外に出られた!」という、なんともいえない解放感でした。

大学に受かったことを実家に電話で伝えると、父が出て、「そうか良かったな。おめでとう」と言ってくれた時、僕は本当に自分が生まれ変わったような気持ちがしました。それは、僕が自分を取り戻した瞬間でもあったのかもしれません。

 

今振り返って思うこと

久しぶりに、自分のいちばん苦しかった頃のことを振り返ってみて、時々胸がつまりそうになる時がありました。それは、まだ自分の中で整理ができていない部分があったり、両親とちゃんと話せないまま、まだわだかまりとなって残っているところがあるからなのかもしれません。それでも、あの真っ暗闇の中でもがいていた時間や葛藤がなければ、“今の自分”はなかったということは言えます。

あれから10年以上の時が経ち、僕も人の親となって、少しは親の気持ちもわかるようになりました。でも、僕の基本的な性格(神経質で、自分にも他人にも厳しいことなど)は変わっていません。ただ年齢を重ねた分くらいは、自分と付き合うのが上手になったかなと思います。

僕の経験が、はたして今いわれている「不登校」や「引きこもり」に当てはまるものなのかどうか、自分ではよくわかりません。それでも、なかには何か通じるものがあるような気がします。今まさに苦しい中にある人の心に、わずかでも伝わるようなものがあればうれしいのですが。

 

 

 

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