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体育会系の僕の部は、体を酷使して足を壊しても「根性が足りないからだ」と言われ続けます。またサボろうにも、同級生の他クラス同士が迎えに来合うシステムで、サボることもできない。内申書を恐れていた僕は、部活をやめることもできず、いじめた者とけんかすることもできず、耐えるだけでした。

学校の授業も、休み時間も部活も、何もかもが楽しくなく苦痛でした。ホッとする居場所もない。だから行きたくなくなったのです。しかし、渦中にある僕には、その理由や事情を冷静に考えるひまも余裕もなかったのです。それは、大人でも突然恋をしたとき、相手の何が好きかと聞かれても、ただ「好きだ」としか答えられないようなものでした。

 

自己嫌悪、拒食症

学校へ行きたくない。だが僕の頭には、当時の情報から判断した常識がありました。その常識からみたら、学校へ行かなくなることは人生の放棄、死に等しいことでした。また大人は、「学校ほど楽なところはない」とも言います。それすら耐えられない自分など、社会に出たら…?どうしても、耐えて学校へは行かねばならないのです。同級生はみんな行っています。親も先生も通った道です。

さらに、親は激励し、叱咤します。先生も家に迎えに来ます。何度も。時には寝巻き姿のまま、手をつかまれて登校させられたこともありました。大人の思いにも応えたい。僕とても夢を捨てたくない。だが、どうしても学校へ行けませんでした。

学校へ行かなくなった僕は、自分を嫌悪しました。だれのせいでもない。自分から人生を放棄した。夢を捨てた。クズだ。平気で学校へ行けるみんなと…。さらに追い討ちをかけるような、親や周りの失望と苦悩。それが、寝ても覚めても僕を襲います。申し訳なく、親の顔を見れない。その思いから、部屋に閉じこもります。昼は、学生が学校へ行くその姿と、行けない自分を重ねます。すると惨めになります。学生の見えない夜に起き、昼は寝ました。「ごくつぶしだ」、その言葉に答える言葉はありません…。拒食症にもなりました。

 

だまされて新興宗教の施設へ

そういう僕を心配したのでしょう。親は僕をだまして、新興宗教の施設に送りました。しかし、僕は親にすら見捨てられたと思ったものです。施設では、外部からの情報はいっさい入りません。テレビも、ラジオすらない。あるのは、宗教の教義と勤労奉仕という名の、強制労働だけです。周りにいるのは、ヤクザだった人や、警察の厄介になった人、女性関係や金銭関係でこじれた問題のある人が多かった。そこでは、理屈はとおりません。だれが施設で転向して信者になって、僕の反教義的な言動を密告するかわからない。突然殴られることもある。生きるには、知恵と強靭な力が必要でした。だれも信じられない。

そこでは、親や学校に復讐するのを希望に生きていました。そのために物を盗み、必要とあらば、暴力を行使しなかったとも言いきれない。僕は、4度脱走して富山に帰ってきました。

帰っても、状況が変わるわけではありません。僕には毎日がつらく感じられ、生きる意味もなく、ただ年を重ねるだけ。

 

 

 

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