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不登校、登校拒否は自己主張であり、個性の現れだ

小学3年 男子

 

不登校期間 小学3年半ば〜中学卒業まで

 

《家族構成》

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自分について

私は現在18歳で、自宅から地元の教育大学に通い、教育について学んでいる。家族は両親と、2つずつ離れて弟が2人と妹が1人の4人兄弟のいちばん上で、6人家族。

登校拒否は小学校3年の半ばに始める。その当時は団地に住んでおり、近所付き合い等これといって特筆するものはなく、普通の家庭だった。

登校拒否などと聞くと、何か問題を抱えている変わった家庭をイメージするかも知れないが、「普通の家庭」と聞いて抱くイメージとさほど変わりはない。

母親は専業主婦、父親はサラリーマン。父親は残業が多かったが、それによってコミュニケーションがとれなくなることはなかった。休日等によく遊んだことを覚えている。母親も理解力があり、いろいろ手を尽くしてくれた。

 

―経過―

重くのしかかる罪悪感

登校拒否を始めたのは小学3年の半ばだったが、正確には覚えていない。正確に覚えていないのはそれだけではない。小学校の3年間、特に3年生の頃のことは、全く記憶に残っていない。日記などもつけていないので、形としても残っていない。記憶で言えば、幼稚園のほうが強いぐらいである。故に、きっかけ、背景、当時の生活など語れるものはないといっていい。

これは、小学校の3年間、特に3年生の頃、私にとって学校という環境が苦痛に満ちていたためであろう。小学生の私には耐えきれるものではなく、身を守るために感覚を完全に封鎖していたのだと、私は考えている。

私の登校拒否は、学校という苦痛に満ちた環境から自らの身を守るために始めたのである。私が「不登校」ではなく、「登校拒否」という言葉を使うのも、私が自らの身を守るという意志を表したいからで、そのため「拒否」という言葉を使っている。

登校拒否をしていた間の記憶もはっきりとはしないが、強く覚えているのが、罪悪感と劣等感である。たとえ意識していなくても、心の奥底に絶えず重く重く存在していた。「学校は行かなければいけない場所」という、この社会の認識が重く重く私にのしかかり、罪悪感となって現れ、また、当たり前のこともできないという思いが劣等感を呼んだのだろう。

学校に行かないことへの、罪悪感と劣等感。しかし、学校へ行くのはいやだったし、苦痛のなかに身を置くことへの恐怖もあった。これらの葛藤の日々だった。

 

 

 

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