高校へ行きたい
中学3年になった4月の始めの頃は、だんだんと学校に通い始めるようになった。クラスに仲の良い友達もいたし、担任もとても良い先生だった。やはり「高校へは行きたい」という気持ちはあったから、出席日数などを気にするようになった。ただ漠然とであったが、やはり「高校」へは行きたかったのだ。
しかしまた、夏休み後から行けなくなってしまった。受験に対するプレッシャーもあったように思う。高校受験をするに当たって、少しの期間であったが塾にも通っていた。中学校をまた休むようになってからは、その塾のある先生が、私の家にまで来て家庭教師のようなことをしてくれるようになった。それはその時の私にとって、とてもありがたいことだった。
私は不登校になって、さまざまな不安感に襲われたが、そのひとつに「学力の低下」があった。やはり家で、個人的に勉強をしているといっても、学校へ通っている子に比べれば、学力の低下は仕方ないことだと思う。そんな時、その塾の先生の個別学習はとても力になった。その先生は、高校受験の情報ももたらしてくれた。もちろん、担任も何もしてくれなかったわけではない。
高校受験をしたいと望む私は、母と共に出席日数の関係ない学校を探していた。何校か私が行きたいと思える高校があったのだが、その学校に問い合わせてみると、やはり「出席日数」という問題がついて回った。
そして3年の2学期の終わりも近づいてきた時、担任がある高校のパンフレットを家に持ってきた。それは、「STコース」という「さまざまな事情により学校に通えなくなっていた子」を受け入れるクラスがある高校だった。少人数制で、担任、副担任のふたり態勢のクラスでカウンセラーもいる学校だった。私はそのパンフレットを見て、一瞬で気に入ってしまい、その高校を母と見学しに行くことにした。その高校が、今の私を作ったといっても過言ではない私の母校である。
高校を見学に行き、ますます気に入った。そして、そこでとても親切な先生と出会い、11月にある入試を受けることを勧められた。その後、その勧めどおり受験し、合格することができた。担任がパンフレットをもって来てくれた後、約1カ月の間、事態はどんどん進展していたのだ。
高校で得た、かけがえのない親友
高校が決まってから、私は精神的にもだいぶ落ち着いていったように思える。ひとつの「不安」が解消されたからであろう。そして、私は自分の意志で中学校の卒業式に出ることを決めた。もうその日は絶対に出ると決めてからは、不思議と気負いみたいなものは感じなくなっていた。卒業式の朝、迎えにきてくれた友人と共に家を出た。その時のことは今でも鮮明に覚えている。
そして私は、無事中学校を卒業できた。卒業してからも、不思議と「不登校だったこと」に対して負い目を感じなかった。私は皆が学校へ通っている時間、皆とは違う時間を過ごしてきた。中学生活というものを体験できなかった。しかしその分、学校へ通っていた子が体験できなかったことを体験できたのだ。感じることができなかったことを感じることができたのだ。