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第1章 経験者編

 

人まねでない生き方をしてきたという自信が、私にはあった

高校2年 女子

 

不登校期間 高校2年2月(3年で中退)〜20歳

 

《家族構成》

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自分について

現在の私は22歳で、この春から大学3回生になった。家族は父母と、5つ年下の妹の4人家族。

母方の親戚付き合いは特に盛んで、皆仲が良く、とりわけ私は母のふたり目の姉である伯母(母は7人兄弟姉妹の末っ子)を自分のいちばんの理解者と思ってきた。私は生まれた時から団地住まいで、近所付き合いも盛んだった。母親はずっと専業主婦で、人あたりがよいので友達も多く、私も周りの大人には「いい子だ、いい子だ」とよくかわいがられていた。父親は口数は多くないけれどやさしい。会社員の父は、日中は仕事に行っているし、帰宅しても毎晩お酒を飲むのでそんなに父親との会話はなかった。妹は私にべったりだった。とても仲のいい姉妹だと言われる。

 

―経過―

ある夜の電話

高校は公立の普通科で、地元では2番目の進学校だった。2年間とも女子クラスだった。2年目は「促進クラス」というハイレベルクラスだった。成績は悪くなかった。

2年生の時の夏休み明けのテストで、思うような点数が取れなかった。活発でわがままな、いつもいっしょに行動していた友達にその時初めて点数で負けた。ショックだった。私は「人間、頭のいい悪いじゃないよね」とか言いつつ、彼女に成績が勝っていることで自分のポジションを保っていたと思う。いつも一歩引きつつ、でも自分は成績では勝っているんだからと思えば、どんなに振り回されても我慢ができた。彼女がわがままに振舞えば振舞うほど、私は自分がいい子であると思えた。けれどそんな彼女に負けた。ショックのあまり、彼女とはうまく話せなくなって、教室内でもめそめそするようになっていた。

彼女には成績云々のことは言ってなかったので、私が急に自分を避け始めたあげくにいつもめそめそしているので、うっとおしく思ったのだろう。ある夜電話が掛かってきた。

「私のせいでいつも泣いているんでしょ?先生に私の悪口を言っているんでしょ?もういいかげんにしてよ!」

その電話は、一方的に掛かってきて、一方的に切れた。私はその翌日から、学校に行けなくなった。

母親の行動は早かった。私が泣きはらした目で「学校に行きたくない」と訴えたその日に、私のいちばんの理解者である伯母(母の姉)に電話して状況を説明していたようだった。

 

 

 

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