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【宇多】 昔 、この地域では浜から漁船を揚げ降ろしする際に、船を押す係は女性であったのですが、九十九里町漁協の土田組合長とお話をした際に、「男は力持ちなのになぜ押さないのか」と言ったら、これは男ではダメなんだそうです。冬場でも裸で海に入って行くわけですから、男の場合、力はあっても皮下脂肪が薄いので5分ともたないのだそうです。いずれにせよ女性の方がそういう面では強かったそうで、冬場は陸に上がるよりも水の中にいた方がまだ水温が高かったので、当時彼女たちは、海のことを「九十九里温泉」と呼んだそうです。

 

【平本】 昨年、日本財団で作られた九十九里の冊子の中に小関与四郎さんの写真が載っていましたが、彼は九十九里の「おっぺし」の風景を写真に撮って、それで新人賞をもらったんです。「九十九里浜」という非常にいい写真集です。当時の漁民の苦労が小関さんの写真集を見るとよく伝わって来ます。

 

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浜を支えたオッペシとフナガタ 1960年(昭和35年)頃

フナガタと呼ばれる漁夫たちはいつのころからか全裸、つまり素っ裸で出漁の仕事をした。…大型化した漁船、重量のある焼玉エンジン、とてもじゃないが、櫓でこげる代物ではない。だから大揚繰の場合は、沖ワイヤとか、捨てワイヤと呼ばれるものを海中のイカリにつないであるのだ。これを船についているウインチで巻き出漁する。ところが砂浜だ。へたをすれば船が砂に食い込んでしまう。そのために船の下に敷く盤を運ぶ漁夫だけでは手不足となり、ここで浜の女たちが必要になったわけだ。(小関与四郎著「九十九里有情」より)

 

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薄暗い、まだ明け切れない浜に焚火が勢いよくパーッと燃え上がる。今朝もまた、早い出漁だ。船の舳先で「盤」を持つ女たちは、大波が砕けるごとに悲鳴にも似た声を上げ、打ち寄せる波に耐える…。九十九里浜の厳しい冬の出漁の図である。

やがて、ひと仕事終えた女たちは燃え盛る焚火に暖をとるため群がってくる。

(小関与四郎著「九十九里有情」より)

 

 

 

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