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2000年(平成12年)

平成11年横審第113号
    件名
油送船第二十一大手丸桟橋衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年3月31日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、勝又三郎
    理事官
小金沢重充

    受審人
A 職名:第二十一大手丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
船首部に凹損、桟橋などに損傷

    原因
気象・海象(風圧の影響)に対する配慮不十分

    主文
本件桟橋衝突は、風圧の影響に対する配慮が十分でなかったことによ
って発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年11月4日14時25分
千葉港千葉第4区
2 船舶の要目
船種船名 油送船第二十一大手丸
総トン数 699トン
全長 74.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット
3 事実の経過
第二十一大手丸は、専ら東京湾における油運搬に従事する、バウスラスタ及び可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型の鋼製油送船で、A受審人ほか7人が乗り組み、平成10年11月4日午前中に千葉港葛南区ジャパンエナジー専用桟橋においてガソリン及び軽油を揚荷し、空倉のまま海水バラスト300トンを漲(は)り、船首1.30メートル船尾3.20メートルの喫水をもって、12時25分同桟橋を発し、同港千葉第4区極東石油千葉製油所第3号桟橋(以下、同製油所各号桟橋については「極東石油千葉製油所」を省略する。)に向かった。

A受審人は、発航操船に続いて船橋当直に就き、着桟予定の第3号桟橋には先船が着桟中であったので、時間調整のため機関回転数毎分260及び翼角前進5度の微速力前進にかけ、5.0ノットの速力で手動操舵により船橋水路を南下し、13時10分船橋第1号灯浮標を航過して同水路を出たところで、昼食のため一等航海士と船橋当直を交替して降橋した。
13時25分A受審人は、コスモ石油第2シーバースの北方1.2海里の地点において、食事を終えて再び昇橋し、一等航海士と船橋当直を交替して自ら手動操舵に就き、第3号桟橋に向けて南下したが、代理店から先船が同桟橋を離桟した旨の連絡がなかったので、同時45分千葉港極東石油シーバース灯(以下「シーバース灯」という。)から257度(真方位、以下同じ。)1,000メートルの地点において、時間調整のため停留した。

ところで、千葉港千葉第4区の臨海部には、五井南海岸に極東石油千葉製油所が立地し、同製油所南西側の幅580メートル奥行き920メートルの泊地(以下「千種泊地」という。)を挟んだ対岸の千種海岸には三井石油化学千葉工場が立地して、同泊地には両工場の専用桟橋などが設置され、危険物積載船舶が離着桟していた。千種泊地に面した極東石油千葉製油所の南西岸は、長さ920メートル、その方位線が305度の岸壁で、同岸壁南東端から450メートルまでの間の沖合50メートルのところに、同岸壁と平行に南東端から逆順に第9号桟橋から第3号桟橋まで同製油所の出荷桟橋が設置され、更に第3号桟橋から245度の方向に屈曲して長さ120メートルの桟橋が延び、西側が第1号桟橋、東側が第2号桟橋となっていて、その延長線上40メートルのところに赤色標識灯が設置されていた。また、三井石油化学岸壁のほぼ中央部には、長さ150メートルの三井石油化学第4号桟橋が同岸壁に直角に設置され、同桟橋先端の北方70メートルのところに浅所を示す赤色浮標が設置されており、同浮標と赤色標識灯との間の水路幅は230メートルとなっていた。
A受審人は、これまで第3号桟橋には頻繁に着桟しており、同桟橋に着桟する際は、赤色標識灯の南方約120メートルのところから約1ノットの速力で左回頭を始め、船首が第3号桟橋北西端の屈曲部付近に向いたところで左舷錨を投下し、同桟橋に右舷着けする操船方法を採っていた。
14時00分ごろA受審人は、代理店から先船が離桟した旨の連絡を受け、乗組員を入港配置に就け、機関長を翼角の操作に当たらせ、自らは手動操舵に就いて、適宜の針路及び速力で同桟橋に向かい、同時10分シーバース灯から232度420メートルの地点において、千葉港千種第6号灯浮標を航過して千種泊地入口付近に達したが、出航してくるはずの先船が視認できなかったので、翼角を0度として前進惰力で三井石油化学岸壁に寄って進入していたところ、間もなく出航中の同船が視認できたものの、赤色標識灯付近の狭い水域で同船と行き会うおそれがあったことから、同時14分シーバース灯から200度530メートルの地点において、行きあしを止めて同船の通過を待っているうち、折から突風を伴う南西風の風速が毎秒12メートルに達しているのを観測した。

ところが、A受審人は、第3号桟橋に着桟態勢に入ると、向岸風となる南西風を船尾方向から受けるようになることから、前進惰力と船体姿勢の制御のためタグボートの配置の必要性について考えたものの、この程度の風であれば何とか着桟できると判断し、強風が治まるまで一時着桟を見合わせるなり、操船支援のタグボートを配置するなど、風圧の影響に対する配慮を十分に行わず、先船の通過を待って同桟橋に着桟することとした。
14時17分A受審人は、赤色標識灯の手前450メートルのところから、先船が同標識灯を替わったことを確認して再び第3号桟橋に向けて発進し、翼角を微速力前進まで上げて5.0ノットの速力とし、同標識灯を左舷側に120メートル隔てて航過できるよう進入したところ、強風を右舷後方から受けて船首が右方に切り上がるようになり、迅速に左回頭するためにはある程度の速力を維持する必要が生じ、更に左回頭中は船尾方向から強風を受けるようになることから、過大な前進惰力がついて同惰力を十分に減殺することができなくなるおそれがあったが、保針と速力の調整に気をとられ、依然として着桟を見合わせるなどの措置をとらず、間もなく同標識灯の南西方200メートルの地点に達したところで、翼角を極微速力前進に下げて3.0ノットに減速して進入した。

14時20分半A受審人は、シーバース灯から160度660メートルの地点において、赤色標識灯を左舷側に120メートル隔てて航過したところで左回頭を始め、同時23分シーバース灯から147度720メートルの地点において、第3号桟橋北西端の屈曲部付近に015度で向首し、船首が同桟橋まで120メートルとなったところで、翼角を0度として左舷錨を投下し、錨鎖を走出しながら同桟橋に対して70度の角度で進入したが、3.0ノットの速力で左回頭したうえに、回頭中に船尾方向から強風を受け、過大な前進惰力がついたまま同桟橋に接近した。
14時24分A受審人は、船首が同桟橋まで50メートルに迫ったとき、前進惰力が強いことに気付いて危険を感じ、舵中央のまま、翼角を微速力後進として錨鎖の走出を止め、次いで全速力後進としたが、左舷後方から強風を受けて前進惰力を十分に減殺することができず、14時25分シーバース灯から136.5度640メートルの地点において、第二十一大手丸の船首が015度を向いたまま、約1ノットとなった残存速力で、第3号桟橋北西端付近に後方から70度の角度で衝突し、更に強風に煽(あお)られて船尾が第4号桟橋のローディングアームに接触した。

当時、天候は曇で突風を伴う風力6の南西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
衝突の結果、第二十一大手丸は、船首部に凹損を生じ、第3号桟橋などに損傷を生じたが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件桟橋衝突は、強風下の千葉港において、空船状態で桟橋に着桟する際、風圧の影響に対する配慮が不十分で、船尾方向から強風を受け、前進惰力が十分に減殺できないまま、桟橋に向けて進入したことによって発生したものである。


(受審人の所為)
A受審人は、強風下の千葉港において、空船状態で桟橋に着桟する場合、着桟態勢に入ると船尾方向から強風を受けることになり、前進惰力を十分に減殺することができなくなるおそれがあったから、強風が治まるまで一時着桟を見合わせるなり、操船支援のタグボートを配置するなど、風圧の影響に対する配慮を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、この程度の風なら何とか着桟できるものと思い、風圧の影響に対する配慮を十分に行わなかった職務上の過失により、速力を上げて回頭したうえ、回頭中に船尾方向から強風を受けたことによって過大な前進惰力がつき、同惰力を十分に減殺できないまま進入して桟橋との衝突を招き、第二十一大手丸の船首部に凹損を、桟橋などに損傷をそれぞれ生じさせるに至った。

以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。






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