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2000年(平成12年)

平成12年神審第39号
    件名
貨物船かんさい油送船NO.9ハナ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年9月8日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

黒岩貢、須貝壽榮、小須田敏
    理事官
橋昭雄

    受審人
A 職名:かんさい船長 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
かんさい・・・左舷船首部に破口を伴う凹損
ハナ・・・・・船首部に破口を伴う凹損

    原因
かんさい・・・狭視界時の航法(速力)不遵守
ハナ・・・・・狭視界時の航法(速力、レーダー)不遵守

    主文
本件衝突は、かんさいが、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、NO.9ハナが、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年7月9日06時55分
神子元島北西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船かんさい 油送船NO.9ハナ
総トン数 498トン 647トン
全長 72.19メートル
登録長 57.17メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 956キロワット
3 事実の経過
かんさいは、鋼材の輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、A受審人ほか3人が乗り組み、銑鉄1,495トンを載せ、船首3.55メートル船尾4.70メートルの喫水をもって、平成9年7月8日03時40分兵庫県東播磨港を発し、京浜港に向かった。
翌9日04時00分A受審人は、御前埼灯台の南東方沖合において前直の一等航海士と交替して単独6時間の船橋当直に就いて東進中、やがて日出となり、06時ごろ石廊埼灯台の南西方に至ったとき、霧模様となって視程が1ないし2海里に狭まったのを認め、少し前昇橋した見習い中の甲板員を見張りの補助に就け、手動操舵に切り換えて自ら操舵に当たり、時折操舵スタンド左側のレーダーを監視しながら航行を続けた。

06時25分A受審人は、石廊埼灯台から164度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点に達したとき、針路を神子元(みこもと)島灯台の北0.8海里の地点に向く084度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で進行した。
定針したころA受審人は、左舷船首13度7.8海里に西行するNO.9ハナ(以下「ハナ」という。)のレーダー映像を初めて認め、様子を見ながら続航したところ、06時30分石廊埼灯台から135度1.7海里の地点に至り、視程が1,000メートルまで狭められ、視界制限状態となったが、速力が6.0ノットになるよう機関を半速力前進に減じただけで安全な速力とせず、日出時に消灯した法定灯火を再び表示し、時折手動で霧中信号を吹鳴して続航した。
06時35分A受審人は、神子元島灯台から280度3.0海里の地点に達したとき、ハナのレーダー映像を左舷船首11度4.9海里に認めるとともに、同船が神子元島方向に南西進していることを知り、過去の経験ではそのような船舶は横根に並航する手前で右転することが多かったので、同船もいずれ右転するものと考え、左舷対左舷で航過しようと針路を095度に転じて進行中、同時40分同灯台から281度2.5海里の地点に至り、ようやく対地速力が6.0ノットに落ち着き、このころハナのレーダー映像を左舷船首22度3.6海里に認めた。

06時47分A受審人は、神子元島灯台から284度1.8海里の地点に達したとき、視程が更に200メートルまで狭まったことを知るとともに、ハナのレーダー映像を左舷船首20度1.9海里に認め、その方位に明確な変化がないことから、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、なおも、相手船は右転するから左舷対左舷で航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく続航した。
A受審人は、接近するハナのレーダー映像を見ながら手動による霧中信号を繰り返し、06時51分神子元島灯台から286度1.4海里の地点に至ったとき、同船の映像が左舷船首17度1,700メートルとなり、わずかずつ右方に替わっていることは分かったものの、依然、ハナは右転するものと考え、その後小刻みに針路を右方に変えながら進行中、同時54分半ハナの船体を左舷船首方200メートルにぼんやりと認めたとき、機関を全速力後進とし右舵一杯としたが及ばず、06時55分かんさいは、神子元島灯台から283度1.0海里の地点において、ほぼ原速力のまま147度を向首したその左舷船首部に、ハナの船首が直角に衝突した。

当時、天候は霧で風力3の北風が吹き、視程は200メートルで、潮候はほぼ低潮時であった。
また、ハナは、液体化学製品の輸送に従事する船尾船橋型油送船で、トリクロロエチレン約400トン及びイソデシルアルコール約500トンを載せ、船長Bほか11人が乗り組み、船首3.20メートル船尾4.40メートルの喫水をもって、同月8日20時45分千葉港を発し、大韓民国尉山港に向かった。
翌9日03時45分B船長は、実習航海士1人とともに昇橋し、伊豆大島灯台から022度5.5海里の地点において前直の一等航海士と交替して船橋当直に就き、針路を神子元島灯台の右に向首する232度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて9.6ノットの対地速力として進行した。
05時30分B船長は、稲取岬灯台から116度6.0海里付近に至ったとき、急に霧により視程が200メートルに狭められ、視界制限状態となったため、日出時に消灯した法定灯火を再び表示したものの、12海里レンジのレーダー画面に映る他船は6ないし7隻で、いずれも距離がかなりあったことから、霧中信号を行うことも、安全な速力に減ずることもなく続航した。

06時30分B船長は、神子元島灯台から044度3.4海里の地点に達したとき、針路を237度に転じて進行中、同時40分同灯台から033度1.8海里の地点に至ったとき、6海里レンジとしたレーダーで右舷船首16度3.6海里にかんさいの映像を初めて認め、同船の針路を確認しようと国際VHFにより再三呼びかけるも応答がなかったが、相手船がそのうちに左転するものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わないで進行した。
06時47分B船長は、神子元島灯台から002度1,700メートルの地点に達したとき、かんさいのレーダー映像が1.9海里まで接近したことは認めたものの、依然、動静監視不十分で、同船の方位が初認時とほぼ同じ右舷船首18度であって明確な変化が認められず、著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく続航した。

06時53分半B船長は、右舷船首26度500メートルに接近したかんさいのレーダー映像を認めてようやく衝突の危険を感じ、実習航海士を手動操舵に就かせ、機関回転数調節ノブを急速に回して減速中、同時54分半右舷船首200メートルにぼんやりと相手船の船体を視認し、機関停止に引き続き右舵一杯を令したが及ばず、ハナは、ほぼ原針路のまま6.0ノットとなったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、かんさいは、左舷船首部に、ハナは、船首部にそれぞれ破口を伴う凹損を生じたが、両船とものち修理された。


(原因)
本件衝突は、両船が、霧のため視界制限状態となった神子元島付近を航行中、東行するかんさいが、安全な速力に減じず、前路に認めたハナと著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、西行するハナが、安全な速力に減じず、レーダーによる動静監視不十分で、前路に認めたかんさいと著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。


(受審人の所為)
A受審人は、霧のため視界制限状態となった神子元島西方を東行中、前路に西行中のハナを認め、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知った場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、いずれハナが右転するから左舷対左舷で航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく同船との衝突を招き、かんさいの左舷船首部及びハナの船首部にそれぞれ破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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