曽て、白砂と海鳥たちの島であったこの地に、今では可憐な淡い日々草の花が群生し、「日本最南東端の碑」を潮風にたわむれながら彩っている。花も水もなかった島に白い花がいっぱい咲いたのだ。 それは、南鳥島発見にまつわる水谷新六のことはもとより、明治の海の開拓以来、この島に生き、この島で戦い、そして死んで逝(い)った多くの人たちへの鎮魂の祈りであろうか。 海はなにも語らない。 参考資料 ・南鳥島発見開拓史話(昭和十八年、竹下源之助講演) ・海上保安庁海の相談室 ・戦時中、南鳥島守備隊当時の筆者日記
曽て、白砂と海鳥たちの島であったこの地に、今では可憐な淡い日々草の花が群生し、「日本最南東端の碑」を潮風にたわむれながら彩っている。花も水もなかった島に白い花がいっぱい咲いたのだ。
それは、南鳥島発見にまつわる水谷新六のことはもとより、明治の海の開拓以来、この島に生き、この島で戦い、そして死んで逝(い)った多くの人たちへの鎮魂の祈りであろうか。
海はなにも語らない。
参考資料
・南鳥島発見開拓史話(昭和十八年、竹下源之助講演)
・海上保安庁海の相談室
・戦時中、南鳥島守備隊当時の筆者日記
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