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九月二十日の朝、イライザ号は規則通り抜錨した。海中から引き揚げた錨にびっしりと付着した貝殻が長かった滞在を物語っていた。

ラスが手配した十隻ほどの日本の小船が近づくと、イライザ号の船首に綱をつけて港口めざして曳きはじめた。が、船はほんの三マイル動いただけで小島のそばで停止する。

スペイン兜のように海面から屹立したこの小島が高鉾島だ。ここから最も近い北の浜まで一マイルは離れている。(ここなら船首の錨だけで安心だ)俺は島の風下で船を停めると再び錨を入れた。この停泊が三週間も続くとは、このときの俺は考えもしなかったのだ。

 

 

高鉾島の東側に船を泊めて二十五日が経過した。その間、ようやく揃った積み荷が出島から艀で少しずつ運び込まれた。俺は五百樽の銅を予定通り船底に積み、その上に五千樽を超える樟脳を積み込んだ。こいつをアルコールで薄めたカンフルチンキは、ヨーロッパからインドまで広い地域で鎮痛薬としてもてはやされている。そのほかの積み荷は、会社が買った特別品や故ヘンミー前商館長の遺品、入港時に預けた火薬と銃、俺たち船員に許された少量のみやげ物だった。

十月十六日、(つまり十一月二十三日)奉行所のサムライが船に来た。俺たち乗組員は全員甲板に集められ、乗員リストと照合して点呼をとられ、最後に出国についての注意事項を聞かされた。それで全ての出港手続きは終わった。運悪く風が凪いでしまったので、俺は出帆を明朝に延期する。サムライたちはイライザの周りに数隻の警備船を残して陸へひき上げていった。

 

 

 

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