大震災を後世に伝える灯台
江埼灯台のある淡路島は瀬戸内海国立公園の東部に位置し、古来より都から四国への要路として栄え、「阿波への路」から淡路と名付けられたといわれています。
この灯台は、イギリス人のR.H.ブラントンによって設計され、我が国でも8番目に建設された洋式灯台です。兵庫県家島産の御影石を使用している灯塔や付属舎は、明治4年(1871年)に初点灯した当時のままの姿を残しています。
灯台からは、世界最長の吊り橋である「明石海峡大橋」を望むこともでき、ここから見る明石海峡の眺めは格別なものがあります。
この海峡は昔から好漁場として漁業が盛んであるとともに、国内で最も船舶のふくそうする海域であり、この灯台の果たす役割は図り知れないものがあります。
平成7年(1995年)1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」は、この灯台の真近が震源地となったため、灯塔付属舎の石積のズレとともに、灯台敷地構内地盤には、地割れ、スベリ(移動)、陥没(沈没)も発生しました。
この震災を後世に伝えるため、灯塔付属舎は、石積をズレたまま残すこととし、充分な耐震強度が発揮できるよう目地をモルタル詰替えによる補強を行い、また、野島断層である地割れ部分は、出現した位置と形を出来る限り地表面に残すようにカラーコンクリートで舗装して保存を行いました。