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孝行したくない親も養っているのが実情です。ですから正確には全人口に対する生産人口の比率を見なければならない。この比率を労働力率と言いますが、それで比較するとまだまだ労働力には余力があります。将来若い年代が減っても、労働力率への影響は2〜3人で1人などと言うほど深刻ではない。生産人口のすべてが働いているのではありません。日本では女性はあまり職を持っていません。それから生産人口年齢の青年が働いているか。昔は高等小学校を出るやいなや就職していました。今はそんな人はいません。ほとんどが大学進学です。その状態が今と同じで続くと仮定すると、2025年の予測就労率はほんの僅かしか低下しないのです。それとは別に、男女を含めた就労実態を見ていただきたい。先進国は日本を含めて、概ね総人口の49%が就労しています。つまり人口の約半分が働くと全員が暮らせるという図式が見えるのです。就労していない残りの半分への資本移転は、アメリカでは個人の責任ですが、スウェーデンでは完全に政府におんぶに抱っこです。日本は税や年金の不平等が制度未熟の特徴ですが、収入を老人や子供に再配分する点では同じ目的です。人間の作る社会ですから、そう極端な差はありません。制度の如何に関わらず半数が働けば全員が暮らせるのが先進国共通の姿です。

それともう一つ、途上国の人口増加が爆発的に進んで脅威になるという説ですが、途上国のいずれをとっても、先進国の後を追うように子供の出生が縮小しています。1990年のWHOの統計から取った資料でも、韓国で既に相当なスピードで出生減少が起こっています。インドネシアは典型的なピラミッド型の人口構成で、近代化はまだまだと思っていました。インドは基礎教育の普及、男女差別、階級差別などと悲観材料ばかりでした。ところが1997年の調査ではインドネシアの出生率が減り出しました。さらにさすがのインドの人口増加の暴風も止まりつつあります。結論は先進国も途上国も子供は生まれなくなりつつある。すると日本は先頭を切って若者が減るから、不足する労働人口を外国から受け入れようなんて虫の良い話は不可能になります。労働力を輸出したら自国の生産が不足します。東南アジアの国はすべてそうです。メキシコでも、ブラジルでもそうです。

 

超高齢の恐怖

 

後は超高齢の恐怖です。高齢社会が進むと介護を要する病人が激増する。そして国が滅びるという暴論があります。専門に踏み込み過ぎるので詳しい説明はしませんが、ヒトでもどんな生物でも生命力というべき数値が計算出来ます。これは生存率曲線から導き出すことができます。生命力とは具体的に何だと言われると困りますが、コップの容量だと思って下さるといいのです。コップに環境の傷害因子と内的な遺伝的傷害因子を注ぎ込む。生命力を表すコップが満杯になって溢れ出るのは、生命力が死力に埋め尽くされて死ぬ意味になります。すべての寿命モデルの理論は、生命力と死力の拮抗関係がようやく平衡を保っている間は生命は存続する。平衡が破れた時に死ぬという仮定上に成り立っています。その生命力を理論的に厳密な方法で計算した、最も新しい第18回生命表と比べると、百年前から逐次拡大してきて、このところ延びの速度がちょっと鈍る傾向にある。傾向は無視して、生命力が1995年の1.5倍になるという乱暴な条件で計算しますと、寿命はどれだけ延びるか。いかに頑張ってみても、100歳を超える人は僅かしか増えません。生命力の変化に有り得ない仮定を入れても、今と同じ罹患率なら病気の人も僅かしか増えない。子供や青少年は今以上に健康になって、事故以外では死ぬ確率は減る一方です。このぐらいの病人が世話できないでどうしますか。なにより未来は、病気で寝たきりや痴呆で分別を失いながら、長生きするのではありません。元気だから長生き出来るのです。それを大袈裟に騒ぐのはおかしな話で、どこにも正当な根拠はない。

未来社会の人口問題を解くには、ステラというダイナミクスのモデルを使うと非常に簡単です。慣れた人なら10分間で1つの国の人口モデルを作れる。一例として、山口の東和町は、あと数10年で人口が消滅すると、同僚の藤正教授が計算しています。もちろんモデルの長所を生かして、対策を検討してみますと、定年で引退した世帯を受け入れる案は全然だめと分かります。

 

 

 

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