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CASE2

 

I. 泣いている自分が本当の自分だと思います

訪問看護婦として働く

 

一緒に悲しんでくれる他人がいる

現在はケアマネージャーとして働いていますが、それ以前は、訪問看護婦をしていました。訪問看護の仕事は私の天職だと思っていましたが、いろいろなことがあって辞めました。利用者との関係で大変なことが重なってきたことと、看護婦としての力量が不足していたことがその理由です。

まず、看護婦の資格をもちながら長い間主婦をしていた「潜在ナース」で、その後仕事を始めたこともあり、在宅で高度医療が求められるようになると、それについていけませんでした。若い優秀な看護婦たちに大変なケースばかり回されるのを、いつも申し訳ないと思っていました。

しかし、もっと大きなきっかけは、利用者との関係です。私は、目の前にいる人の苦しみをそのまま自分のものとして感じとってしまうところがあり、自分自身が辛くなっていきました。

訪問先の精神的な病のあるお年寄りから、過去の辛かった人生の話を1時間も聴いたときには、まるでジェットコースターのように、その人の人生を追体験したような気分でした。その日は、訪問看護ステーションに帰ってから長い時間泣きつづけていました。同僚がカウンセリングをしてくれ、そして「その場で我慢せずに泣けたらよかったね。そうすれば、『あなたと一緒に悲しんでくれる人がいる』ということを伝えられたのにね」と言ってくれました。

一方では「利用者の前で泣いたりするのは、職業人としてどうか」という問題もあります。今の私は、距離をおいて接する自分と、人間として相手の気持ちに同調する自分という2つの答えをもつことができます。

訪問看護婦をしていたときには、他にももっと大変な状況の家族と出会い、たくさんの出来事があり、本当によく泣いていました。

今はケアマネージャーとしてたくさんのケースをもち、利用者とはある程度距離をおいて関わっています。精神的には今の方がずいぶん楽ですが、私は今でも泣いている自分が本当の自分だと思っています。

 

 

 

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