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講演

 

海底地形情報で知る津波の特異点

都司嘉宣 (東京大学地震研究所助教授)

 

はじめに

津波というのは、人がもっとも死ぬ自然災害である。阪神淡路大震災は神戸市を始め阪神淡路地方に大きな被害をもたらし、6,000人あまりの犠牲者を出した大災害であったが、それでも、全住民あたりの死者数が10%を越える、ということは起きなかった。ところがその2年前に起きた、北海道南西沖地震の津波のさいには、奥尻島南東部海岸の初松前(はつまつまえ)の集落では、全人口80人のうち32人が死亡するという惨事が起きた。じつにそこの住民の40%が死亡したのである。

さらに明治29年(1896)の明治三陸津波や昭和8年(1933)の昭和三陸津波の事例を調べると、全住民に対する死亡率が90%を越えた場所がいくつも存在する。じつは、そのような集落の事例では、津波の来襲時にそこにいた住民の100%が死亡し、生存した10%足らずの人というのは、津波来襲時にたまたま所要でその集落を離れていた人であった、という例が多い。気象庁の津波警報の発令体制の精度が増し、海岸に防波堤・防潮堤が配備されても、津波はいぜんとして人の命を奪う自然災害の筆頭なのである。

津波の過去の事例を詳細にみてみると「津波の特異点」ともいうべき地点があることに気付いた。津波特異点とは、津波の波源の位置や条件が多少ちがっていても、いつもそこだけ近隣周辺の地点よりも津波が高く現れる場所のことである。

三陸海岸のようなV字湾の一番奥では、湾に入ってきた津波のエネルギーが最終的に集中するため、その湾内ではいつも津波の最大被災地となる、ということはしばしば指摘されている。これもまた津波の特異点といいうるであろうが、V字湾の奥が特異点になるというのはあまりにも常識的であって、とくに海底地形情報を持ち出すまでもない。

筆者は、日本海中部地震(1983)の直後の調査で、孤立した島や、半島の先端付近では、直線状の海岸線上の地点でよりも津波が高く現れやすいことを見いだした(都司ら、1984)。三好(1968、1977)は周辺の海底斜面部が大きく拡がった島ほど津波のエネルギー集中が大きくなることを理論的根拠とともに指摘した。それによると、遠地津波では、津波の発生海岸の海岸線に垂直な線の延長方向に津波のエネルギーが多く放射されるという「津波の指向性」を指摘することができる。

1998年7月17日の夕刻、パプア・ニューギニア国の北海岸のAitape市沖海域に起きた地震による津波は浸水高さ15mと計測され(河田ら、1998)、約2000人の人が津波によって死亡したが、このとき、津波による被害はわずか35kmの長さの海岸線のうちにある集落に限られ、しかも甚大な被害を生じたのはSissano潟湖の砂州の上にあった2集落にほとんど限られることが判明した。

津波の特異点に関して歴史史料をひもとけば、紀伊半島の南東海岸に位置する尾鷲市賀田湾では、いつも決まった集落が津波の大きな被害を受けていることが判明した(Tsuji et al., 1990)。

以上のような、津波の特異点は、いずれも詳細で正確な海底地形図があれば、数値計算によって予測可能なものである。ただし、特異点が現れる数理的な機構は、北海道南西沖地震の津波の例、およびパプア・ニューギニアのAitape地震の例と、賀田湾の例ではおのおの異なっている。

 

 

 

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