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以上述べてきたように、単なる儀礼としての競漕か、それとも本格的なスポーツとしての競漕かによって、船をはじめ漕具もそして漕ぎ方も変わっていく。ではどうあればよいのか、決めることは難しい。事態の推移を見守る以外になかろう。

ここで櫓の漕ぎ方について取り上げておきたい。しかも1丁櫓に3〜4人が取りついて漕ぐ漕ぎ方のことである。櫓は日本の漕具としては代表的なものであるが、1丁櫓に3〜4人が取りつく漕ぎ方となると想像がつかない人が多いように思う。芸術品と思われるようなこの漕ぎ方が現在危機にひんしている。こうした漕ぎ方は大きな船や競漕船でしか見ることができないだろう。それが、漕ぎ手不足もあって、ほとんど見ることができなくなった。そこで、記録を残す意味で取りあげておきたい。

一般に1丁櫓を2人で漕ぐ場合は、1人が櫓腕に、1人が櫓ベソがはずれないように、同時に漕ぎ易くするための補助をする。これは対馬などによく見られた。対馬ではこの補助役は女性がになっていた。しかし、3〜4人になると大変である。1丁に取りついた人が連係を保ちながら流れるように漕がなければならない。つまり間断のない連携が必要になってくる。櫓腕の方から3〜4人が櫓にとりつき、一緒に押し引く動作をおこない、櫓腕にいちばん近い人が全力で十数回漕ぐと漕ぎ手たちの股間をはうようにくぐり抜け船べりの櫓ベソをおさえる。同時に残る3人は櫓腕の方へ順に移動し、この動作をくり返す。この連携は実にみごとである。三重県の二木島や愛媛県津島でもみることができるが、このような独特な漕ぎ方はぜひ保存すべきである。

●競漕形態

つぎに競漕形態であるが、まずコースは片道コース、折り返し往復コース、それに巡回コースに大別される。なかでも沖から浜へ漕ぎ込む片道コースが一般的である。この方法は全国的にみられる素朴な方式であろう。これはまた宗教的には沖の彼方より神を乗せてやって来ることを意味している。つまり福を招来するというのである。しかし、戦後は浜に岸壁が建設され、競技方法が変わったところも多くある。櫓漕ぎの場合は片道コースが多い。そして興味深いのは、かつては壱岐・山口県日本海側にみられたように、単に浜まで漕ぎ込むだけでなく、丘に上がり、丘の上の旗を奪取してレースを決していたことである。つまり海と丘のレースが両方そなわった方法であった。同様な方法が沖縄・八重山地方で現在もみることができる。比嘉政夫氏の報告によれば、香港でもこうしたレースをみることができた。こうしたレース形態は単なる偶然ではない。我が国をはじめ同様な事例がもっとあるはずである。今後の課題としたい。

沖縄では、かつてはほとんどが片道コースで沖合から浜に漕ぎ込んでいたようだが、今日では浜に港が建設されたため、港内で実施されるところが多い。したがって距離が短くなったためか、ほとんどの地区で往復コースをとっている。長崎のペーロンは明確にみせることを目的としたレースになっており、往復コースをとる。距離はかつてのような距離はないが、レース形態は近代スポーツのレースとほぼ同じ方式である。ここにも沖縄と長崎の相違が明確になっている。

 

 

 

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