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もし、これらの条項に違反した場合は、後から分かった場合でも、査検して罪に処するというものである。

條々(諸船渡場ニ立ツ)

1] 前々ヨリ有リ来リ渡船、懈怠無クコレヲ出シ、昼夜アイ滞ズ様ニ、勉ムベキノ事。

2] 往還ノ輩、繁多ノ時、残ズ船ヲ出シ、人馬荷物等滞ズ、情ヲ入レコレヲ渡スベシ、奉公人ノ外賃銭ヲ出ス輩ヨリ、猥ニ申掛ケ、御定外賃銭多ク取ルベカラズ事。

3] 荷物付ナガラ、馬ヲ船ニ乗スベカラザル事。

右ノ條々、違背ニ於テハ、後日ニ相聞トイフ共、穿鑿ノ上、嚴科ニ処サレルベキモノ也。

寛文六年六月廿二日 奉行

 

(3) 渡しの安全に関する規定

何時の時代でも船の安全は、重要な関心事である。渡し船に出された規定や高札の中にも、これに関するものは少なくない。

例えば貞享2年(1685)に出された規定では、法外な渡し賃の要求を禁止、旅人の渡し場での停滞防止の規定に加えて、一度に一つの船に大勢の人を乗り込ませて渡船を危険に陥れることのないように戒めている。特に、この規定では、まえもって水量に応じて渡しの料金をや乗船人数を定めさせておき、船賃の公平徴収と乗船定員の超過防止に触れていることが注目される。

1] 従先規御法度之趣、無絶可相守事、(中略)

2] 舟渡又は歩行渡之川々において、舟賃並川越人足賃、猥に多取之候由相聞候、水之深浅にしたがひ、問屋方に而吟味之上、賃銭員数相定、如何様之軽旅人たりといふ共、高下なく、其場所に役人を出し置、賃銭可取之候、且又船渡の場所において、往還之旅人滞致迷惑之由、令承知候、乗合之者之内、急用有之罷通り候者、数多可有之候、小勢たりといふとも、待せ不置、差当り旅人先々に無滞可漕渡事、

附川之渡舟、乗合多勢込乗由候故、船危儀共有之段、内々令承知候、如前條乗合之人数少可乗之事、

右之條々、宿々問屋年寄令承知、此紙面写留め、問屋場に張置、堅可相守候、若於致違背は、後日に相聞といふとも可為曲事者也、

十一月

川の渡し舟は、小さな舟に人や牛馬を乗せて渡すのであるから、整備が悪い場合や、乗せ過ぎると転覆の危険が大きいことは言を待たない。ましてや強風や高波など天候が不良の場合は、一層の慎重さが要求されるのは、現在でも変わらない。したがって、これについても徳川時代になると種々の規定がおかれるようになった。

正徳6年(1716)に出された町觸によると、

「あやまちより出来候事にて、故ありて殺し候とは同じからず候につきて、只今迄は罪科にも行はれず候、然に近来此等の類度々に及び候事は、下賤之輩、其つつしみ無き故と相見え候、然らばすべて其罪なしともいふべからず、自今以後は此等の類たとひあやまちより出来候て、人を殺し候とも、一切に流罪に行はれ、事の體によりて、猶又重科にも行はるべきもの也」と書かれている。

だんだんと交通が盛んになるにしたがって死亡事故も増加し、幕府もほおっておけなくなって、過失致死についても処罰をするようになった事情がよく分かる。

また、享保2年(1717)には、渡瀬川に本来二隻備えておくべき渡し舟を一隻破損したまま、残りの一隻で運行していて、市の日に大勢が乗り過ぎて転覆し、溺死者を生じた事件について、それを管理していた村役人に対し、「船損候はば早速修復いたし、二艘揃置可申處、不埒に候、此儀第一に申聞、並船場世話不仕、旁々不調法の至に付、」と「名主は所払、組頭は重過料」の罰を課している。

さらに、御定書百箇條中にも「渡船乗沈、溺者有之ば、其船之水主、遠島」と定められており、時代が下って寛政年間(1789-1800)の寛政刑典においては、「渡船を乗沈、溺者有之候はば、其船之水主、死罪」と重くなっている。

 

 

 

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