国会は2000年8月、これら2疑惑を調査する特別委を発足させ、大統領の召喚を決めた。しかし、大統領はこれまでの懐柔路線から態度を一変させ、特別委を「憲法違反」「政治的道具にすぎない」などと激しく非難。2度の召喚に対して欠席、途中退席と非協力的な姿勢を貫き通した。こうした大統領のかたくなな姿勢は、かえって国民に不信感を招き、大統領辞任を求める大規模デモも発生している。国会は、2001年2月に、ワヒド大統領に政務改善を求める第1次覚書を提出し、弾劾プロセスを正式に開始した。規定通りにプロセスが進んだ場合、約半年後に不信任決議が出る運びとなる。しかし、大統領は依然続投に強い意欲を見せているため、直ちに交代劇が起きる可能性は低いと見られるが、この間、政党同士の抗争などで治安が一層不安定となることが懸念されている。
政体:共和制(大統領責任内閣)
議会:
国民評議会(MPR,99年10月〜、定数700名、内500名が国会議員の兼任、135名が地域代表、65名が諸組織代表)
国会(DPR,99年10月〜、定数500名、内35名は大統領が指名した軍人、比例代表制、任期5年)
主要政党:
「闘争インドネシア民主党(PDI-P)」
「ゴルカル」
「開発統一党(PPP)」
「民族覚醒党(PKB)」
「国民信託党(PAN)」
内閣:ワヒド大統領
任期:最高2期10年
1-3 経済
インドネシアは1969年に最初の5ヶ年経済開発計画を導入した。これは1945年の独立以来、はじめて経済開発のために着手した措置であった。比較的安定した政治情勢において、国際通貨基金(IMF)、世銀、アジア開発銀行(ADB)、インドネシア援助国会議(IGGI)、インドネシア援助協議会(CGI)に参加する援助国の支援に基づいて、第1次から第6次までの開発計画が導入された。1997年まで、インドネシアは年率約7%の経済成長を享受してきた。1969年に90米ドルであった国民1人あたりのGDPは1997年には約1200米ドルに増大した。
しかし、1997年のアジア通貨危機の影響で経済状況が急速に悪化。国際通貨基金、世銀、アジア開発銀行やインドネシア援助協議会(CGI)の加盟援助国の支援で、インドネシア緊急経済再編計画が合意され、実行に移された。1998〜99年度に約120億米ドルの支援が食糧供給と社会安全保障プログラム(失業、教育、保健等)のために割り当てられた。