戦後40年経(た)った1985年(昭和60年)、硫黄島で戦った日米双方(そうほう)の元兵士や、遺族(いぞく)たちが、戦死者の追悼(ついとう)への式典(しきてん)のため硫黄島で再会(さいかい)しました。
その時、元兵士の祖父(そふ)に連れられ、硫黄島に行った16歳のアメリカ人の少年が、感じたことを当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンにあてた手紙です。
親愛(しんあい)なる大統領
私の生涯(しょうがい)に深い刻印(こくいん)を残した個人的体験を大統領にも知っていただきたくペンをとりました。
1985年2月
男達は近づいて初めはためらいがちに握手(あくしゅ)をしていました。
そしてやがて抱き合い声をあげて泣き出しました。
40年前、今は老人となったこの二人は、摺鉢山(すりばちやま)の山頂(さんちょう)で互いに殺しあおうとしていました。
それがわずか40年後どうしてこのように変わり得たのか…
私はもちろん自分の国を愛し、いったん戦争となれば銃をとり戦うつもりです。でも、自分の孫が将来その人を抱きしめると知っていたなら敵として殺すことをためらうでしょう。
島で私は最年少だったので他の誰よりもこの日のことを長く記憶にとどめることができます。硫黄島で学んだことをできるだけ多くの人にわかち合うのが私の義務(ぎむ)だと感じています。
マイケル・ジャコビー