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「もったいない」は私の口癖

河田弘太郎(かわたこうたろう)

 

平成六年師走も押し迫ったある日、真夜中に電話のベルが鳴った。

「今じぶん何事だろう」

海上保安庁に勤める私は、その時、家族を香川県に残し、富山県高岡市に単身赴任していた。

それまでも大きな海難事故があると、真夜中でも呼び出されることがあったし、また、単身の身では家族のことが常に脳裏にあって、不吉なことを心配しつつ受話器をとった。

「河田さんですか。私は毎日新聞大阪本社の編集部の○○です。こんなにおそく電話しまして申し訳ありません。お休みだったでしょうね」

「いいえ、まだ起きていましたけど、夜は遅いほうなんですよ。ところで何でしょうか」

「そう言ってくださると少し気が楽になりました。この度は年末特集に応募いただきまして有り難うございました。応募数が非常に多かったのですが、あなたの原稿と他に数編を、今日、東京本杜へ送りました」

毎日新聞では、来年がちょうど、戦後五十年に当たるため「みんなの広場」の年末特集として、「戦後五十年に思う」と言うテーマで原稿を募集していたのである。

「ありがとうございます。戦後の物の無かったころの話ですから、若い人はどこの国のことかと思うでしょうね」

「あなたの原稿を読んでいて、私のことが書かれているような錯覚に陥りましてね。境遇が非常によく似ているんです。戦争で父親を亡くし、小学生の私を頭に兄弟が多くて、すごく貧乏で。私もよく米びつをのぞきましたよ」

「米びつをのぞくと、家の状態がよく分かるんですね。お米や麦がたくさんあればホッとするんですが、少なかったら、やり切れない気持ちになるんです。でもどうすることもできない、それは分かっているのですがね」

「学校での弁当の時間は辛かったですね。あなたも弁当を持って行かず、運動場の片隅で遊んでいたと書いていましたが…」

「わが家では、水物が多かったですからね。時間になると、そっと抜け出して食べに帰ったり、目につかない所で遊んでいました。給食はまだ普及していませんでしたからね」

このころ、母から強く言われていたことがあった。それは、どんな物でも大切にすることと、少しの物でも皆で分けあうことである。

少しの菓子を分けた時のこと、大きい小さいで争ったことがあったが、母の分を見て、皆黙ってしまった恥ずかしい思い出もある。

人は幼少時代に受けた教えや環境が、後の人間形成に大きく影響すると言われている。

私の貧乏性はこのころにしみ込んでしまったのかもしれない。

飽食の時代と言われる今も、弁当のふたについた米粒が非常に気になるし、宴会などで肉や魚の料理が次々出てきて、食べ残しが増えはじめると、「もったいない」を連発してしまう。職場では、所長の貧乏性が始まったと、よく冗談交じりに言われた。

その私があきれるぐらい貧乏性の人がいる。母である。昨年米寿を迎えた母は、決して物を粗末にしない。捨ててよいような物でも、きれいに整理してとってある。捨てようものなら、「もったいない」を連発する。

母や私がこれを連発しだすと、子供たちは「また、わが家の貧乏性が始まった」とあきれた顔をするが、その子供たちが最近、「もったいない」と言っているのを時々耳にする。

母から私へ、さらに子供へと、血は争えないものだと悦に入っている今日このごろである。

(エッセイ集「遍路宿」より)

 

 

 

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