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私は今盛んにいわれている海難事故防止対策の一環として進められている救命胴衣を着用していませんでした。もし着用していたとしても、僚船まで泳ぐんだという目的を持った時、長靴や合羽ズボンと一緒に脱ぎ捨てたかもしれません。

身軽にして泳ぎ始めた私は、どの泳ぎが一番よいのかをやってみました。まず、クロールは早く泳げますが、年配の者には体力的に続きませんし、また海水を飲む率が高く、長時間となると海水を飲むことにより体の浮力に影響をきたすものと思いました。結果背泳ぎが一番よいと分かりました。背泳ぎは遅いですが、体力は長続きします。長時間泳ぐ時はこれだと分かりました。

背泳ぎで時間がかかり、何とか僚船まであと一五〇メートルの所まで行き、もう少しだなあと安心したような気持ちでさらに泳ぎ、くるっと回転して見た時、そこにいたはずの僚船は仕事を終え帰港についてしまっていたのです。

がっかりしましたが、思い直して次の目標をと見渡すと、大体三〇〇メートルぐらい向こうにロシア船と思われる船が停泊しているのが見え、それを目標に再び背泳ぎをはじめました。目標を確認するために再三体を回転していると時間がかかるので、なるべく背泳ぎの時間を長くして、しばらくしてから目標を確認するととんでもない方向に泳いでいるのです。

これではどうしょうもないなあと思い、背泳ぎでも方位を定めることの出来る方法をと考えたのが、太陽で泳ぐ方向を知る方法でした。太陽を私の左目で見て泳いでいれば、目標の停泊船に真っ直ぐ着けることを確信し、ひたすら泳ぎました。

上に着ているポロシャツが首にまつわりついて苦しく、これでは駄目だと脱ごうとすると体が水中に沈んでいき、なかなかうまく脱げないので、襟の所から裂いて脱ぎました。また、胴巻きは腹が冷えたらいけないと思い着けていました。

一心不乱に泳ぎ、しばらくして目標船を見た時、もう半分は来たようでしたが、夕日は赤く染まっていました。太陽が沈んだらまずい、それまでにあの船にと泳ぎはじめたとき、体が水平にならず足の方が下の方に下がって、中々水面に上げることが出来ません。体そのものが沈むようなその時、一、二度海水を思い切り飲んでしまい、それまで感じなかった死ということを感じました。海で死ぬとはこのようにして死ぬんだと。

人間の体は疲れ果てると海面に浮いている浮力もなくなり、沈むのかもしれません。でも俺は、こんな所で沈んでなんかいられない。頑張るんだ。声に出して自分に頑張れ、隆がんばれと自分を励ましました。

そのような状況の中で思い出されるのは、やはり妻、子供、友達のこと、しかし弱気になってはだめです。俺はだめかなと思った時に死につながるのだと思います。なんでも俺は頑張るという根性だけは持ち続けなければならないと思いました。

そのような思いでまた泳ぎはじめましたが、頭越しに顔からくる海水が口に入りそれを吐き出す、喉もあれてきてひどく痛い。泳ぐ速さが早ければ早いほど海水が口に入るので、足の動きを止めて手だけで泳いでみたら、口に入る海水が少なくなりました。

そのようにして泳いでいると、しばらくして手で漕ぐ海水の冷たさが足にすうすうと感じられ、ああ、体温がかなり下がったなあと思い、これでは駄目だと思いゆっくりまた足を動かすと、冷たさが感じなくなりました。足は動かしていないとだめだと思いました。(海中転落に遭遇した場合、救命胴衣を着ていても体温を保つために手でも足でも絶えず動かしていることが、自分の体温を少しでも長く維持することにつながることが分かりました。参考にしてほしいと思います。)

目標船に五〇メートルに近づいた時、三人のロシア船員が私に近づき二人が腕を一人が足を押し、船まで行き何やら言いました。私には何を言っているのか分かりませんでしたが、多分、縄ばしごを一人で上がれるかと言ったのではないかと思いました。

私は、自分で縄ばしごを登って乗船、ああ、やっと助かったと本当にほっとしました。午後六時ごろでした。

 

 

 

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