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(2) 人口

人口は町発足時の昭和30年には、約25,000人であったのが、昭和45年には、約20,000人まで減少しましたが、その後工業団地の導入等で雇用の場が確保されたことにより、人口減少に歯止めがかかり、人口(平成7年国勢調査)23,070人と回復、現在は微増ないしは横ばいとなっています。将来人口は、第3次日野町総合計画で西暦2000年で27,000人とされていましたが、達成にはいたらず見直しが必要となっています。

 

(3) 産業

従来、豊かな農地を生かした農業主体のまちであり、現在も主力産業の一つですが、全国的な農業環境の悪化に伴って、日野町においても徐々に衰退しつつあります。一方、近年の工業団地の進出に伴って、町の主力は工業中心の産業構造に移行しつつあります。また、商業は、モータリーゼーションの進展によって、他市町への流出が激しく、停滞状況が続いています。観光・レクリエーションの分野では、石楠花、綿向山等の自然系が主流であり、加えて近年官民共同の農業公園である「ブルーメの丘」が開設し、多くの人を集めるに至っています。歴史的な町並みを訪れる人は近年多くはなっていますが、全体的な比率は小さいものとなっています。

産業とまちづくりを切り開くものとして、びわこ空港の建設が懸案でしたが、平成12年に滋賀県が見直し宣言を行ったことにより、事業実施の見通しは立ってはいません。空港建設が真に地域のメリットとなっていくには、単に空港を活かした産業コンプレックスの形成のみならず、地域交流の柱として、地域の良いところを伸ばし、地域の光を全国・全世界に発信していくことが最も重要であると考えられます。

 

(4) 全町的な課題

先史時代より豊かな大地に育まれ、幾多の文化を育ててきた日野町は、近江商人の一つである日野商人発祥の地であり、中世における蒲生氏の繁栄とともに、常にその時代の先進的地域として栄えてきた歴史を持っています。

近代に入り、国土幹線軸から遠のくこととなり往時の繁栄は失われたものの、農業事業の取り組み、工業団地の誘致、区画整理のまちづくり、農業公園の誘致等の時代を先取りしたまちづくりに取り組んできました。その結果、人口約23,000人のまちとして、日野町は歴史と白然が豊かに残り、かつ工業団地や区画整理等の新しいまちづくりがバランスしているまちであるといえます。

しかし、一方で中心のまちは、徐々に停滞し、歴史的な町並み整備も取り残された状態で、まちのアイデンティティが薄れつつあります。時代は少子・高齢化に移り、今、自分のまちに住む意義が問われるようになっています。このような時代を受けて、今までの価値観を転換し、皆が誇りを持ってまちに住む状況をいかにして作り上げるかが、今後の大きな課題であると言えます。

その課題に応える一つの方向として、永い間培われてきた歴史的な資産を活かしたまちづくりに本格的に取り組んでいくことは、まさに時代の要請であると言えます。

 

 

 

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