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特に地質学的時間を経て生き続けてきたある種が、数十年という極く短いタイムスパンで急速に絶滅への道をたどることは、地球生態系から見ても異常事態と言える。生物種の絶滅は古生物学的には日常的な現象とされ、ヒトによるインパクトと気候変動などが同じ俎上で議論されることもあるが、地史的絶滅の時空間スケールと比較すれば、数十年での種の絶滅はあまりに短い時間である。

希少生物が存続していくための実効的な保全対策としては、その種の生活史が健全に全うされることが必要である。カブトガニについては、産卵と発生に砂浜、幼生の成育に干潟、成体の摂餌域として沖合、といった内湾沿岸および河川感潮域の地形的要素がセットで必要なため、その生息地の保全を当該地の生態系の代表種として位置付けることは他の構成種の保全に対しても意義があると考えられる。その意味では、カブトガニは象徴的生物と言える。

 

II 海岸・河川の自然環境保全と人間の生態 ―水辺での人の生態の表現としての漁村―

1999年度には、水陸インターフェースの生態のなかでも、生物のなかでも特異的な存在である「ヒト」の生態の表現形態のひとつとして漁村を取り上げた。漁村は漁業という第一次産業を中心にしたコミュニティである。栽培漁業が進んだとはいえ、基本的には天然資源に依存しているため、漁場という場を持続的利用が可能な環境を保たないと漁業自体が成立しないはずである。漁村は「多自然居住地」として見なおされてもいるが、現実の日本の漁村は、大半は海辺に立地はしているが、もはや多自然と堂々と言える状態にはない。それは、いささか寓話的な理由による。

明治以降、日本の漁業は自国での消費だけでなく、貿易品としての価値を見出し、沿岸から沖合、遠洋へと漁場を拡大してきた。さらに、第二次世界大戦によって、労働力や漁船の多くを失いつつも、戦後の復興期には、漁船のエンジンの搭載や大型化、漁労の機械化、漁船の大型化により花形産業の時代も謳歌した。一方で、漁村から都市部への人口流出が激化し、漁村の過疎化も進行した。その防止策として、各種の漁村振興が行われたが、その中でも漁港という漁業のベースステーションの基盤整備が急速に進展し、全国に約3000の漁港が建設された。その結果、確かに大型漁船の係留が可能となり、荷揚げの利便性も増大し、省力化には貢献した。しかし、皮肉なことに漁港や沿岸の「整備」が漁場の質を低下させる原因のひとつとなってしまった。(事例:写真1、写真2-a、2-b、2-c)

例えば、ウニ、アワビ、サザエ、などといった地先で採集される魚介類の生息地は、漁村の「地先」の海であり、小舟や徒歩で漁場に行くことが出来た。高齢者や女性、時に子供もそのタイプの漁労には参加できた。この一番便利で、かつ、海岸生物の生産性が高いエリアこそが、漁港に置き換わっていった。こういった漁港建設は、もちろん悪意があったわけではなく、利便性を優先させたのだが、計画当時には港が建設される場所のみを喪失する程度の認識であったと思われる。なぜなら、港周辺には、「いくらでも自然海岸が残っていた」からである。

ところが、いくつかの誤算があった。それは、港周辺に泊地や漁業施設や漁村集落の拡大のための埋立、湾岸道路などの構造物の建設などによる人為改変、さらに生活・工業排水の流入による水質悪化などが累積して、沿岸生態系がひどく衰退してしまったのである。また、構造物の影響は、港周辺にとどまらず広域的な影響をもたらした。

 

 

 

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