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24歳の春に考えたこと

里野美佳(山梨医科大学医学部4年)

 

私にとって今回のフィリピンの旅は、今までのいろいろな経験から得た考えや想いをまとめ、さらに大きな気づきを与えてくれるものでした。

援助・協力というのは、だれがどのような状況になったらよい。と思ってやるものなのか。実際に仕事として援助・協力をやっている人達はどのように考えて様々な判断を下しているのか。外国人としてある国にかかわる時、それは双方にとってどのようなメリット、必要性があるのだろうか。今の西洋主導型の援助では、豊かさの指標、幸せの物差しが先進国のもののみのに統一されていて、全ての国が同じ方向を向いて発展・開発されてしまうのではないか。私がアジアで働きたいと思っている心の奥底では、自分は果たして何を思っているのだろう。このような疑問は、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の学生セミナーの企画の間に、ネパールで働く日本人医師に会った時に、労働者の町、寿町でそこに住むおじさんと話したときに、サークルの仲間と中国に行った時に、南相木村の色平先生に会った時などに生じてきたもので、ずっと心のどこかで引っ掛かっていたものです。

今回の旅はそれらの答えが出ることを期待していました。しかし、そのようなものを全て見つけられたわけではありませんでした。その代わりそれ以上の、予想もしていなかったものをもらったような気がします。一緒に同行したバブさん、帰国後に思いがけない死を迎えた安羅岡先生、そして12日間一緒に過ごした仲間たちに。

一番心に残ったのは、自分を知ること、自分の国を知ることの大切さを痛感したことです。バブさんは世界中で活躍しているので、どんなにか魅力的な女性を選んで結婚したのかしら。と思っていました。でもバブさんはそうではなく、バングラディッシュの伝統的な結婚を選びました。息子の嫁は母親が探してくるというものです。それを選んだというのは、世界中を見たからこそ、自分の国の伝統の素晴らしさを知り、世界中を歩いたからこそ、自分の立つ場所をしっかりすることの重要さを知ったからではないかと思います。様々な国の情報、経済、文化、考え方が入り交じる中で、自分の立つところをしっかりと持っていない人間は、結局何者でもない人間になってしまう。ということを強く感じました。

また、安羅岡先生の話のここそこにも国の誇り、自分の国がどういう国であるかを自覚することの大切さ、また、自分の立つ場所を失うことの怖さを感じました。フィリピンの研究所では、欧米並みのDNAの研究をしている。しかし停電が多く、水も空気も汚く、この暑い気候の中ではうまくいくはずがない。フィリピンに最も必要とされていて、しかもフィリピンならではの研究ができる分野は、寄生虫や感染症などたくさんあるのに、自分のことを分かっていなくて、ただ西洋にあこがれてばかりの人達にはそういうことが見えてこないようだ。という話を聞いた時、自分のこと、自分の国のことを的確に把握できてないと、研究の方向まで間違った方向に進んでしまうんだ。と衝撃を受けました。

安羅岡先生は、日本人は欧米にコンプレックスを持っている。そして、その反面アジアの人々に対して逆コンプレックスとも思える優越感を持っていることが多い。と指摘されました。そういう感情を持っている人はアジアの中で仕事するうちに態度や、言葉の中でそういうことがぽろりと出てしまう。そういう人とアジアで仕事をすることはできない。と言われました。

 

 

 

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