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明るい社会づくりに尽くされた方々?平成12年度社会貢献者の事績?

 事業名 海難救助等社会貢献者の表彰等
 団体名 社会貢献支援財団 注目度注目度5


黒崎都志夫(くろさきとしお)

(大14.10.25生 東京都北区)

 

障害者福祉のない頃より、重度知的障害者の子を持つ親として同じ悩みを持つ多くの家族らと、その先頭に立って30年にわたり障害者福祉の向上につとめ、7つの施設を運営する「あゆみ会」の会長を務めておられる一方、75歳の今も毎日長男の車椅子散歩、入浴介助を欠かさない。

戦後、東京都北区に復員した黒崎さんは、家庭を持ち会社員として働いていたが、3歳になってもご子息が歩かないため病院で検査を受けたところ、脳性マヒと診断された。昭和30(1955)年当時、重度知的障害児・者への福祉制度は貧弱で、子どもたちは就学することもむずかしかった。やがて周辺に同じ悩みを持つ多くの家族の存在に気付き、40年頃から家族会活動を進めるうちに、46年に自宅を二階建てにし、家族集会場を兼ねた知的障害者の働く場所とした。「あゆみ福祉作業所」の始まりである。

とはいえ、当時は「作業所」という呼び方もなかった。同作業所は北区で初めての福祉作業所として、のちに表彰を受けている。何事も実践から、という黒崎さんの動きは、このように公的制度より数年程先行していることが多い。

51年頃、区立の生活実習所が設立され、一方で全員就学の動きもあったため、あゆみ福祉作業所のメンバーが大きく減った。障害の種類の分け隔てなく働ける場所を、と考えていたこともあり、身体障害者を受け入れた。さらに、病院関係者などの薦めもあって、精神障害者の受け入れを図ることにした。当時、精神障害者を受け入れる場は北区にはなかった。

しかし、知的障害と身体障害とは福祉、精神障害は医療の範疇とされていたため、同じ作業所で受け入れるならば、予算が違うので補助金は出せない、というのが当時の行政の考え方だった。自宅の1階と2階をそれぞれの作業所とすることで理解を得、受け入れにこぎつけた。

戦後の障害者への福祉行政は、まず身体障害への対応が先行し、次いで知的障害への対応が昭和50年頃を境に本格化したが、精神障害への施策は遅れた。自分の子どもへの福祉制度が充実していく方で、作業所に来る精神障害者とのギャップが開いていくのを目の当たりにした黒崎さんは、56年に作業所の通所者の住まいとして借りていたアパートに精神障害者を受け入れ、翌年にはアパート全体を寮とする。グループホームという概念が定着するのは、10年以上のちになる。

事業拡充のために平成3年にあゆみ会を設立、以後も障害者の地域での自立生活支援センター「あゆみかん」の開設や外出支援サービス事業開始、グループホーム移転など、実践を元に福祉活動を続けている。

黒崎さんは現在、親を亡くした後の障害者がどうしていくかという課題に取り組み、関係家族と共に知的障害者生涯ホームの設立に力を注がれている。

(島本久 推薦)

 

 

 

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